篠津久伊豆神社
さて篠津の地名は『埼玉県地名誌』によれば、元荒川左岸、渡津より起こったものと考えられ、津は船着き場の意で、付近一帯に篠が生えていたため篠津と呼ばれたと考えられる。いわゆる水辺に関連した地名だ。江戸時代の篠津村は川越藩領の後、旗本領に属していた。明治22年に町村合併で誕生した篠津村は、野牛村、白岡村、寺塚村、高岩村が合併したものである。以後白岡町に合併するまでの65年間存続したという。
白岡市 ホームページ参照
所在地 埼玉県白岡市篠津1798
御祭神 天穂日命、大己貴命、大山祇命
社 挌 旧村社
例 祭 4月16日 例大祭 (須賀神社 7月中旬 天王様祭) 浅間神社 7月1日 初山祭り
篠津久伊豆神社は白岡市篠津地区に鎮座している。埼玉県道78号春日部菖蒲線を白岡市役所から久喜市方向に進み、途中篠津神山(東)交差点を右折し最初の交差点を左折する。T字路にぶつかるのでそこをまた右折し、しばらく進むと左側に「篠津久伊豆神社」の看板が見えるので、そこを左折すると突き当たりにその社が鎮座している。
正面参道 鳥居を過ぎると左側にある案内板
篠津の久伊豆神社と山車
所在地:南埼玉郡白岡町大字篠津
久伊豆神社は、康治元年(1142)に建てられたと伝えられ、祭神として天穂日命、大己貴命、大山祗神が祀られている。
現在の本殿・拝殿は、江戸時代末期に建造されたものと思われ、特に本殿四方に巡らされた「神功皇后三韓出兵」「天の岩戸」「飛龍に波」「鷲」などの彫物は、江戸伽藍彫刻の力作である。篠津地区は、平安時代末期に全国に勇名を馳せた武蔵武士団のひとつ野与党発祥の地とされ、当社は、その守護神として崇敬されていた。また、この地区は江戸時代の日光街道(春日部宿)と中山道(鴻巣宿)を結ぶ街道の宿場として栄えたところであった。
また、地区内の上宿、横宿、下宿、宿神山の各耕地には、それぞれ特徴ある山車が保存されており、この山車は江戸時代末期に製作されたもので、唐破風欅白木彫などその彫刻はすぐれている。これらの山車は、7月15日の天王様(須賀神社の祭礼)に飾り付けられ、今でも祭りを盛りあげる大きな役割を果たしている。 昭和58年8月 白岡市
案内板より引用
篠津久伊豆神社が鎮座する篠津地区は平安時代末期に全国に勇名を馳せた武蔵武士団のひとつ野与党発祥の地とされ、当社はその守護神として崇拝された。またこの地区は江戸時代の日光街道と中山道を結ぶ街道の宿場町として栄えた場所であるという。現在の社殿は安政元年(1854)より5年の歳月をかけて拝殿が 完成した。
拝 殿
本 殿
重量感溢れる荘厳な本殿であり、また本殿の3面に飾られている彫刻は江戸伽藍彫刻の力作で、彫刻は天保13年(1842)生まれの立川音芳の作である。音吉は彦根藩家臣の家から江戸の仏師に養子となり、佐野の立川芳治の下で宮彫を習得した。その後、篠津久伊豆神社の彫刻を依頼され、当地に住むようになった。
社殿の奥には境内社が数多く鎮座している。左側から稲荷大神社、諏訪大神社、榛名神社が並び(写真左)、その隣に(同右)左側から雷電宮、諏訪神社、八幡宮、正八幡宮が鎮座。
また社殿の向かって右側には境内社、九ヶ所神社、疱瘡神社(写真左)、そして五穀大明神(同右)が鎮座している。
さて篠津久伊豆神社の境内に大きな富士塚があり、浅間神社が祀ってある。山崎浅間神社の項でも紹介したが、初山とは、赤ちゃんの額に初山の印を捺して、健康と長寿の願いを込め、疾病の退散を念じる行事で、毎年7月1日に富士山に見立てた小高い山にある浅間神社にお参りする初山祭りが行われるらしい。
また境内の前に大きな山車倉庫があり、そこには「白岡町指定文化財第4号 篠津天王様の山車・宿耕地」と「白岡町指定文化財第5号 篠津天王様の山車・下宿耕地」と記された標柱がある。
篠津天王様の山車専用倉庫
7月になると市内各地で疫病退散を願う夏祭りが行われる。中でも八雲神社(岡泉鷲神社・柴山諏訪八幡神社)、八坂神社(上野田・下野田)、須賀神社(篠津)、牛頭(ごず)天王社(白岡の新田地区)を祀る地域では、この夏祭りを「天王様」と呼んでいる。
篠津の天王様では見事な彫刻の施された5台の山車が地区内を巡行する。山車は岡泉の天王様にも飾られる。上野田・下野田では、勇壮な神輿が耕地内を練り 歩き、疫病の退散を願う。白岡の新田地区や柴山では、オシッサマ(お獅子様)の一行が天狗、獅子、太鼓などで耕地内を駆け巡る。
篠津久伊豆神社は、由緒等による武蔵七党、野与党発祥の地という歴史上の創建の古さと、その地区の守護神としての重さに社殿全体の荘厳さも加わり、参拝にも自ずから厳粛な面持ちとなった。近隣に鎮座している白岡八幡宮の女性的で優雅な白い社殿とは全く対照的で、参道正面の雰囲気はまさに男性的で重厚感がある。社正面から出ている社風というか漂う色が白岡八幡宮とは全く違うのだ。白を基調とした白岡八幡宮や境内にある真新しい神楽殿と比べること自体間違っているかもしれないが、白岡八幡宮の次にこの社を参拝したのだから自然と比較の対象となってしまった。
しかし一旦正面参道から奥の本殿に向かうと雰囲気が変わる。本殿の彫刻から漂うのか、本殿全体から発する妖艶さからか、決して男性的なものではない。この社の本殿のそれは、大人の女性の熟成された色を感じた。
「篠津」という地名は河川に関係した地名というが、個人的に「篠」には女性的な余韻を感じてしまう。勝手な個人の主観的感想と変な喩で恐縮だが。