藤間神社
・所在地 埼玉県行田市藤間453
・ご祭神 倉稲魂命
・社 格 旧藤間村鎮守 旧村社
・例祭等 春祭り(日待)4月14日 八坂祭 7月7日
燈篭祭り 10月14日
藤間地域は、行田市東端部に位置し、西で下須戸・小針、東・南・北で真名板に接する概ね見沼代用水の左岸にあたるが、小針との間に相互に対岸飛地がある。また、同地域北端付近を埼玉県道128号熊谷羽生線が東西方向に走っている。
途中までの経路は関根神社を参照。関根神社の東側隣にある「関根農村センター」から南北に通る道路を1.3㎞程北上すると、進行方向左手に藤間神社が見えてくる。但し社のすぐ南側で道路沿いには民家があり、街路樹等に囲まれている為、社を見過ごすかもしれないので注意は必要だ。
また、社周辺には適当な駐車場はないため、一旦300m程北側にある「藤間会館」の駐車スペースをお借りしてから参拝を開始した。
藤間神社正面鳥居
『日本歴史地名大系』 「藤間村」の解説
見沼代用水の東岸、下須戸村の南、小針村の東にあたる。寛永一二年(一六三五)の忍領御普請役高辻帳(中村家文書)に村名がみえ、旗本領で役高一〇九石余。田園簿によると田高六〇石・畑高四九石、旗本加藤領。国立史料館本元禄郷帳、「風土記稿」成立時、幕末の改革組合取調書でも同家領で、同家領として推移したと考えられる。
「大弁才天女像」 鳥居の左隣にある「青面金剛像」
奥州金華山と書かれ、明和八年(1771)建立
参道途中の巨木の根元にも「青面金剛像」が祭られている。
当地の人々の信仰心の高さを物語る文化財だ。
拝 殿
『新編武蔵風土記稿 藤間村』
稻荷社 村の鎭守なり、眞名板村花藏院持、
雷電社 持同じ、
*眞名板村花藏院 新義眞言宗、上ノ村一乗院末、薬王山と号す、本尊不動を安ず、
薬師堂 此堂の傍に親鸞上人の弟子、沙弥西念と云ものゝ建しと云碑あり、
藤間神社 行田市藤間四五三
藤間の地理は見沼代用水(星川)をはじめ数本の用水が北西より南東へ貫流し、雨量が多い時には溢水に遭うほどの低地であるが、平素は「藤間さんまで米の飯、小針はヤキビン(余り飯にうどん粉・味噌を加え焼いたもの)砂ヤキビン云々」と言われるほど肥沃な土地である。
古く、当地には五ノ口の稲荷神社(当社)と一ノ口の雷電神社の二社があり、「風土記稿」によると、両社とも江戸期には真名板村の真言宗花蔵院が管理しており、稲荷神社が村の鎮守として信仰されていた。祭りは、稲荷神社が二月初午、雷電神社が七月二五日となっていた。
明治初めの神仏分離により、寺の管理を離れた両社は、稲荷神社が無格社、雷電神社が村社と格付けられた。
明治四〇年には、稲荷神社境内の右側に雷電神社を合祀するとともに、雷電神社末社の浅間社・塞神社を境内に合祀した。これにより旧来の社名稲荷神社を地名から藤間神社と改めた。祭神は倉稲魂命である。
「埼玉の神社」より引用
拝殿の右並びに祀られている雷電社 社殿奥に祭られている仙元大菩薩の石碑
当社は藤間神社となった今でも「稲荷様」の名で親しまれている。現在の祭りでは、4月14日は「日待」と称する春祭りがあり、14日早朝、総代が神社の扉を開いて太鼓を打ち、祭りを氏子に知らせる。神前に酒を供えて祭典があり、終わると拝殿で直会が開かれる。
10月14日は「灯籠」と呼ばれ、前日の13日に境内に灯篭の準備や飾りつけがなされる。大正末期までは「藤間遊楽団」が組織され、境内には舞台を掛け、万作踊りや芝居を奉納したようだ。この遊楽団は、加須の串作・羽生の新郷、行田の須戸と各地に招かれ芝居を演じていたという。
境内の一風景
『行田の神々24 藤間神社(藤間) 第58話』
藤間地区の見沼代用水沿いに鎮座しています。かつては、村内に稲荷神社、雷電神社がありましたが、明治四〇年に稲荷神社境内に雷電神社が合祀され、社名も稲荷神社から地名をとり藤間神社に改めたといいます。祭神は「倉稲魂」が祭られています。
この神は「倉稲魂」と書いてウカノミタマと読むことが『日本書紀』にあり、『古事記』の『宇迦之御魂神』と同一神でスサノオノミコトの子として出てきます。
ウカノミタマというあまり馴染みのない名前の神様に思えますが、実は五穀豊穣、商売繁盛の神様として全国で最も多く祭られている稲荷社に主祭神として祭られている神様で、私たちにとって身近な神様です。
「倉稲魂」は、倉と稲魂(いなたま)とに漢字を分けて考えると理解しやすく、倉の中に祭られる稲魂の意であり、稲魂は稲霊(いなだま)で稲の穀霊を神格化したものといわれます。
弥生時代から穂刈りをした稲を鼠などの害から守るために高床式の倉庫に保存していました。そうした風景を重ねると理解しやすい神名といえます。
平成十年は天候不順のためか、米作りもやや不作でした。弥生時代の米作りが確認された星宮の小敷田遺跡の発見により、埼玉県において最も古い米作りの伝統を持つことが明らかになった行田の米作りです。新たな年を迎え、今年は実り豊かな年でありますよう期待しています。
参考資料「新編武蔵風土記稿」「日本歴史地名大系」「埼玉の神社」「行田の神々24」等