古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

正直日枝神社


        
              
・所在地 埼玉県比企郡川島町正直1
              ・ご祭神 大山咋神
              ・社 格 旧正直村鎮守
              ・例 祭 春祭り 45日 例祭 95日 新嘗祭 1213
    地図 https://www.google.co.jp/maps/@36.00111,139.4449608,16z?hl=ja&entry=ttu
 川島町正直地域、「正直」と書いてそのまま「しょうじき」と読む。東松山市古凍地域の南側にあり、国道254号線を川島町方向に進む。古凍鷲神社からは、埼玉県道345号小八林久保田青鳥線に入ってから西方向に進み、「古凍」交差点を左折、国道254号線を川島町方向に進路をとる。荒川低地地帯特有の一面の田園風景が続く中、2.5㎞程進んだコンビニエンスが見える交差点を右折し、300m先の十字路を左方向に進むと、横一面に広がる森の中央、進行方向正面に正直日枝神社の鳥居が見えてくる。
 但し正面鳥居は直接社殿に続く脇の鳥居のようなので、左折して正面方向に回り込むように進む。幸い正面鳥居周辺には、駐車スペースも数台停められる広い場所が確保されているので、路駐する心配もなく、ゆっくりと参拝できる。
        
                                         正直日枝神社参道入口
 直ぐ脇を小さな用水が東西に流れている。「長楽用水」というようだ。この用水路は見た目素掘りと思う位、昔の雰囲気をよく残している。参拝当日は小雨交じりの天候で、これが却ってこの社周辺のビジュアルにもよく合い、とてもしっとりとして穏やかな空気の漂う神社である。
 社はこの用水に沿って横に広がっているので、参道は比較的長めだ。社叢林が社を覆っていて、全体的にほの暗い境内が印象的な社。
              
          鳥居の脇にある社号標柱。「村社」と表記されている。
『新編武蔵風土記稿 正直村条』には「東の方は梅之木・北薗部の二村に接し、西は今泉村に境ひ、北は古氷村なり、東西の径り十三町、南北三町(中略)用水は長樂村地内に堰を設て、都幾川の末流を引そゝぐといえり」と記されている。
 十三町=1417m 南北三町=327mで、現在の行政上の区域とは、若干違いがあるが、南北に比べて東西の距離が極端に長いのは現在も同じで、東西に流れる長楽用水が南の境と成している。
 
   社は長楽用水に沿って東西幅が長く、      参道の右側には直接社殿に通じる
       その参道の先に拝殿が見える。           側面側の鳥居がある。
       
                     拝 殿
 日枝神社 川島町正直一
 当社は、都幾川の水を長楽樋管から引く八ツ保用水の北側に鎮座している。境内地は、東西に細長く、杉並木が美しい。
 創建は、口碑に、当地一帯を領した太田持資の家臣、深谷将監正直が、寛正一五年(一四六〇)に近江国坂本村鎮座の山主権現社を勧請したことに始まる。
 造営史料については明らかにできないが、口碑に、江戸初期まで小規模ながら壮麗な権現造りの社殿があったという。このため、現在、東松山に鎮座する箭弓稲荷神社の本殿造営にかかわった名工たちは、当社に日参してそれを模したと伝える。
 武蔵国一の宮氷川神社社家の『東角井家日記』の文政九年(一八二六)二月二十七日の条には、「川嶋領正直村山王社ニ太々神楽有之、岩井氏隠居罷越、先キ箱鐘持以下等同勢三四拾人ニて罷越衣冠ニて神事勤之侯由」とある。氷川神社神主岩井氏が供を連れ、当社で神事並びに神楽を奉奏している。正直でも氷川講を結成していたのであろう。
『風土記稿』によると、別当は地内の天台宗、直雄山医王院普門寺が務めた。ちなみに普門寺は、眼病治癒の利益のある薬師を本尊としている。本寺は、下青鳥村(東松山)の浄光寺である。
                                  「埼玉の神社」より引用
        
              しっかりと石垣で補強された本殿。
 幣殿も下部は風水口が設けられ、突然の水害等でも対応できるように拵えられている造りとなっているようだ。近代社格制度に洩れている可能性大の社で、これ程の拵えをもつ規模の社を筆者はあまり見ない。
        
                      本殿の後方に祀られている「山王1号墳」
   周辺の開発等で、だいぶ改変されていると思われ、円墳である以外は詳細不明な古墳。
            10m程の直径×高さ1m~2m程の規模だろうか。

 翻って参拝前に感じたこの社全体から感じた幻想的な雰囲気は、当日の雨交じりの曇りという天候や境内中に広がる社叢林、歴史を重ねた重厚な趣のある社殿等あったであろうが、その奥に眠る古墳の力もあったのだろうかと、ふと頭をよぎった次第だ。
        
                      正直日枝神社の鳥居の斜め前にある庚申塔群
 右端の庚申塔は 右側面に「文化十二年 乙亥」(1815)左側面に「三月吉日」と刻まれている。
 
             参道に沿って流れる長楽用水(写真左・右)



参考資料「新編武蔵風土記稿」「埼玉の神社」等
         

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