古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

金山町御嶽神社

 
        
            
・所在地 群馬県太田市金山町4044
            
・ご祭神 国之常立神 大巳貴神 少彦名神
            
・社 格 旧無格社
            
・例祭等 歳旦祭 春祭り 49日 秋祭り 109
                 
冬至星祭り 1222
 
金山城跡本丸に鎮座している社は新田神社だけではなく、御嶽神社・梅若稲荷神社も並列して三座祀られている。御嶽神社は、明治六年(1873)創建であるが、それ以前から石祠として鎮座していた様である。現在の社殿も規模が大きく立派で、旧県社の格式を持つ新田神社より風格を感じる社だ。
 金山は奈良時代には新田(にひた)山、または小新田(をにひた)山と呼ばれ、万葉集にも二首詠まれていて、平安時代から信仰の対象となっていたようだ。
 この「金山」という名称は、古くからこの山に金属や鉱物に関わる信仰があったことを示唆され、山岳信仰や金属神の信仰が根底にあったと考えられる。現に、金山の北東部、菅ノ沢遺跡で須恵器窯跡13基、鉄製炉(タタラ)3基とそれに関連する炭窯や工房跡、および7世紀中頃の古墳3基が見つかっている。山岳信仰である御嶽信仰はかなり前からあった可能性はあろう。
        
           新田神社と並列して祀られている
金山町御嶽神社
        
                    拝 殿
 
      拝殿に掲げてある扁額            重厚な趣のある本殿
        
               拝殿前に設置されている案内板
 御嶽神社の由緒
 創立
 新田神社二代社掌青木庫次郎正績が、金山山頂の草むらにあった御嶽神社の銘がある石の祠(ほこら)と、太田市下田島の岩松新田家(県立太田フレックス高校)に祭られていた御嶽大神の社殿を請い受けて、太田市毛里田・東今泉・東金井・韮川・旧太田の信徒数百名と相計り、旧尾州(今の愛知県の西)の城主徳川従一位源慶勝公の援助に依り、明治六年九月本殿を建て同八年十一月 拝殿竣工、同十二年九月 無格社に列せられた。
 祭神
 国乃常立神(くにのとこたちのかみ)
 国の神格化である神・万物の生命活動の源の神
 神徳 国土安穩・出世成功・開運招福
 大己貴神(おおなむちのかみ)
 大国主命で大黒様、またの名を大穴年遅神・蓋原色許男神
 八千矛神・大物主命などともいう。それだけ多様な性格を持ち、霊的な力も強力。大変ハンサムで、野生的で、力強い神。六人もの有名な女神と結婚し、百八十一柱の神をつくった。
 神徳 縁結び・子授け・夫婦和合・五穀豊稷・商売繁盛
 少彦名神(すくなひこなのかみ)
 海の彼方の常世の国から光り輝いて来られた小人神
 一寸法師のルーツ、大国主命と組んで国造りの大事業を成し遂げ性格は明るくユーモラスで、豊かな技術と知線を兼ね備えた神。
 如何なる困難も克服した精神的に強い神
 神徳 医薬・酒・温泉・農業の神・病難を救って安産・育児の守護神
 祭日
 一月一日 歳旦祭
 四月九日 春祭り
 十月九日 秋祭り
 十二月二十二日 冬至星祭り(以下略)                    案内板より引用
 
           本殿左右に祀られている末社・石祠(写真左・右)
       金山町御嶽神社の左側に祀られている
梅若稲荷神社(写真左・右)
 梅若稲荷神社 由緒
 祭神 宇迦之御魂命(須佐之男神と神大市比売の子)
 本宮 京都 伏見稲荷大社
 創立 金山城と同時、本丸の東北隅に八幡宮と共に石の祠に祀られ、明治初年ここに創建された。
 その頃食用の菜と薬用に供された梅が散在し、その咲き方馥郁とした薫りにちなんで梅若稲荷と名付けられた。
 神徳 代表的な食物神で、五穀豊穣 産業興隆 商売繁盛 家内安全 芸能上達など願事は何でも可能。
                                       案内板より引用


参考資料「ウィキペディア(Wikipedia)」「境内案内板」等
       

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