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古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

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冑山神社

 国道407号線は、栃木県足利市から埼玉県入間市に至る一般国道で、埼玉県のほぼ中央部を南北に縦貫し混雑が激しいこの道は、関東平野の西端を走っている事もあり、国道129号や国道16号と組み合わせ、神奈川県西部や多摩地域から埼玉県西部、群馬県方面に向かうルートとして利用されている。不思議なことに東山道武蔵路はこの国道407号線上と並行していたと大体においては考えられているが詳細は完全には解明されていない。この国道407号線沿いに甲山神社は鎮座する。
  甲山古墳は、比企丘陵の北東部に位置し、標高約51メートルの丘陵上に構築された古墳で、古墳の形がちょうどかぶとの様な形からこの名がつけられたという。
 この古墳は、墳形が中段にテラスを持つ円墳で、規模は南北径が約90m、高さが約11.25mある。円墳としては、さきたま古墳群の丸墓山古墳(径105m)についで県内第二位の大きさを誇り、全国でも4番目の大きさの円墳だそうだ。
  墳頂には、八幡様の本殿が、また墳丘東側には冑山神社がもうけられ、これをつなぐ石段や参道で一部墳丘が変形しているように見える。
  この古墳の正式な発掘調査はなされていないようだが、江戸時代の地誌である『新編武蔵風土記稿』には、「(略)この塚を掘った時に、石槨の中より甲冑や馬上の塑人(埴輪)・玉・鏡・折れた太刀などが出土した。(略)」と記載されており、この遺物の内容や、近年大里村教育委員会が採集した円筒埴輪の破片から、築造時期は古墳時代後期(六世紀頃)と推定されている。
 この甲山古墳とともに、北へ約1km先の大字箕輪にも、とうかん山古墳と呼ばれる全長74mの前方後円墳があり、当時この地域にはこれらの巨大な古墳を造れる、大きな勢力が存在していたと考えられている。

所在地  埼玉県熊谷市冑山1
祭  神  兄多毛比命
       誉田別命
       大山咋命
       素盞鳴命(明治四十二年に八雲神社を合祀)
社  格  旧村社
例  祭  不明

        
地図リンク
  大里冑山神社は国道407号線熊谷市から南方向、東松山市と吉見町との堺に鎮座する。住所を見ると熊谷市冑山1となっており、この地域の中心に位置しているといったところだろうか。南には1km足らずで大谷瓦窯跡があり、また吉見郡の延喜式内社である伊波比神社、横見神社、高負彦根神社も近隣にあり、大里郡に属する地域でありながら比企郡との関係は深かったろうと思われる地形だ。
  律令時代この冑山地方は比企郡の管轄であったとの考察もある。平安時代前期、九・十世紀ごろと推定される「九条家延喜式背紙文書」にみえる「大里郡条里坪付」は、大里地域に広がる水田地帯に施行された条里を示すものとされるが、その文書によると、当時の冑山、箕輪地域は横見郡内に相当することとなっているようだ。
 
                           
                                                          冑山古墳 遠景
            
埼玉県指定文化財 史跡 甲山古墳
 指定 平成元年三月十七日
 所在 大字冑山字賢木岡西
 甲山古墳は、比企丘陵の北東部に位置し、標高約五一メートルの丘陵上に構築された古墳です。古墳の形がちょうどかぶとの様な形からこの名がつけられました。
 この古墳は、墳形が中段にテラスをもつ円墳で、規模は南北径が約九○メートル、高さが約一一・二五メートルあります。円墳としては、さきたま古墳群の丸墓山古墳(径一○五メートル)についで県内第二位の大きさをほこっています。
 墳頂には、八幡様の本殿が、また墳丘東側には冑山神社がもうけられ、これをつなぐ石段や参道で一部墳丘が変形しているようにみえます。
 この古墳の正式な発掘調査はなされていませんが、江戸時代の地誌である『新編武蔵風土記稿』には、「(略)この塚を掘った時に、石槨の中より甲冑や馬上の塑人(埴輪)・玉・鏡・折れた大刀などが出土した。(略)」と記載されており、この遺物の内容や、近年大里村教育委員会が採集した円筒埴輪の破片から、築造時期は古墳時代後期(六世紀頃)と推定されています。
 この甲山古墳とともに、北へ約一キロメートル先の大字箕輪にも、とうかん山古墳と呼ばれる全長七四メートルの前方後円墳があり、当時この地域にはこれらの巨大な古墳を造れる、大きな勢力が存在していたと考えられています

                                                               案内板より引用
 古墳の中腹に冑山神社拝殿、兼本殿が鎮座している。
                 

  拝殿の裏に回ると石段が墳頂まで伸びて、山頂には八幡神社がある。このような形態は初めてで、どう見ても山頂にある八幡神社の方が立派に見える。
                
                            
                                                               八幡神社本殿
 八幡神社本殿は宝暦二年(1752年)に造られ、昭和五十四年五月十四日に熊谷市指定有形文化財に登録された。一間社流造で本殿の壁面のみならずほとんどの部分に彫刻が付けられた素晴らしい建物である。
  『埼玉の神社』によると、慶長十三年(1608)に村人が古墳を発掘し、剣・鏡・五?玉・土偶・土馬などが出土したが、その後間もなく村に病がはやったので、塚を埋め戻し、祟りを鎮めるため墳頂に八幡神を祀った。一方で、冑山には文永年間(1264~1275)に勧請された日吉神社が村社としてあり、明治四十二年、すでに冑山神社と改称していた八幡神社と合併し、日吉神社を冑山神社と称するようになったが、その後、八幡神社本殿の東下に日吉神社の拝殿が移築されて、現在の冑山神社の姿になったという。

                   



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