荒木常世岐姫神社
・所在地 埼玉県行田市荒木5230
・ご祭神 常世岐姫命
・社 格 旧村社
・例祭等 例大祭 8月21日
埼玉県道128号線行田羽生線を熊谷から東行し、上之村神社、古宮神社を左手に見ながら更に道沿いに4キロ程直進し、星川に架かる斎条堰の浮桟橋を過ぎて「武蔵水路」に達する手前の丁字路左側に社の社号標柱が見えてくる。そこを左折すると、正面に鳥居が見え、その長い参道の先に常世岐姫神社は静かに鎮座している。
県道左側に設置されている社の社号標柱 社号標柱の遙か先に小さく鳥居が見える。
荒木常世岐姫神社の創建年代等は不詳だが、寛永10年(1633)・元禄13年(1700)の棟札があったという。社記によれば、当社は八王子権現宮と称し、広く崇敬を受けていたと伝える。また、大字渡柳にも同名の社があり、当社から分霊したものと伝えている。
江戸期は、真言宗東福寺が別当を務めていたが、神仏分離によりこれを離れ、明治6年村社に列格した。
200m程の長い参道の先に境内、及び社殿がある 。
地形を確認すると、ゆるやかな上り斜面で、丘の上に社は鎮座しているようだ。
拝 殿
常世岐姫神社 行田市荒木五二三〇
社伝によれば、当社は古来八王子権現宮と称し、広く崇敬を受けていたと伝える。江戸期は、真言宗東福寺が別当を務めていたが、神仏分離によりこれを離れた。
八王子権現は、山王七社権現の祭神の一つ国狭槌尊を祀る。また、八王子は天照大神と素盞嗚尊との誓約の時に出現した五男三女の神、天之忍穂耳命、天之穂日命・天津日子根命・活津日子根命・熊野久須毘命・多紀毘売命(沖津島比売命)・市寸島比売命(狭依毘売命)・多岐津比売命である。なぜ八王子権現宮に常世岐姫神社の名を付けたのかは不明である。
姫とつくことから後者の三柱の女神(宗像大神)を祀ったのではないかとも考えられる。
現在の祭神は、常世岐姫命である。
また、大字渡柳にも同名の社があり、当社から分霊したものと伝えている。
社記によると、寛永一〇年と元禄一三年の棟札があると記されているが、現在、元禄の棟札のみが残されている。
明治六年に村社となったが、当社では合祀は行われなかった。
境内には末社として天神・伊奈荷合殿社と目神社を祀る。末社の祭りとしては、天神社が三月二五日、伊奈荷社が二月二二日となっていたが、これを行わなくなって久しい。
「埼玉の神社」より引用
社殿から見る境内、参道の様子
ところで、常世岐姫神社の祭神である「常世岐姫命」とはどのような人物だったのだろうか。
大阪府八尾市神宮寺に常世岐姫神社が存在する。どうやらこの社が本宮で、残りの分社が埼玉県北部に数社確認されている。この荒木常世岐姫神社はその分社の一つだそうだが、なぜ埼玉県北部しか分社がないかはハッキリと分かっていない。
本宮のある八尾市神宮寺は古代に赤染部という染色技術者集団がおり、ルーツをたどれば6~7世紀に南鮮から渡来した人たちだった。『続日本紀』光仁天皇 宝亀八年(777)四月条によれば、彼らの子孫だった河内国大県郡の赤染人足ら13人が、「常世連」姓に賜ったという。当社はこの常世連が氏神を祀った神社とされ、河内国大県郡にある同名の式内社に比定されている。
この常世岐姫という祭神は、女神であったということ以外、ほとんどのことが分からない。従って当社における箒と結びついた安産信仰もこの祭神の性質と結びついたものかどうか不明である。
また常世岐姫神社の正式名称は明治時代以降のものであり、それまでは「八王子神社(はちおうじじんじゃ)」と称していた。現在も正式名称よりも旧名称のほうが知られており、地図や看板・社頭の石標・八尾市教育委員会の説明標にも八王子神社と記されている。
なお赤染氏は、豊前国の式内社・香春神社の神職でもあったという。香春神社は新羅系渡来氏族(秦氏に連なるともいう)が創建した神社で(豊前国風土記に、「昔、新羅の国の神-香春の神-が自ら海を渡って来た」とある)、その渡来氏族が香春の地から東進して宇佐地方に入り、在地氏族(宇佐氏)と一体化して創建したのが宇佐八幡宮という。
彼らは土木・養蚕・機織・採鉱冶金といった先進技術をもって各地に展開したといわれ、当地の赤染氏もその一族として染色・赤染(紅染・茜染)などの特技をもった技術集団であろうといわれ、時代は降るが、鎌倉時代の吾妻鏡(1300頃)には、
「この地の人々は河内国藍御作手(アイミツクテ)奉行に任ぜられ、諸国へ藍作・藍染の技術を指導した」とあるという。
時代は下るが、常世岐姫神社が鎮座する行田市に隣接する羽生市は江戸時代から藍染生産が盛んで、武州正藍染は地元では有名である。
●天然発酵~武州正藍染~
羽生や加須、行田、騎西など北埼玉で藍が栽培されるようになったのは、江戸時代後半の天明期の頃とされています。もともと農家の主婦が農閑期を利用して、家族の衣服をつくったのが始まりといわれ、明治40年代の最盛期には武州(羽生、加須、行田、騎西)の一大産業となりました。藍染めの職人を紺屋(こうや)職人と呼び、当時200件以上の紺屋があったほどです。武州の正藍染めは、藍の葉から自然発酵建てでとった染料により染めるのが特徴です。手染めなので微妙な風合いがあり、さめるほどに美しい色合いになっていきます。手法としては糸の段階で染める糸染めと、布にしてから染める型染めの2方法があります。武州では全体の7割が糸染めで、型染めは民芸調などの柄が出せます。
境内社 天神 伊奈荷合殿社 境内社 目神社
埼玉県神社庁の説明では、常世岐姫について「姫とつくことから後者の三柱の女神(宗像大神)を祀ったのではないかとも考えられる。」と説明されているが、正直非常に苦しい解釈をしている。また本宮が大阪府にありながら、分社が全国的ではなく、埼玉県北部に数社しかないのも少々気になるところだ。