古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

原島八坂神社


        
              
・所在地 埼玉県熊谷市原島262
              
・ご祭神 素盞鳴命
              
・社 格 旧原島村久保ヶ谷戸鎮守
              
・例祭等 謡初 11日 夏祭り 71314日 
                   厄神除け 
726 
 熊谷警察署がある国道407140号線と同国道17号線が交わる「熊谷警察署前」交差点を利根川方向に1.6㎞程北行する。その後、「くまピア入口」交差点を左折、埼玉県道83号熊谷西環状線に合流後、400m程進んだ「くまぴあ」の立看板が見える交差点を左折し、暫く道なりに進むと、進行方向左手奥手に原島八坂神社のこんもりとした社叢林が小さく見えてくる。
        
                 原島八坂神社正面
 ポツンと佇む小さき社。路地を左折した、道幅の狭い道の突き当たりにあり、一面は民家と畑が混在している中に鎮座していて、地元の人々でも氏子以外は参拝することが滅多に無いのではと思われる社である。
 古来、原島には鎮守が三社あり、それぞれ別の廓(村組)の人々によって祀られてきたという。原島八坂神社は旧窪谷戸(現久保ヶ谷戸)の鎮守社で、久保ヶ谷戸の東のはずれに位置している。
             
                           ご神木の如く聳え立つイチョウの大木
        
                    拝 殿
 八坂神社(てんのうさま)  熊谷市原島二六二(原島字久保ヶ谷戸)
 かつて当社は牛頭天王を祀り、「天王社」と呼ばれていたことから現在も「天王様」の通称で親しまれており、鎮座地の字名も当社にちなんで「天王」という。境内は、原島の廓(集落)の一つである久保ヶ谷戸の東のはずれに位置し、その周囲には民家と畑が混在している。今では、境内には樹木はほとんどないが、太平洋戦争が激化するまでは鎮守の杜と呼ぶのにふさわしく、鬱蒼とした杉が林を成し、社殿の脇には「御神木」と呼ばれていた椋榎の大木もあった。しかし、この神木は戦時中、社殿の後方に軍の防空監視哨が設置された時に、監視の妨げになるという理由で伐採され、杉も戦後に枯死してしまった。
 当社は『風土記稿』に「天王社 窪谷戸の鎮守なり」とあるように、創建以来、久保ヶ谷戸の鎮守として祀られている。ただし、だれがいつごろ、どういう経緯で祀ったものなのかということについては、残念ながら何も伝えが残っていない。なお、当社は江戸時代には真言宗の吉祥寺によって管理されており、古風な趣を持った一間社流造りの本殿の中には、そうした神仏習合の名残で牛頭天王画像が納められている。
 明治になると、吉祥寺の管理を離れ、祭神は素盞鳴命、社名は現行の八坂神社に改められた。更に明治十四年には、久保ヶ谷戸の大火で被害を受けた拝殿も氏子の力によって再建された。
                                   「埼玉の神社」より引用

 氏子の間に伝わる参詣方法は、他の所とは少し違っていて、まず拝殿の正面で一回拝んだ後、社殿を一周してから再度拝むという者である。また、普段はこの所作を一回だけ行うだけであるが、特に強く祈願する必要がある時は、これを何度も繰り返すことになっている。昭和40年頃まで行われていた雹祭り(3・4月の任意の時)・天乞い(夏の日照りが続いた時)・風祭り(9月初めの任意の日)などの際には、氏子全員がこの所作を三回繰り返したという。
        
                  社殿からの一風景



参考資料「新編武蔵風土記稿」「埼玉の神社」等
              

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