日吉神社
・所在地 埼玉県東松山市日吉町10—28
・ご祭神 大国主命 大山咋命
・社 格 不明
・例祭等 元旦祭 春季例大祭 4月初旬 秋季例大祭 9月第1土曜日
埼玉県東松山市にある灌漑用水のため池を再生した公園が「下沼公園」で、その650mほど北にある「上沼公園」と共に、東武東上線・東松山駅に近い市街地内にあり、周囲に桜が植栽され、絶好の散策・お花見スポットになっている。
上沼公園北側入口付近
この2つの沼には伝説があり、それがそのまま「松山の女沼男沼の由来」ともなっている。
=戦国時代の永禄12年(1569)、与四郎が戦場から逃げて家に帰ったら、与四郎の母と新妻は下沼に身を投げていたので、自身も上沼に身を投げて死んでしまった。以後、それぞれを女沼・男沼と呼ぶようになったという『女男沼伝説』があり、桜のライトアップ時には、両方の沼をつなぐ遊歩道1600mに灯籠が灯される『東松山夢灯路』も行なわれているという=
同じ東松山市で高坂地区には「大沼」「小沼」があり、そこにも『高坂氏息女の悲恋物語』として、恋慕う仲を裂かれた二人は大沼・小沼に身を投げてしまうという悲しい伝説が今でも語り継がれていて、真偽の程は不明であるが同じ形態の伝説として残されている。
この上沼公園の道路を隔てた西側に日吉町日枝神社は鎮座している。
東松山市の中心街である日吉町に鎮座する日吉神社
鳥居のすぐ左手に祀られている弁財天の石祠 鳥居の右手に設置されている御由来の案内板
日吉神社 一御由緒一
祭神 大国主命 大山咋命
創建
江戸時代文化一五年二月(一八一八年)近江国日吉山に鎮座する地主神・安産子育て・家内安全・学業成就の守護神日吉山山王大権現を当地に勧請、社殿を建立する。
*日吉町の地名はここより始まる。(中略)
祭典日 毎年
元旦祭
春季例大祭 四月初旬
秋季例大祭 九月第一土曜日
*神社の呼称を日枝から日吉に改める。(以下略) 案内板より引用
拝 殿
『新編武蔵風土記稿 松山町』
眞福寺 祈願山法垂院と稱す、これも淨光寺の門徒なり、開山玄海寂年を傳へず、本尊觀音を安ず、
松山日枝神社 東松山市日吉町一〇—二八(松山町字日吉町)
旧松山宿の北部に位置し、「職人の町」として知られる日吉町に当社は鎮座している。町場の神社らしく、境内の両脇には家が建て込んでおり、神木に準じた扱いを受けている銀杏を除いてはこれといった樹木もないが、向かい(南側)が上沼公園という大きな池を中心とした公園になっているため、環境は比較的よい。
日吉町は、江戸時代の中ごろに、染色に関係した職人が住み着くようになったことから発展した。当社は、神仏分離まで境内の西隣にあった天台宗の真福寺の守り神として勧請され、それが日吉町に住み着くようになった人々によって町内の守護神として護持されるようになったものであろうといわれている。ただし、この真福寺の開山については伝えられていない。また、内陣には、金幣のほかに、「文化十五戌寅年(一八一八)二月吉祥日 山王大権現 松山住人山王産野村主計久信」と記された木札が納められている。あるいは、近江の日吉神社に参詣し、その記念のためにでも上げられた納め札であろうか。
この木札にもあるように、当社は元来は「山王大権現」と称していたが、明治に入ると神仏分離によって真福寺の管理を離れると同時に、社号を現行の日枝神社に改めた。しかし、改称の後も住民の間では「山王様」の通称で呼ばれることの方が多く、現在でもなお、「日吉町の山王様」として市民に知られている。 「埼玉の神社」より引用
当地名「日吉町」は、日枝神社から(日吉神社とも呼ばれていた)名付けたとの事の様で、近くに湧き水もあり、その為に地域近郊には染色業や織物業に関連した職人の住居が多くあったという。日枝神社は天台宗系の山の神を祀る神社でありながらも、同時に水の守り神でもあった。また、近くには湧き水からの上沼があり、湖畔の北側には松山神社が鎮座する。境内には水の神である弁財天も祀られており、当地が水利の便が豊かな地域であった証しでもあったのであろう。
参考資料「新編武蔵風土記稿」「埼玉の神社」「郷土の民話を探して - 東松山市」
「境内案内板」等
