古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

善ヶ島神社


         
             ・所在地 埼玉県熊谷市善ヶ島197
             
・御祭神 日本武尊(推定)
             ・社 格 旧村社 旧善ヶ島村鎮守
             ・例 祭 祈年祭 旧3月15日 例祭 旧7月28日 新嘗祭 旧9月24日
             *例祭日は「大里郡神社誌」を参照。(旧)は旧暦。
 善ヶ島神社は、熊谷市善ヶ島地区中央南部に鎮座していている。弁財厳島神社を起点として、埼玉県道59号羽生妻沼線を妻沼市街地方向に進み、700m程先の目立たない十字路を左折する。気の利いた行政区域ならばあるであろう案内板等はない。左折した先の道路は道幅の狭い為、周囲の状況を確認しながら道なりに進むと「龍泉寺」が右側に見え、その先に善ヶ島神社は鎮座している。
 県道から奥まって分かりづらい場所に有るが、社の手前には「龍泉寺」の駐車場もあり、そこに停めてから参拝を行う。
                 
                   善ヶ島神社正面
   
      正面鳥居には水害対策からか、           参道の先に鎮座している拝殿
   コンクリートで基礎が固定されている。     やはり石段で高く積み上げられている。

 鳥居、灯籠ともに大きく嵩が上げられ、拝殿も数段高く、水害防除対策を重点に置いた社であることを物語っている。
             
          参道左手には「大国主尊」の石碑   日露役記念碑と渡唐天神宮、天満宮
     
        社殿に通じる石段手前で右側には、ご神木とは判断できないが、                   
                巨木が聳え立つ(写真左・右)。
   青葉が生い茂っていて、これらの巨木を見るにつけ、生命の息吹を感じさせてくれる。
           
                                          拝 殿
『埼玉の神社』、『真言宗 智山派 梅松山 円泉寺HP』や当地のパンフレット『村の鎮守十社めぐり』では、当地は当初葦が生えた島で葦ヶ島と呼ばれたが、後に利根川の流れが変わり、近村と地続きになり善ヶ島と改めたという。また、1500年頃の蔵王権現社の勧請が当社の起源とされ、当初は蔵王権現社、明治初期に御嶽神社と称し、明治42年に善ヶ島神社に改称した。
 明治41年には大字裏久保の愛宕神社と、上元割の阿夫利神社を合祀。地元では合祀社の阿夫利神社に因み「阿夫利様」と呼ばれることが多いそうだ。

『新編武蔵風土記稿』の善ヶ島村の条に蔵王権現社と記載され、「永正(1504-1521年)年中の勧請ト云 龍泉寺持 末社 天神 疱瘡神 摩陀羅神」とある。
 
       拝殿上部に掲げてある扁額         拝殿左側に鎮座する境内社・稲荷神社
 
    稲荷神社の並びには石祠群が鎮座する      石祠群の右側には境内社・三峰神社が鎮座
              
               鳥居の近郊にある「構造改善の碑」
「構造改善の碑]
 構造改善事業竣工記念碑   題○ 農林大臣 倉石忠雄
 北は利根川、南は道閑堀に囲まれた善ヶ島及び大野・弁財耕地は、肥沃な利根沖積層に属し、古くから県北有数の豊僥な穀倉地帯とし、養蚕○菜の生産地として、その名を知られてきた。然し農地の形状は、旧来のまま不整且分散し、道路は狭曲し、用排水の便悪く、屢々早魃や湛水に苦しみ、その損害は莫大であった。偶々国及び県の指導により、農業構造改善事業が推進されるに当り、この地域の関係者相謀り、日夜熟識を重ねて、昭和四十二年秋、二百三十有余名の総意を結集して「妻沼東部第一土地改良区」を設立し、○期的な農業近代化の大事業を断行することに決した。(中略)これにより当地域の面目は一新し、明日の農業発展の基礎が確立して、輝かしい未来が約束されたことは、誠に慶びに堪えない。茲に○古の偉業竣工を祝すると共に、関係者の功労を讃え、土地改良区の子々孫々に至る繁栄を祈り、これを金石に刻て、後世に傳える。
昭和五十年春吉日 妻沼町長  増田一郎撰  
前建設課長 松崎 傅書
*句読点、「」は筆者代筆。○は解析不可。

 この地域も北に利根川、南にその支流である福川に挟まれ、江戸時代までは南北の河川により、島状の地形であった。豊暁の地でありながら、河川の氾濫地域に属し、度重なる洪水等で、農作物の打撃が昭和50年頃まであったという事実には驚きだ。
「構造改善の碑」には有史以来続いた、水害との戦いの痕跡が赤裸々に見えてくる。
        
                        鳥居の左側にある冨士嶽神社と冨士嶽浅間神社


参考資料 「新編武蔵風土記稿」「埼玉の神社」「真言宗 智山派 梅松山 円泉寺HP」
     「村の鎮守十社めぐり」等
          

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