古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

境百々飯玉神社


        
             
・所在地 群馬県伊勢崎市境百々90
             ・ご祭神 保食命
             
・社 格 旧村社
             ・例祭等 不明
 下武士三社神社の東方向にある「伊勢崎市境支所」を更に東行し、「境支所入口」の三叉路を左折する。群馬県道・埼玉県道14号伊勢崎深谷線を北西方向に進行し、1㎞程進んだ右手に境百々飯玉神社の鳥居が見えてくる。後日地図を確認すると、「伊勢崎市消防本部 境消防署」がすぐ西側に見え、また社の北西方向には「境ふれあいパーク」もある。更に北東方向に目を転じれば、:境上矢島勝手大明神がそれ程遠くない場所に鎮座している。
 社周辺には適当な駐車スペースはないようだ。そこで「境ふれあいパーク」の道を隔てた東側にコンビニエンスストアがあり、そこの一角に車を停めてから徒歩にて参拝を行う。
        
                境百々飯玉神社正面鳥居
                   鳥居前左側には庚申塔と地神等が祭られている。
『日本歴史地名大系』 「百々(どうどう)村」の解説
 北は新田郡矢島村、西は木島村。平坦地。村内を江戸道(現県道伊勢崎―深谷線)が走る。永禄八年(一五六五)頃には、金山城(現太田市)城主由良氏の配下、丸橋右馬助が領していた(長楽寺永禄日記)。「寛文朱印留」に村名がみえ、前橋藩領。寛文郷帳では田方二八石余・畑方六六石余。「伊勢崎風土記」に慶安二年(一六四九)村内に市を開こうとしたとある。天保二年(一八三一)の伊勢崎領田畑寄(上岡文書)によれば反別田三町余・畑一一町三反余、ほかに新田として田五反余・畑一六町四反余、家数二九、馬八疋。
 伊勢崎市百々地域の「百々」は、なかなかの難解地名で、「百々」と書いて「どうどう」と読む。地名由来をインターネット等にて調べてみると、同じ名前の地名は全国に複数あるようで、いずれも水が盛んに流れる様子を表す擬音語である「どうどう」に由来するとされるという。
       
  鳥居から真っ直ぐに伸びる参道の先に神橋がある(写真左)。但しそこから参道は一旦
  左側に曲がり込み(同右)、その後一対の狛犬付近で元にもどるような境内配置となる。
        
                    拝 殿
 飯玉神社 采女村大字百々 祭神 保食命
 大字百々の中央に在り往古領主那波氏堀口飯玉大明神の分霊を奉遷創建したもので明治六年(1873)村社に列した
 經藏寺 眞言宗元新義派 大字百々の東方に在り世良田惣持寺の末寺なりと謂ふ本尊は虚空藏菩薩である
 妙眞寺 眞言宗新義派 大字下淵名に在り正慶二年(1333
)七月十七日淵名妙眞尼の開基に係る尼は淵名實秀の女にして嘗て北條氏に嫁き其の滅ふるに及ひ生地に歸り一庵を創立し剃髪して妙眞尼と稱す寺號は之に起因せるものなりと言ふ十二世に正空坊日昭なる者あり下野國小俣邑鶏足寺住職宥範より慈猛流を受け當寺を中興し弘化二年式色着用を許可せられ且小本寺に昇格して新田郡四格院の一となつた本尊は正觀音菩薩である若心經偈文、弘法大師眞蹟を藏すと謂ふ
 
縄に紙垂を巻いているところから神興庫と推察          本 殿
        
                    
社殿左側には境内社・高尾山神社が祀られている。
         
           高尾山神社社殿     高尾山神社の奥の小高い丘上
                        に鎮座する社。元宮か。
       
             本殿奥に祀られている石祠群。詳細不明。 

『境町の民俗』によれば、「百々(どうどう)は昔村高九四石八斗、家数二九軒、人別一〇〇人程の小村で、東端に郷蔵があり、岡崎・羽鳥姓が多かった。小村であるから経蔵寺は無住で、下淵名妙真寺が兼務する。百々という川のせせらぎを音柴する地名だが、この地区を流れる長溝川は下淵名に源をなす小川で、村の南部を流れる世良田用水は慶長十三年に掘り開かれた水流である。経蔵寺墓地には境城主小此木長光一族の墓碑があるが、由来を明らかにしない」との事だ。


参考資料「
 

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