古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

西島稲荷神社


        
              
・所在地 埼玉県深谷市田所町222
              
・ご祭神 倉稲魂命
              
・社 格 旧西島村鎮守 旧無格社
              
・例祭等 祈年祭 二月初午日 例祭 113日 新嘗祭 1128
  
地図 https://www.google.co.jp/maps/@36.1924874,139.2758131,18z?hl=ja&entry=ttu
 JR高崎線深谷駅南口のすぐ南側に瀧宮神社が鎮座しているが、その社に沿って上唐沢川沿いの遊歩道を西へ300m程歩いて行くと、進行方向正面左側の小高い丘上に西島稲荷神社が鎮座している。
        
                                  
西島稲荷神社正面
 西島稲荷神社は櫛引台地の北端部に位置する。鎮座地のある西島は、『新編武蔵風土記稿 西島村条』に「元深谷宿の内なりしが、正保(一六四四-四八)の改以前に別村となれり」とあるように深谷宿から分離して成立している。
 また、当社の社地は、西島のうち古くは新田町と呼ぶ所にあり、この新田町について、『新編武蔵風土記稿』では「一は深谷宿の内新田町、一は稲荷町の鎮守なり、共に村持」と記載され、また『深谷古来鑑』は「新田町元来畑の所、同年(慶安四年・一六五一)割替り申候」と、当所が嘗て畑地であったことを記している。
        
                  西島稲荷神社参道
 参道沿いに立ち並ぶ奉納された朱塗りの幟(のぼり)旗が印象的。これら多くは地域の信者の寄進によるものだろう。このような幟は、日本では独自の心理的効果を上げる目的で神社仏閣、宗教施設などに多く設置されている。
        
                   鳥居の右側に設置されている「
稲荷神社誌」の石碑
        
                     拝 殿
 稲荷神社誌
 當社は深谷町西島元西に鎮座し祭神は畏くも倉稲魂命であらせられ、神體は唐櫃入神鏡一面と金幣一體とである。其の創立の年代は詳でないが、大里郡神社誌に依れば舊來氏子に岸井友衛門といえる武士ありて壽永年間岡部六彌太忠澄に随身し一の谷に戦死したといい、當社はこの岸井氏の祖先の勧請にかかり山城国伏見稲荷の御分祀であると傳えられている。尚、社側に聳ゆる御神木の欅に徴し又町内随一の形勝ともいうべき臺地の杉林中に建てられたことや、古来村鎮守とか西島稲荷大明神などと稱え來ったことから推して、其の創造が如何に久しきかを知ることが出来る。恒例の祭日は例祭十一月三日、祈念祭二月初午日、新嘗祭十一月二十八日、小祭は四月三日である。當社の社殿より階段に連なる鳥居や御神燈は霊験のあらたかさと信者の赤誠とを物語っている。又昭和七年唐澤堤から設けられ、ついで氏子の奉仕による境内の新装成り。何人も遥に赤城の霊峯を仰ぎつつ、春は長堤の櫻花に英気を養い、夏は由緒深き聖境に心身を浄化し、普く神徳に浴することを得るに至った。殊に昭和九年より開かれた参道は、昭和八年竣功を遂げた元宮橋と相俟って参詣者にこよなき利便を與えている。實に神威は無窮である。
                              「
稲荷神社誌」の石碑文より引用
 
 拝殿に掲げてある「西島稲荷神社」の扁額           本 殿
       
               本殿右側で、上唐澤川沿いに屹立するご神木(写真左・右)
        
                   拝殿からの眺め


参考資料「新編武蔵風土記稿」「埼玉の神社」「Wikipedia」「境内石碑文」等

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