伊勢大神社
・所在地 埼玉県深谷市横瀬337
・ご祭神 天照皇大神
・社 格 旧無格社
・例祭等 祈年祭 2月19日 例祭 4月10日
新嘗祭 11月15日
群馬県道・埼玉県道14号伊勢崎深谷線を埼玉県境付近まで北上し、「上武生産市場」の丁字路を左折する。埼玉県道355号中瀬普済寺線に入り、そこから1.7㎞程進むと、一面田園風景の中、伊勢大神社の社叢林がポツリと見えてくる。
県道から見た伊勢大神社の社叢林 大木に囲まれて社は鎮座している。
入り口付近に建つ庚申塔と二十二夜塔 真っ直ぐの参道は途中から左側に折れる。
鳥居の先には神明系の社殿が建つ。
伊勢大神社(だいじんぐうさま) 深谷市横瀬三三七(横瀬字伊勢山)
横瀬の地名は、利根川の瀬に沿った地であったところから生じたといわれる。横瀬郷は古くから知られ、上野国金山城主横瀬信濃守の先祖の出生地で、またその所領であったといい、地内には平安期から鎌倉期にかけての横瀬氏居館跡がある。
当社は、古くは太神宮と号し、別当は地内の新義真言宗華蔵寺であった。この華蔵寺は、建久五年(一一九四)の創建と伝え、本尊は大日如来である。また、境内には大日堂があり、この堂は横瀬氏の建立と伝えている。
当社の創建は、この別当華蔵寺の信仰と深くかかわると考えられる。それは鎌倉期成立の『沙石(しゃせき)集』に「内外の両宮は金胎(こんたい)両部の大日とこそ習ひ伝へて侍れ」とあるように、伊勢両宮の大神は大日如来の化現(けげん)したものであると説かれていることによる。
横瀬には、当社のほかに、かつて聖天宮と号していた鎮守の横瀬神社があり、これが貞享年間(一六八四〜八八)に、横瀬が本田と新田に分離したのに伴い、その鎮座地の関係から、新田の鎮守として祀られるようになったものであろう。ちなみに貞享年間は、各地に悪疫が蔓延して死者が多かったので、神威の著しい伊勢の両宮に祈ると称して伊勢踊りが流行し、伊勢信仰の高まった時期である。
「埼玉の神社」より引用
現在、当社の祭典は、2月19日の祈年祭4月10日の例祭、11月15日の新嘗祭の3回行われている。これは、昭和29年の町村合併に際して、横瀬神社の祭日に合わせたもので、両社の総代と指し番は、まず横瀬神社の祭礼に参加し、続いて当社の祭礼を奉仕する。両社の祭典には、総代と指し番のほかに、自治会長・自警団長・婦人会代表が参列するという。
境内に聳え立つご神木(写真左・右)
参考資料「新編武蔵風土記稿」「埼玉の神社」等