古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

上手計二柱神社

 日本では漢字の伝来以来、万葉仮名のように当て字をつけていったり、佳字(かじ)地名として、めでたい意味の単語を地名に当てるなどのことが1000年以上にわたって行われ続けてきた。地方によって同じ綴りや漢字を別の読み方をしたり、同じ音に別の綴りや字を当てる、方言によって音が変化する、歴史に由来して常用漢字外の漢字を当てる等、今で言う「難読地名」が出てきてしまった。
 数多くの言語表現の中でも難読語が数多く存在するのは日本語くらいといわれていて、同じ漢字圏内でも中国語では漢字の読み方は規則的であり、日本同様に別の言語体系に対して漢字を使用した朝鮮語でも、ほとんどは一つの漢字に対して一つの読み方しか用いられていないようだ。
また昔からその地域に住んでいる住民の方々や、その地域をよく知っている人たちは特に難読地名とは思っておらず、外部の人間から指摘されて初めて難読地名だと分かるような例も少なくない。

 深谷市にもそんな読むことが難しい「難読地名」が幾つも存在していて、今までに紹介した神社では「血洗島」「上敷免」「長在家」等で、江戸時代の村単位では、武蔵野足高神社は「猿喰吐(さるくいど)村」、上野台八幡神社地区内には「鼠(ねずみ)」という字名も嘗て実際にあった。
 今回紹介する「二柱神社」が鎮座する「上手計」地区も、「難読地名」の一つといえる。本来の地名の読み方は「てばか」で、現在は下手計と上手計にわかれている。 では、この不思議な地名の由来は何かというと、後三年の役で源義家が奥州に向かう際、この地で負傷を負った家臣の片腕を切り落として埋葬した場所が「手墓(てばか)」という地名になったのがルーツという。また別説では、手計の「はか」は、崖地を意味するアイヌ語の「ハケ」が転じたもので、上手の崖・下手の崖とする見解もあるようだ。
        
             
・所在地 埼玉県深谷市上手計216
             
・ご祭神 伊耶那岐命、伊耶那美命
             
・社 格 旧上手計村鎮守 旧村社
             
・例祭等 不明
 上手計二柱神社が鎮座する深谷市上手計地域は、矢島地域の北側で、小山川左岸に位置する。矢島神明社を起点に群馬県道・埼玉県道355号中瀬普済寺線を北上し、1㎞程進むと「血洗島」交差点に達する。埼玉県道45号本庄妻沼線との交点となり、そこを右折し、4番目の十字路を左折し、暫くすると左側に上手計二柱神社の社叢、並びに鳥居が見えてくる。
        
                 
上手計二柱神社正面
「深谷市 上手計自治会HP」には「地区の鎮守として、二柱神社があり、元旦祭、春の大祭、秋の大祭など年間を通して行事を行っている」との記載があったが、その詳しい日程が書かれていないため、例祭日を「不明」として掲載するしかなかった。
 
  鳥居より参道を望む。田畑風景が広がる中、  鳥居の左手側に徳大勢至菩薩と大黒天等の石碑
    社周辺のみ、社叢林が広がる。        午後に参拝したゆえに逆光気味。
       
             参道先、左側に聳え立つご神木(写真左・右)
        
                        南北に長い参道。参道の先に鎮座する社殿。
                 長いにも関わらず、参道一面には敷石が敷き詰められている。
        
                     参道脇に設置された「二柱神社改築の記」の石碑
 二柱神社改築の記
 深谷市上手計に鎮座する二柱神社は、古くは「聖天社」と称していました。
 その創建は長井荘の総鎮守聖天宮(熊谷市妻沼)より勧請され、およそ四百年~四百五十年前と伝えられています。神仏分離令により明治二年に二柱神社と改めました。伊耶那岐命、伊耶那美命の二柱を御祭神として祀り、象頭人身の大聖観喜天像(聖天像)を御神体としています。
 当地区の護り神、心の拠り所として先人達により長きに渡り伝えられてきた御社殿が、昭和三十年代の台風による倒木の為、拝殿を失い、祭典を幣殿で執り行う事態となりました。また老朽化も甚だしく、成りゆく様を憂慮し改築に向けて、平成十八年、氏子各位の総意のもと御社殿改築が決議され建設委員会を設立するにいました。
 建設費用は五年間の積み立てを行い充当するものとし、平成二十三年建設を着工し平成二十四年二月に竣工を迎えることができました。
 この喜びを後世に伝えるべき偉業として、御奉賛いただいた氏子崇敬者の名をここに刻し記念碑として残すものであります。
 平成二十四年五月吉日 二柱神社宮司宮壽邦夫 上手計二柱神社建設委員会
                                        記念文から引用

        
                             南向きに鎮座する二柱神社拝殿
『大里郡神社誌 二柱神社』
 一、神社所在地
 舊榛澤郡上手計村字聖天
當神社は創立年代未詳と雖も上手計村の開發と共に鎭座し給ふと云ふ古老の口碑に當社の樹木を伐採し用材として本殿の改築をなしたりと傳へる社殿の天井板は皆神代杉と見るべき古材にして又其伐採跡に植樹等目通一丈(中略)又氏子村落民の墓石何れも五六百年の年所を経たるものより考ふれば當社の創立年所の古きこと明なり
 一、神社名稱 聖天宮 明治五年二柱神社と改稱す
  一、祭  神 伊弉諾命 伊弉弥命
 一、社格の沿革
 舊稱村鎭守 明治五年十一月村社申立濟、明治四十五年三月二十二日神饌幣帛料供進神社に指定せらる
 一、神  體 鐵製丈ヶ五六寸位の二體抱合せの尊像宮形厨子に納む
 一、神異神話神助
婦人病に靈驗ありとて信仰極めて厚し
口碑傳說に因り氏子の宅地は勿論神社境内等松樹を植付けぬ慣習あり其由來を尋ぬるに別當大沼院は深谷城主上杉公の家臣大沼彈正忠繁の祈願所にて恒例に依り同城へ年賀登城の際酒宴の席上體を失し彈正の怒に觸れ恐れて城内を逃出したるも大雪の爲歩行意の如くならずして困り居たるに殿は乘馬にて追跡し遂に上手計村栗田家の門松の蔭にて手打になりて斃れければ遺骸を同地先へ埋葬せるに院の妻自害して失せけり里人これを憐みて兩人を其地に若宮社として奉齋せりといふ今に至るも栗田家一族の年中行事の一として重く祭事を執行せり

 
  拝殿には渋澤栄一書の扁額が掲げられている。             本 殿
 
   拝殿左側に鎮座する境内社・石祠2基        拝殿右側には境内社・稲荷神社が鎮座。
         詳細不明
        
         静寂の境内、手入れも行き届き、気持ち良い参拝となった。

 上手計を含めた周辺地域は昔より「八基(やつもと)」地区と呼ばれている。というのも明治22年町村制施行により,旧八村<血洗島村・南阿賀野村・北阿賀野村・横瀬村・町田村・上手計村・下手計村・大塚村>の合併時、当所は手計村であったが、翌23年八基村と改称。大八州(おおやしま)の基(もとい)として、日本の模範となるような村となるよう名付けられ、その名付け親は渋沢栄一と言われている。
      
                   
参考資料 「新編武蔵風土記稿」「大里郡神社誌」「埼玉の神社」「Wikipedia」
      「深谷市HP・自治会連合会」等
    
           

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