古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

藤木戸諏訪神社


        
             
・所在地 埼玉県児玉郡上里町藤木戸138
             ・ご祭神 建御名方命
             ・社 格 旧村社
             ・例 祭 新年祭 13日 春祭り 43日 秋祭り 1019日
                  新嘗祭 1211
  地図 https://www.google.co.jp/maps/@36.2386362,139.1161543,18z?hl=ja&entry=ttu
 上里町藤木地域は、利根川支流の神流川右岸に位置する。「藤木戸」という地名の由来は、地内の観音堂に藤の古木があったためであるという。
 藤木戸諏訪神社はその藤木地域西部に鎮座している。途中までの経路は大御堂浅間神社を参照。大御堂浅間神社から埼玉県道・群馬県道131号児玉新町線を900m程北上し、「三町」交差点を左折する。その後群馬県道・埼玉県道23号藤岡本庄線、通称「下仁田街道」に合流、西進し、1㎞程進んだ先のT字路を右折する。その後進路上右側に長幡小学校が見えるのだが、その学校を過ぎた地点の進行方向に対して左側に が鎮座する場所が見えてくる。
 但しこの通りには社の境内に通じる入口が残念ながらない。長幡小学校を通過する地点に十字路があり、そこを左折し、その後突き当たりを右折すると社の鳥居が見えてくるので、鳥居近くの境内の一角に車を停めて参拝を行った。
        
                                                           藤木戸諏訪神社正面
 鳥居は境内西にあり拝殿の向きに対して直角に位置している。加えて拝殿は南向きで、祭事にたてる上り用の柱は社の正面にあり神橋をはさむ。拝殿に対して正面には鳥居は現在ない。
 鳥居だけ移動したのか、不思議な立ち位置にある社ではある。
 
  鳥居の右側に並んで立っている庚申塚。     鳥居の先に鎮座する境内社
                             厳島神社
       
 厳島神社の隣には同じく境内社・八坂神社が鎮座(写真左)。その隣には秋葉神社(?)が鎮座している。この3社は横に並んで建てられている。
 
 境内社3社の向かい側には案内板が設置されている(写真左)。その境内社の並びに社殿が建っている。神橋の南側が本来の参道となるのだが(同右)、そこには鳥居らしいものはなく、石製の柱があるのみ。

諏訪神社 御由緒  上里町藤木一三八
□御縁起(
歴史)
藤木は、利根川支流の神流川右岸に位置する。地名の由来は、地内の観音堂に藤の古木があったためであるという。当社は村の中央に鎮座し、西隣には真言宗真福寺がある。
『児玉郡誌』には「当社の創立は後花園天皇の御宇長禄年中(一四五七~六〇)当地に一社を勧請して本村の鎮守とす、其後社殿頽破せるを以て天正年間(一五七三~九二)村民協力して再建せりと云ふ、また、明和年間(一七六四~七二)に至り領主松平大和守の崇敬あり、社殿を再興せられたり(以下略)」と載せられている。
また、本殿に奉安する木製の神璽には、「諏訪大明神社頭壹宇 維時文政二己卯(一八一九)仲春廿七日鎮座 藤木・並木・新堀・沖惣氏子中 別当真福寺現住如海代」との墨書が見える。このうち、並木・新堀・沖は現在藤木戸村の小字名となっている。
別当の真福寺は『風土記稿』藤木村の項に「新義真言宗、大御堂村吉祥院末、藤木山不動院と号す、本尊薬師」と載る。同寺は、大永年間(一五二ー~二八)の創建と伝わり、寺内には天文十五年(一五四六)二月十五日銘をもつ逆修五輪塔がある。
当社は、明治初年の神仏分離により真福寺から離れ、村社となった。明治三十九年には、字並木に鎮座する無格杜日宮神社とその境内社である八幡神社と菅原神社を合祀した。
□御祭神 建御名方命…五穀豊穣、厄除、開運
                                      案内板より引用
        
                                      拝 殿
       
           社殿の右側で、道路沿いに立っているご神木
 藤木戸諏訪神社の南側には「楠川(しょうかわ)」という河川が東西に流れている。楠川は、神流川が乱流していたころの支流で、その痕跡は今でも曲流地形として残されている。古代はこうした曲流地形の脇にある自然堤防上に集落を営み、その下に耕作地を作って、開発を進めてきた。藤木戸地区には楠川を分水するための堰が数多くみられるという。
 因みに上里町には、塩川や小川と書いて「しょうかわ」と読む小字名がみられるが、これらはすべて楠川が流れる流域にあって、楠川に由来する地名と考えられている。
        
         社殿の右側に鎮座する境内社。菅原神社・稲荷社・三峯神社
 この諏訪神社の辺りは、字関邸といい、もとは楠川の堰を守る屋敷があったといわれている。今でも、神社の境内には水路があり、楠川(上流)と御陣場川(下流)の分岐点となっている。道路を隔てて諏訪神社の反対側、藤木戸公会堂の脇に「一級河川御陣場川起点」の石碑が建っている。楠川は、御陣場川と名前を変え、ここから下流は県管理の一級河川となっている。
 因みに御陣場という地名は、滝川一益と北条氏直とが戦った神流川合戦の際に北条方が陣を敷いたところといわれている。
        
                                「楠川」の流れ 


参考資料「新編武蔵風土記稿」「埼玉県北部地域振興センター本庄事務所HP」「境内案内板」等 

                

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