赤尾金山彦神社
・所在地 埼玉県坂戸市赤尾1867
・ご祭神 金山彦命
・社 格 旧村社
・例祭等
赤尾金山彦神社は、島田天神社から赤尾白山神社に向かう進路の途中で、偶々出会った社である。赤尾白山神社から直線距離にして800m程南方向に位置し、この社も南方向に流れる越辺川を背にして、三方は全て田畑が広がる中、ポツンと静かに祀れている。
赤尾金山彦神社のご祭神は金山彦命。この神は日本神話に登場する神である。神産みにおいて、イザナミが火の神カグツチを産んで火傷をし病み苦しんでいるときに、その嘔吐物(たぐり)から化生した神である。『古事記』では金山毘古神・金山毘売神の二神、『日本書紀』の第三の一書では金山彦神のみが化生している。この神は古来より剣・鏡・鋤・鍬を鍛える守護神で、製鉄や鍛冶生産を守護する神として信仰されている。
越辺川を背にして静かに鎮座する赤尾金山彦神社
同じ赤尾地域内の白山神社には一目連神社の石祠が祀られている。一目連神社は天目一箇神を祭神とする伊勢国二ノ宮多度大社の別宮名である。因みに多度大社は本宮である多度神社と共に、別宮である一目連神社の2社セットで多度両宮とも称している。
この一目連神社のご祭神である天目一箇神は、天津彦根命の子である。鍛冶の神であり、『古事記』の岩戸隠れの段で鍛冶をしていると見られる天津麻羅と同神とされる。神名の「目一箇」(まひとつ)は「一つ目」(片目)の意味であり、鍛冶が鉄の色でその温度をみるのに片目をつぶっていたことから、または片目を失明する鍛冶の職業病があったことからとされている。これは、天津麻羅の「マラ」が、片目を意味する「目占(めうら)」に由来することと共通している。
『坂戸市史 民俗史料編 I 』には「片目になった赤尾のお諏訪さま」という伝承・伝説が今に語り継がれている。
昔、大雨が降り、越辺川が氾濫し島田が危なくなった時、島田のお諏訪さまと赤尾のお諏訪さまの姉弟が竜神となってあらわれ、小沼にある附島の土手をきろうとした。すると、小沼のお諏訪さまが槍を持ってあらわれ、大ゲンカとなった。そのとき、赤尾のお諏訪さまは槍で目をつかれたのがもとで、片目になったといわれている。
「赤尾のお諏訪さま」とは同じ地域に鎮座し、埼玉県道74号を挟んで南方向に鎮座する諏訪神社のことであるが、同じく越辺川右岸に鎮座する社でもあり、お互い距離も近いため、民衆レベルの交流は当然あったと思われ、赤尾地域として同じ伝承・伝説を共有していたと考える。
ともあれ赤尾地域は嘗て鍛冶・金属加工が盛んな地だったのではないかと、勝手に想像を膨らましてしまいそうな社名である。
赤尾金山彦神社正面 鳥居の社号額
おそらく社殿と共に鳥居も近年改修されているのであろう。朱色の両部鳥居は、周囲が田畑風景の中において、ひと際目立ち、社号額も目新しくなっている。境内もきれいに手入れされており、この地域の方々の社に対する思いを感じた次第だ。
拝 殿
金山彦神社 坂戸市赤尾一八六七
当社は入間郡の北端、越辺川流域の低湿地に位置する農業地帯である赤尾に鎮座し、金山彦命を祀る。
その創建については、寛延年間の洪水により、社殿とともに由緒書など、ことごとくを流失してしまったため明らかではないが、氏子の間では、南北朝時代に赤尾開村の折、鎮守として勧請したもので、それゆえ鎮座地の地名を本村と呼ぶのだといわれている。(中略)
当社は、金山様の通称で氏子に親しまれているが、年配の人々は氏神様とも呼び、毎月一日・十五日には月参りに来る人もある。このほかオビアゲ(初宮詣)・帯解き(七五三詣)・新婚宮参りなど、祝事があった時には必ず当社に参詣し、神恩に感謝するとともに、より一層の幸を祈願する。
赤尾は、川沿いの低地であるため、往古より「蛙の小便で水が出る」といわれるほど、度々水害を被り、家屋や田畑が流出した。そこで、水害を防ぐため、昭和三四年に越辺川の河川改修が行われることとなったが、この際、当社の境内地が堤塘敷となることになった。このため、字本村から字川久保の現在の鎮座地へ遷宮が行われ、また、これを機に社殿も新築された。
「埼玉の神社」より引用
社殿右側に鎮座する境内社・御嶽神社。 御岳神社と社殿の間には
社の中には不思議な石編が祭られている。 桜の老木・巨木が聳え立つ。
社の東側には真っすぐに越辺川の土手が続く。
ところで金山彦神の神格は、『古事記・天の石屋』の段において「天の金山の鉄を取りて、鍛人の天津麻羅を求めて、伊斯許理度売命に科せ、鏡を作らしめ」とあり、この段の文脈や同時に生まれた神々全体の理解のしかたによって異なる解釈が導き出されている。
(1)この神々の誕生を火山の噴火の表象と捉え、嘔吐が溶岩の流出を表して、その中に鉱石が存在することを金山の二神が表しているとする説。
(2)鎮火祭に由来する神話と捉え、火を鎮める刀剣関連の神々が次に生まれてくるのに先立って、刀剣の材料としての鉄を表しているとする説。
(3)金属の中でも生活に重要な鍬を司る神であるとする説。
(4)誕生した神々がみな火の効用を表すと捉え、この神は冶金のための火の効用を表しているとする説。
(5)この神々を、伊耶那美神の復活を祈る神招ぎの香具山祭祀における一連の呪具の神格化とし、天の石屋の段で呪具の材料の拠り所となる「天の金山」と対応した神名とみる説。
等がある。
『新編武蔵風土記稿』には、越辺川の上流域から坂戸市の市域には鍛冶などの小字名が、広範囲に分布していて、越辺川の流域では金属の精錬が行われていた可能性がある。
白山神社や金山彦神社が鎮座する赤尾地区。「赤尾」の「赤」を冠に持つ地名や川や沼は、古来から砂鉄に関連しているという。恐らく、鉄が酸化すると酸化鉄として赤くなることに由来するのであろう。
赤尾地域に近い坂戸市石井地域には勝呂神社が鎮座しているが、そもそも「勝呂」という地名は朝鮮語の村主(すくり)からきているという。村主とは、渡来人技術者集団の統率者を意味する語であり、つまりは、技術に優れた集団が、しっかりとした目的をもって「村主=勝呂」を目指し、移住したと考える。その一派が赤尾地域に移住したのではあるまいか。
参考資料「新編武蔵風土記稿」「埼玉の神社」「國學院大學 古事記学センターウェブサイト」
「坂戸市史 民俗史料編 I」「Wikipedia」等