古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

三町諏訪神社


        
             
・所在地 埼玉県児玉郡上里町三町720
             ・ご祭神 建御名方命
             ・社 格 旧村社
             ・例 祭 春祭 43日  秋祭 1019日(どちらも近くの日曜日)
                  新嘗祭 1123日
  地図 https://www.google.co.jp/maps/@36.2363366,139.1242599,17z?hl=ja&entry=ttu
 上里町三町地域は大御堂地域の北側に位置し、三町の地名由来としては、江戸時代、藤岡道沿いにつくられた安保町、長浜町、横町の三つの町場が、明治9年に合併して三町村(みまちむら)になったことに由来する。
 途中までの経路は大御堂浅間神社を参照。大御堂浅間神社から埼玉県道・群馬県道131号児玉新町線を900m程北上し、「三町」交差点をそのまま直進。その後最初のY字路を左斜め方向に進み、すぐ先の細い十字路を左方向に曲がると、その奥に三町諏訪神社の広い境内に到着する。
 境内入口右側には社務所があり、駐車可能な広い空間もあるので、そこに停めてから参拝を行う。
        
                                
三町諏訪神社正面
 
    鳥居の手前に石碑等が並び、       鳥居を過ぎてすぐ左側に御嶽山神等
 参拝客をお招きしているような配置である。      石神が並ぶ塚あり。
        
          お日様の陽光をたっぷりと浴びた明るい社という印象。
            境内は広く、日々の手入れも行き届いている。

 社殿の左側に休憩所である東屋が設置されており、公園のように整備されている。この地の方々には憩いの場となっているようだ。
        
                      参道左側に設置されている「
三町水道記念碑」
 三町水道記念碑
 当三町地区は地質的に地下水が非常に深くその水は冬は暖かく夏は冷たい美味良水として古くから定評がありました。特産だった西瓜を井戸の中に入れて冷却しての賞味は正に天然のめぐみでもあった。
 しかしそれと引き換えにこの水源の確保としての、深井戸の掘削には多額の経済的負担を余儀なくされる土地柄でもありました。如何せん、全戸とはいかず昭和三十年代には三町全体で約十数基しかなかった。一日も欠かせぬ生活用水のすべてを『貰い水』として賄う家庭が大半であった。
 文字どうり『井戸端会議』として温もりのある隣人交流もあったが、水の運搬と尚もその不足分を近くを流れる農業用水を利用して補う労力ば苦行であった。こうした窮状を速やかに打開し、全戸給水、水道設置は、三町全区民の悲願でもありました。
 昭和三十九年その気運が盛り上がリ三町簡易水道組合が結成され、当地内を水源として鑿泉工事に着手した。そして、昭和四十二年五月三日念願の工事が完成し、給水を開始した。昭和四十三年には隣地の大御堂地区より、こうした順調な運営情況に合わせて組合加入の申し込みがあり、ここに三町・大御堂水道組合「初代組合長・村島富三郎」が発足した。「第二代組合長・関本岩蔵」以後、三十年間、歴代組合長三代、全組合戸数九百三十一戸、一致協力して廉価による水資源供給を維持し発展してきました。やがて時代の変遷と、全町公営化に伴い、平成八年、三町・大御堂水道組合は発展的解消をした。
 さらに一歩進して大きな視野に立ち、現在の地球環境の変化と万が一の災害を想定する時、この水源の重要さを痛感します。平素は水辺公園の憩いの水として目を楽しませ、一旦危急の場合水栓の変換操作により、直ちに各家庭に直結し援水装置となる当鑿泉は不滅の宝として温存すべき最大の所以である。
願わくば、この趣旨が末永く理解されこの朽ちる事のない水源の泉のごとく後世に受け継がれるよう念願します。ここに往時の役員名を刻み関係各位のご協力に敬意を表しながら、これを記念してこの碑を建立するものである。
平成十四年十二月吉日 三町水道組合長 渋澤栄一撰文
                                     境内碑文より引用
        
                                   拝 殿
        
                拝殿手前左側にある案内板
 諏訪神社 上里町大字三町字諏訪裏七二〇
 □由緒
 江幕府編纂の『新編武蔵風土記稿』安保町の項に「諏訪社 當所及び長濱町・横町村等の鎮守なり、末社 八幡 稲荷 別当宮本坊 當山修験、大御堂村寶蔵寺配下、開山本行坊萬治四年四月示寂、本尊不動を安ぜり」と載っている。当社は旧横町・安保町・長浜町の三か村の鎮守として祀られてきた。
 また、『神社明細帳』には、「創立年月不詳と云えども一度回禄(火災)の災いに罹りのち、安永四年村民協力して再建す」と記されている。しかし、 社殿の竣工は四年後のことらしく、棟札には安永八年(一七七九)の年銘がある。当社の祭祀は江時代は「風土記稿」に載る別当宮本坊が代々務めてきたが、明治初年の神仏分離により、当社から離れた。
 明治五年村社となり、同四十二年に字寺東の稲荷神社と字寺西の社天王社を境内に遷し祀った。社殿は覆屋の中に本殿が祀られ、昭和五年新築の拝殿と幣殿で結ばれている。
 当地の獅子舞は「判官流一人立連舞獅子」といい、貞享二年(一六八五)に獅子頭を作ったことに始まるという。現在使われている獅子頭は明和七年 (一七七〇)に新調したものである。大正期から途絶えていたが、昭和三十二年に復活。同五十五年埼玉県知事より「文化ともしび賞」を授与された。現在は獅子舞保存会により継承され、奉納されている。境内には、古くから土俵が築かれ相撲の奉納が続いている。
 □御祭神 建御名方命
 □御神徳 地域の繁栄と人々の守護 五穀豊穣、厄除、開運
                                      案内板より引用
 
 社殿左側に鎮座する境内社・石祠群(写真左)。左から順に
神明・今宮・社日・八坂・秋葉の各社。また社殿右側には同じく境内社・石祠として、左側より菅原神社・稲荷神社が鎮座する(同右)。
       
                          境内に聳え立つご神木

 三町諏訪神社で毎年10月に開催される「秋の大祭」で子供相撲と共に奉納される伝統行事で、貞享年間に作られたとされる獅子頭が伝えられており、古くから雨ごいや地域の繁栄を祈って行われてきたという。
○諏訪神社獅子舞
・管理者 三町諏訪神社獅子舞保存会
・指定日 昭和37222日 上里町無形文化財
・貞享2(1685)銘の獅子頭


参考資料「新編武蔵風土記稿」「上里町公式HP」「境内案内板」等
                       

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