古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

横沼白髭神社

 横沼白髭神社のご祭神である猿田彦命は、日本神話に登場する神で、『古事記』では猿田毘古神、猿田毘古大神、猿田毘古之男神、『日本書紀』では猿田彦命と表記されている。
『古事記』および『日本書紀』の天孫降臨の段に登場する(『日本書紀』は第一の一書)。天孫降臨の際に、天照大御神に遣わされた邇邇芸命(ににぎのみこと)を道案内した国津神。ものごとの最初に御出現になり万事最も良い方へ“おみちびき”になる大神で、古事記、日本書紀などにも「国初のみぎり天孫をこの国土に啓行(みちひらき)になられた」と伝えられている。後には厄災から人命や家屋・田畑を守ってくれる神として、水害の多発地域内にて信奉される神となったという。
        
              
・所在地 埼玉県坂戸市横沼346
              
・ご祭神 猿田彦命
              ・
社 格 旧村社
              
・例祭等 例祭 315日・1015 
 戸宮八幡神社から
埼玉県道269号上伊草坂戸線に一旦戻り、1.5㎞程東方向へと進路をとり、「三芳野小前」交差点の先にある「坂戸市消防団三芳野分団第2部」の建物が右手に見える変則的な十字路を右折すると、その先に横沼白髭神社の境内や正面入り口にあたる鳥居が見えてくる。
 
駐車場はない。境内西側には隣接する「横沼集会所」があるようだが、この集会所も境内内部にあり、道路沿いにはポールが立ち、車両は中には入れないため、鳥居近くの路肩に路駐し、急ぎ参拝を行った。
        
                                  
横沼白髭神社正面
 入口に面している道路は狭いが、逆に境内は奥行きもあり比較的広い。正面鳥居を過ぎてから一旦行き止まりとなり、そこから右方向に90度曲がり、そこから北方向に拝殿へと通じる参道となる配置。
 
 鳥居を過ぎて参道を進むと、右並びに祀られ   参道が一旦行き止まりとなるその左手
    ている「
白髭大神」等の石碑。       にある、所謂「絵馬殿」の類か?
        
                 正面の拝殿に通じる鳥居
    この鳥居の右隣には一基石祠があり、そこには「八幡型鳥居」と刻まれている。
 坂戸市横沼地域は東側に越辺川及び入間川が合流する場所でもあり、また『新編武蔵風土記稿』にも「水損多し」との記載がある通り、古くから洪水に悩まされた所である。同時に水害の規模は広く隣接する小沼や紺屋両地域にも及び、現在でも地域の東端にある水田地帯は往時河川が最も乱流したところであるという。
       
                   鳥居の社号額
 荒川中流域の右岸一帯には氷川神社が密集している中に、ここ横沼、下小坂、紺屋には三社白髭神社が鎮座している。通説では、白髭神社の建立については、朝鮮半島からの渡来人との関係性を指摘する説もあるが、民俗学者の柳田国男は『柳田国男全集第8巻』の中の「白髭水」の中で、「白髭様といふ神は、東京でも向島の堤の上に祭って居るように、主として水辺の神でありまして(中略)大水の出はなに、白い毛を長く垂れた神様が、水の上を下って来られる姿を見たとか、又は山から岩を蹴りながら、水路を開いて下れたとか謂って、以前は水のほとりに其祭をして居たらしいのであります…」と述べられて、水が白糸のように流れる姿を「白髭」と表現し、「水の神様」として祀られている。そして、その洪水等の厄災から人命や家屋・田畑を守ってくれる神として、猿田彦命を積極的に勧請して祀ったと推察する。

           参道左側には並んで祀られている境内社が鎮座する。
     合祀社・金比羅社・稲荷社・疱瘡社(写真左)、境内社・八坂社(写真右)。
        
                     拝 殿
 横沼村 白髭社
 村の鎮守なり、神體圓き銅の内に鑄いだしたる像にして、年號等も見えず、古き物には非るべし、此社内に氷川と八幡の二神を祀る、忠榮寺持,末社。稲荷社、牛頭天王社、疱瘡神社、金毘羅社、
 稲荷社 牛頭天王社 二社共に村民持、
                                  新編武蔵風土記稿より引用
 白髭神社 坂戸市横沼三四六(横沼字南方)
 当地は東に越辺川及び入間川が流れ、古くから洪水に悩まされた所である(中略)。毎年襲来する台風に村人は悩まされたが、一面、養分を含んだ土壌が堆積されたため他所より収穫の多い土地となっていた。
 当社は、この水田地帯から西にやや上がったところに鎮座し、創立についてはその史料を欠くため明らかではないが、おそらく五穀豊穣・村中安穏を祈り社を建立したものと思われる。
 主祭神は清寧天皇・猿田彦命で、合祀神は保食命である。『風土記稿』には「神体円き銅の内に鋳いだしたる像にして年号等も見えず」とあるが、現在は内陣にこの懸仏はなく、白髭神像を安置している。
 本殿は一間社流造りで、『明細帳』には「享保二丁酉年十一月再営なる由棟札現存す」とある。また、左右には、氷川社・八幡社があり、氷川社の幣串には「氷川文政八年酉四月再建之隆城代」の銘文がある。
 別当は、神仏分離まで真言宗忠栄寺が務め、境内には「別当 忠栄寺恵秀代」の銘文がある寛政一〇年に建立の石鳥居がある。
 明治五年に村社となり、同四〇年には字北登戸の稲荷社・字北方の八坂社を合祀し、更に大正期には字前原方の稲荷社を合祀している。
                                   「埼玉の神社」より引用
        
              拝殿手前には「横沼白髭神社年中行事」の案内板も掲示されている。
        
                                       本 殿
 
 社殿右側に祭られている「富士仙元神社」石碑   その右隣には「白髭大神」の石碑あり。
        
               境内北側に祭られている庚申塔


参考資料「新編武蔵風土記稿」「国土交通省中部地方整備局HP」「埼玉の神社」
    「Wikipedia」「境内案内板」等

拍手[0回]