川越市・本丸御殿を見学いたしました。
今回、川越氷川神社・三芳野神社の散策を行った際に、この川越城・本丸御殿を見学いたしました。
川越城(河越城)は、武蔵野台地の北東端に位置する平山城で、長禄元年(1457年)に、上杉持朝(もちとも)の命により、太田道真・道灌親子が築城したものです。江戸時代には川越藩の藩庁が置かれていました。
川越城跡正面
入口正面左側には案内板が展示されている。 右側には「川越城跡」と刻まれている石碑
現在の建物は1848年(嘉永元年)に時の藩主である松平斉典に造営したもので、武家風の落ち着いた造りが印象的な江戸時代17万石を誇った川越城の中でも唯一の遺構が本丸御殿であります。埼玉県指定有形文化財に登録されています。
かつての城は、現在の初雁公園から川越市役所に至る広さであったといいます。大半は失われ、二の丸跡は川越市立博物館・川越市立美術館、三の丸跡は埼玉県立川越高等学校となっていますが、高校の南に、小高い丘の「富士見櫓」跡(埼玉県指定史跡)が残り、頂に御嶽神社と浅間神社が建っているとのことです。
本丸御殿大広間が現存しているのは、東日本でも唯一で、川越城の他には高知城のみであり、城郭御殿全体でも他に二条城と掛川城だけという極めて貴重な遺構であるといいます。
江戸期・藩政時代には、酒井忠勝・松平信綱(知恵伊豆)や柳沢吉保など、幕府の要職についた歴代藩主が多く、幕閣の老中数7名は全国でも最多の藩の1つであり、江戸時代中期までは「老中の居城」であったといいます。
この城の別名は、初雁城・霧隠城といい、関東七名城の1つであり、日本100名城に選ばれています。
参考資料「小江戸川越ウエブ」「Wikipedia」等
