古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

吹塚氷川神社


        
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所在地 埼玉県比企郡川島町吹塚205
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ご祭神 素戔嗚尊
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社 格 旧村社
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例祭等 不明
  地図 https://www.google.co.jp/maps/@35.9984292,139.4571073,17z?hl=ja&entry=ttu
 両園部氷川神社から埼玉県道74号日高川島線を北東方向に進路をとり、国道254号線を過ぎて350m程進んだ細い十字路を左折し、そのまま道なりに進むと最終的に突き当りとなり、その角地に吹塚氷川神社は鎮座している。
 社の西側には南北に通じる道路(?)があり、そこには駐車スペースも確保されているので、そこの一角をお借りしてから参拝を行う。
        
                   吹塚氷川神社正面
 嘗て川島領・現在の川島町は、江戸時代には川越藩の米蔵と称され、米の生産量を誇ったというほどの一大穀物収穫地帯であり、それを支えたのが、この地域に存在する「中山用水」「長楽用水」の二大農業用水路である。この二つの農業用水路の歴史は古く、共にその起源は近世以前といわれているので、埼玉県下では、最古の部類に属する古い歴史を持つ用水路であるという。
 
            石製の鳥居              参道から社殿を望む。
 此の地は
穀物収穫地帯であったが、同時に荒川低地内に位置し、平均標高は11m12m。四方を越辺川・都幾川・入間川・市野川・荒川等の河川に囲まれているため、古くから水害に悩まされるのは宿命ともいえた。
 吹塚地域は西側に飛び地があるが、その地域は都幾川が越辺川に合流する下流域で、更に越辺川の流路が大きく蛇行する場所でもあり、堤防が切れやすく水害の常襲地帯でもあった。一旦越辺川等の河川が氾濫すると、この辺りは一面海のようになり、その場合「水害予備船」と呼ばれる水塚の軒先に吊るされた舟(揚舟)で行き来するよりほかに交通の手段がなく、僅かな高台がその中継所となったという。
        
                                      拝 殿
 氷川神社 川島町吹塚二〇五(吹塚字中町)
 川島町は四面を川に囲まれ、古くから水害に悩まされてきた。いったん越辺川や都幾川が氾濫すると、この辺りは一面海のようになり、船で行き来するよりほかに交通の手段がなく、わずかな高台がその中継所となった。町内にある吹塚・虫塚・東大塚などの地名は、このような大水の際に目標となった高台を示している。
 当社は吹塚の地名の由来となった塚の上に鎮座している。この塚は高さ五メートル・周囲四〇メートルほどの大きさで、氏子からは古墳であるとも、祭壇であるとも語られている。
 元来は、この頂上に御嶽神社を祀り、麓に氷川神社を祀っていたが、大正十五年に氷川神社の本殿を麓から頂上に引き上げて幣殿・拝殿を新築し、現在のような形となった。
 恐らく、村を開くに当たり、古くから神聖祝されていた塚の傍らに武蔵国一の宮氷川神社を治水の神として勧請し、後に木曾御獄信仰の流布に伴って塚上に御獄神社が祀られたものであろう。御獄神社の石造物に見える「江戸行者寛明院」「江戸永壽講」「慶応一ニ年(一八六七)」などの銘文から、江戸の修行者による布教がその創建の背景にあったことがうかがえる。
『風土記稿』には「氷川社村の鎮守なり、花蔵院持」とある。明治四年に村社となった当社は、大正四年に無格社神明社を合祀し、更に昭和三年には無格社熊野社とその境内社稲荷社を合祀した。
                                  「埼玉の神社」より引用

 川島町吹塚地域の「吹塚」という地名は、「塚」という言葉を用いるように「高台」を意味する地域名であり、この「塚」と認識できるものが、吹塚地域に鎮座する氷川神社の社殿の奥に現実に存在している。
        
                社殿の奥にある「
吹塚古墳」
               墳頂には御嶽神社が祀られている。

 吹塚古墳(別称 御嶽山古墳)は一見円墳の形状に見えるが、他のHPを見ると、「方墳」と認識しているケースが多い。それらの総合的な見解では、一辺35m×高さ5mで、築造年代は不明とされている。
 因みに「埼玉の神社」では、氏子からでの話では、この塚は「古墳であるとも、祭壇であるとも語られている」と記されているので、古墳であるという証拠があるわけではないようだ。
 
 社殿の左側に鎮座する合祀社・稲荷大神、稲荷大神(写真左)。またこの合祀社の脇には板碑の破片が置かれている(同右)。


参考資料「新編武蔵風土記稿」「埼玉の神社」「Wikipedia」等
 

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