井戸八幡宮
この城は、武州児玉党の秩父平四郎行高の男、三郎高俊に始まる。治承.文治の頃(1180年代)この地に居館を構えた高俊は、倉賀野氏を称した。高俊から三代の孫太郎行泰の時(一五世紀初頭)烏川の涯端に新城が築かれ、以後旗本一六騎に盛り立てられて戦国乱世を生き抜いて来た。その間、関東管領山内上杉氏•箕輪長野氏. 甲州武田氏•信長の重臣滝川一益•小田原北条氏等に属し、わずか三千石足らずの小城を支えてきたが、天正18年(1590年)小田原北条氏滅亡と運命を共にし廃城となった。典型的な戦国の城としてその役目を全うしたと言える。現在は城跡の面影は全くなく一面の住宅地であり、わずかに、旧城本丸跡南側が、町内の歴史愛好家グループ(雁会と称す)の手により城址公園として整備されているという。
井戸八幡宮は、倉賀野城三の郭跡の古井戸から、一夜にして水が噴き出し八幡大神が現れたのを起源と伝えられている。
・所在地 群馬県高崎市倉賀野町1437
・ご祭神 八幡大神
・社 格 不明
・例祭等 例祭 8月23日
倉賀野諏訪神社から一旦南下し、群馬県道121号和田多中倉賀野線に戻り、同県道を西行する。その後「倉賀野駅入口」交差点の手前の丁字路を左折し南下、烏川の土手に達する手前の路地を右に曲がると、正面に「井戸八幡宮の縁の井戸」と呼ばれる覆屋、その先に井戸八幡宮の鳥居が見えてくる。
参道右脇には覆屋が建ち、中には神輿が安置されていて(写真左)
その案内板も設置されている(同右)
井戸八幡宮縁の井戸と大神輿
覆堂の中にある井戸が、正面に建つ八幡宮の俗称「井戸八幡宮縁の井戸」です。
八幡宮は、倉賀野城三の郭跡の古井戸から、一夜にして水が噴き出し八幡大神が現れたのを起源と伝えられます。創建は正保三年(一六四六)で、代々の高崎藩主が篤く崇敬し、宮元である田屋町の住民が誇りを持って守ってきました。
現在井戸枠の上には江戸中期頃に造られた立派な神輿が安置されています。この神興は特別の祝祭時に出御する宮神興で、平成十七年九月、倉賀野神社造営七五〇年大祭の時に社殿前に出御されました。
その際は、倉賀野神社の「天明神興」(制作年の天明に因んで呼ばれる)の渡御を迎え、天明神興と共に並んで安置されました。
案内板より引用
井戸八幡宮正面
井戸八幡宮は、古く倉賀野氏の守護神、八幡大神を城内三ノ丸に祠ったことに始まるらしい。天正18年(1590)、小田原北条氏滅亡と共に倉賀野城が廃されると、対岸の木部の住人田口石見守(木部十騎の内)がこの地に移り住み、手蹟・剣術指南を業としていた。正保3年(1646)田口氏持ちの畑の辺の古井戸から八幡神像が出現、高崎城主安藤対馬守の尊信を得て社殿が建立され「井戸八幡」と称した。発見者田口氏は神主に任ぜられた、と伝説は言う。
明治の神社合併からものがれ、田口氏一族はじめ田屋町の氏子により尊崇維持されてきた社。
鳥居の左側に建つ田屋集会所 境内に設置されいる八幡神社 修復記念碑
拝 殿
八幡神社 修復記念碑
御由緒
正保三丙戌年(一六四六) 田口長右衛門辰政ト云フ者アリ在ル夜夢二霊鳩一番現レ其ノ告グル侭二 辰政行キテ見レバ 三月二十三日 倉賀野城三ノ郭跡二 1夜ニシテ井現 冷水ノミナギリテ光放ツ中二 八幡大神降現シ給フ 神変ノ程言葉二尽クシ難シ 里人井戸八幡ト尊信ス
時ノ地頭高崎城主安藤右京進藤原重長へ訴へシカバ 信仰ノ余リ古城二ノ廓ヲ転ジテ新タニ社地トシ社殿ヲ健立 辰政ヲ以テ奉仕神主トス 後ノ高崎城主松平右京亮 祈願有リテ連月代参為ラレ在リ 崇敬限リ無カリシト
又一書二云フ 倉賀野三河守 鶴岡八幡大神ヲ勧請
寛政元年(一七八九)社殿再建 安政六年(一八五九)社殿再建
神輿 享和元酉年(一八〇一)八月二十三日御願済三町ヲ始メテ練ル
明治四十年(一九〇七)大杉神社ヲ合併
祭日 八月二十三日
修復記念碑文より引用
拝殿に掲示されている神興や山車(舞台)、修復完成時の写真
本 殿
本殿奥に祀られている石祠・庚申塔ら 境内に聳え立つ高崎市指定保存樹木のイチョウ
境内に設置されている「倉賀野河岸」の歌碑
井戸八幡宮の前を更に50㍍ほど下ると『倉賀野河岸場跡』である。現在はきれいに護岸工事が施され往時を偲ぶよすがもないが、下流に架かる共栄橋下あたりから上流100㍍くらいが河岸場であり、川に沿って船問屋の蔵屋敷が立ち並んでいたのである。倉賀野河岸の歴史は古く、既に元和年間(一六一五-二三)には舟運 が通っていたらしい。
寛文五年(一六六五)に正式に倉賀野河岸として開場、以後、明治十七年(一八八四)高崎線開通により閉場されるまで220年の長きにわたって、利根舟運の最上流の大河岸として命脈を保ってきたのであり、倉賀野の発展は、同河岸と中山道の宿駅の機能と相俟って支えられたと言って過言ではないといえよう。
参考資料「群馬県歴史の道調査報告書11:中山道」「境内記念碑文」等
