瓜田ヶ谷諏訪神社
・所在地 埼玉県白岡市爪田ヶ谷585
・ご祭神 建御名方命
・社 格 旧爪田ヶ谷村鎮守・旧村社
・例祭等 祭礼 7月27日
白岡市爪田ケ谷(つめたがや)地域は、市東部に位置し、大宮台地慈恩寺支台にあり、地域の中央を東西に姫宮落川が流れ、西・南で上野田・下野田、北で南埼玉郡宮代町西粂原・東粂原、東で同町逆井に接している。爪田谷のツメはツマの転じたものと思われ、ツマは隅の意味。また当地の水田は田植えをしない直播を行う「摘田(つみた)」が行われたので、これがなまって「つめたがや」との説もある。爪田ケ谷の笠原田んぼにも 堀上げ田があった。現在、笠原田んぼ付近は東武動物公園となり、かつての面影は少なくなっているという。
この東武動物公園の西ゲート手前に瓜田ヶ谷諏訪神社は鎮座している。
瓜田ヶ谷諏訪神社正面
『日本歴史地名大系』 「爪田ヶ谷村」の解説
姫宮堀川の流域に位置し、南は下野田村、西は同村と上野田村。「ツメ」は隅を意味し、「ツマ」の転訛したものとみられる(埼玉県地名誌)。大宮台地慈恩寺支台にあり、北・東は開析谷が深く潜入し、溺れ谷を形成している。笠原沼用水・爪田ヶ谷堀・野牛高岩落堀が流れる。百間領のうち(風土記稿)。慶長六年(一六〇一)陸奥仙台伊達氏の鷹場に指定される(貞享元年「久喜鷹場村数覚」伊達家文書)。寛永五年(一六二八)岩槻藩阿部氏の検地があり(風土記稿)、田園簿によれば田高一八石余・畑高四九石余、同藩領。
参拝日は雲一つない冬空の快晴日、参道一帯日差しが眩しく明るい社という印象
爪田ヶ谷諏訪神社の創建年代は不明であるが、江戸時代後期の地誌『新編武蔵風土記稿』によると、寛永5年(1628)に検地が実施されたから、その頃には既に存在していたものと推測される。当地の近くには笠原沼があり、その景観があたかも諏訪湖がある諏訪地方に似ていることから、諏訪大社より分霊を勧請して創建されたという。明治初年、近代社格制度に基づく「村社」に列せられた。
参道右側に設置されている社の案内板と文化財の大杉を記している標柱
諏訪神社
南埼玉郡白岡町大字爪田ヶ谷
諏訪神社は当地の鎮守として村民の崇敬を集めているが、その由緒は不詳である。祭神には建御名方命が祀られている。
長野県の諏訪大社を総本社とする諏訪神社は、全国的に分布しており、爪田ヶ谷の諏訪神社もその分社として祀られたものと思われる。
また、この神は古くは狩猟の神とされてきたが、次第に農耕の神、あるいは武神として崇拝されるようになった。
社殿裏に鬱蒼と茂る杉の大樹は町內随一で、町の天然記念物に指定されている。また、社殿をとり囲むナラやクヌギ、ソロなどの木々が暗い神社の杜をつくり、古社の風格を偲ばせている。
昭和六十三年三月 白岡町教育委員会 案内板より引用
案内板等の並びに建つ伊勢参宮記念碑と手水舎
拝 殿
諏訪神社 白岡町爪田ヶ谷五八五(爪田ヶ谷字諏訪)
爪田ヶ谷の開発は明らかでないが、賀島・八木橋・富沢・板垣・斎藤の五軒が草分けであると伝えられる。『風土記稿』によると、寛永五年(一六二八)に当地の検地が行われた。また、延宝八年(一六八〇)の「岩付領村名石高家数人数寄帳」(吉田家文書)には、家数三二戸と載る。
当社の鎮座地は、爪田ヶ谷の中でも高台に当たり、かつては南東に広がる沼(現在は埋め立てて東武動物公園になっている)を望める場所であった。口碑によると、この辺りの景観が信濃国の諏訪の地に似ていることから、沼を諏訪湖に見立て、その辺りの高台に諏訪大社の分霊を奉斎したことに始まるという。
『風土記稿』には「諏訪社 村の鎮守なり、観音寺の持」とある。これに見える観音寺は太田新井村の真言宗安楽寺の末寺で、開山の宥範が宝永六年(一七〇九)に寂している。本寺の安楽寺がある太田新井村には鎮守として村民持ちの「諏訪社」が見えることから、当社の勧請に安楽寺がかかわっていたことも考えられる。ちなみに、現在爪田ヶ谷の人々は安楽寺の檀家が多い。
明治初年の神仏分離を経て、当社は村社となった。
「埼玉の神社」より引用
本殿内に聳え立つ大杉のご神木(写真左・右)
爪田ヶ谷の諏訪神社の社殿を取り囲むようにスギの古木が並ぶが、ひときわ大きく社殿のすぐ脇にそびえ立つ1本が指定樹である。落雷や酸性雨の影響も心配されるが、社叢(しゃそう)全体としては、他の落葉広葉樹などと相まって比較的健全な状態を保っている。
・種 別 白岡市指定天然記念物
・法 量 幹廻3.6m、樹高24.1m
・指定年月日 昭和56年11月1日
本 殿
建御名方命を祀る当社は「お諏訪様」の通称で呼ばれ、爪田ヶ谷の鎮守として崇められている。氏子区域は爪田ヶ谷一帯で、その中に、中通・新田・上組・原組・下組の五つの村組で構成されている。また、氏子の間では「お諏訪様は百姓の神様」といわれ、五穀豊穣のご神徳が語られている。それゆえに「商売は当地では成り立たない」ともいわれてきたという。
社殿からの一風景
参考資料「新編武蔵風土記稿」「日本歴史地名大系」「埼玉の神社」「白岡市HP」
「ウィキペディア(Wikipedia)」「境内案内板」等
