古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

須江黒石神社


        
              
・所在地 埼玉県比企郡鳩山町須江412
              
・ご祭神 少彦名命
              
・社 格 旧須江村鎮守・旧村社
              
・例祭等 不明
  
地図 https://www.google.co.jp/maps/@36.0027644,139.3253522,16z?hl=ja&entry=ttu
 竹本黒石神社から一旦南下し、埼玉県道171号ときがわ坂戸線に戻り、その道を東行する。350m程進んだ丁字路を左折、その後100m先の路地を右折すると、進行方向左手の目立たない所に須江黒石神社の正面鳥居、及び社号標柱が見えてくる。
 両黒石神社との距離は非常に近く、直線距離でも600m程しかない。
 近郊に専用駐車スペース、自治会館はない。路面駐車してから急ぎ参拝を行う。
 社は南向きで、岩殿丘陵地面に鎮座しているが、社の南方正面は、長閑な鳩川の支谷沿いに水田が開ける農業地域である。
        
                  須江黒石神社正面
『日本歴史地名大系』 「須江村」の解説
 [現在地名]鳩山町須江

 奥田村の西に位置し、南は大橋村、西は竹本村、北は山嶺を挟み将軍沢(しようぐんざわ)村・鎌形村(現嵐山町)など。村内を鳩川の支流大橋川が流れ、南には同川のつくる低地が広がる。松山領に属した(風土記稿)。
 古墳時代後期の鳥木横穴のほか、奈良・平安期の窯跡である岡城窯跡をはじめとする一〇ヵ所あまりの窯跡があり、南比企窯跡群の中核地域になっている。
       
 鳥居の前方右手にある社号標柱(写真左)と、その右並びに建つ石碑。「富士講」か(同右)。
        
                    鳥居正面
           石段を伴う長い参道であることが目視でも分かる。
  丘陵地斜面上に鎮座する社独特の風景。このアングルは筆者にはとてつもなく美しく感じる。
 
       勾配のあまりない登り階段となっているので、あまり疲れも感じない。
           参道周辺の雰囲気も良く、落ち着きはらっている。
        
                        数段の石段を越えると広い境内に達する。
 境内に達するまでの間、特別奉納された燈篭や、記念碑等の石碑もなく、集会所や倉庫などがある程度。何もないと言ってしまえばそれまでだが、物寂しさは全く感じられなかった。むしろ映画かアニメのワンシーンに登場するような、一昔ならばどこにでもあった素朴な風景で、「余計なものを省いた美しさ」が境内に到着した瞬間に受けた印象である。
 考えてみると、とかく社の格式を、奉納された燈篭や額、記念碑・案内板で飾り立てようとする現在の傾向に対して、鳩山町のお社の多くは、本来の地域の鎮守様としてのありようを無言で諭してくれているようでもあった。まあ筆者の勝手な解釈ではあるが。
       
            参道を進む途中、右側に聳え立つ「鳩山町景観樹木」であるタブノキ。
                指定年月日 平成6年8月1日
                        当社のご神木でもある。
        
                     拝 殿
黒石神社  鳩山町須江四一二
 鳩山町須江地域は、岩殿丘陵の中央部に位置し、鳩川の支谷沿いに水田の開ける農業地域である。須江の地名は須恵器にちなむといわれ、古墳時代後期の鳥木横穴のほか、奈良・平安期の窯跡である岡城窯跡をはじめとする一〇ヵ所あまりの窯跡があり、南比企窯跡群の中核地域になっている。
 須江黒石神社の創建年代等は不詳ながら、明治維新まで「枡井戸遺跡地」近くにあった瑠璃光院が別当を務めており、舛井戸遺跡は瑠璃光院の御手洗井戸として寛徳年間(1044-1046)に建設されたと伝えられることから、古くより祀られてきたのではないかという。江戸期には須江村の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し村社に列格、明治44
年境内末社の愛宕社、および廃寺となった瑠璃光院(医王社)を合祀している。
『新編武蔵風土記稿』須江村の項には、「黒石明神社村の鎮守なり、瑠璃光院持」とあり、その瑠璃光院については、本山派修験の須江山光雲寺宮本坊と号し、薬師堂があったと記載されている。明治初年の神仏分離以降太平洋戦争前までは、地元の日野岡家が代々当社の祀職を務め、同家が本山派修験の流れを汲み、永く当社を守り続けたという。
                                  「埼玉の神社」より引用

 
 拝殿の左側に祀られている唯一の構造物である境内社(写真左・右)。但し社名等詳細は不明。
        
         参道を含めた境内全体に不思議な雰囲気を醸し出している社。
        
                              社の南側に広がる田園風景 
 
 因みに須江黒石神社の東側で道路沿いから「日野岡家住宅長屋門」と「舛井戸遺跡」がある。
 残念ながら「日野岡家住宅長屋門」は事前の勉強不足の為、写真に収めることができなかった。
「日野岡家住宅長屋門」
・国登録有形文化財(建造物)
登録年月日 2007731
 丘陵の南裾にあり,南面して建つ。東西棟の寄棟造,もと茅葺で,平面は桁行15.7m,梁間4.6
mの規模を有し,中央に門口を構え,両側を部屋とする。軒は出桁造,小屋は扠首組で,正面外壁の腰は押縁下見板張とする。形式は簡素であるが,丁寧なつくりである。
        
                              舛井戸遺跡」
 
       舛井戸遺跡」の案内板        井戸の内部。僅かだが水があり、湧水という。
『村指定記念物  舛井戸遺跡』
 寛徳年間のころ(西暦一〇四五年)この地に日出薬師尊があった。参詣する善男善女の御手洗井戸として建設された。以来、今日に至るまで渇水することなく明泉が湧出している。
 先人たちが伊勢神宮、黒石神社に参拝の折に身体を浄めた泉といい伝えられている。又干魃の際には住民の飲料水として近年まで用いられていた。昭和三十二年道路拡張工事により一時埋立られたが、地元有志により復元され由緒ある遺跡として保存することとした。
 昭和5641日 鳩山村教育委員会
                                      案内板より引用

 説明板は「鳩山村」となっているが、この1年後の昭和57年(19824月の町制施行で「鳩山町」に変っている。行政上、簡易的に「村」の一文字だけシール等を貼ったりして、「町」に変えるよりこのままの方が趣きがあるものだ。



参考資料「文化遺産オンライン」「新編武蔵風土記稿」「日本歴史地名大系」「埼玉の神社」
    「案内板」等

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