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古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

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熊野大神社

所在地      埼玉県深谷市東方1708
主祭神      伊弉冉命
           
事解男命
         
 速玉男命
         
社  格       旧郷社

創建年代     社伝では、延長五年(927)この地に枇杷の木を棟木にして小社を建て、上野国碓井
                       郡  熊野
本宮より奉遷し東方と号す
る、とある。
延喜式神名帳  白髪神社 武蔵国 播羅郡鎮座
例  祭        10月15日 秋季例大祭

               
地図リンク
 熊野大神社は高崎線深谷駅から国道17号で熊谷方向に進み、東方交差点を左折する。そして左側にコンビニエンスがある次の交差点を左折するとすぐに右側に熊野大神社の鳥居が見える。駐車場は、境内の右側にあり、自動車は駐車可能だ。
                     
                     
                     

 
十二代景行天皇御代日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征のときに当地を通り、里人に「東の方は何れに当れるや」とたづねたという。醍醐天皇の御代に至り、この地に枇杷の木を棟木として小社を建てて、日本武尊の故事により東方村と名づけられたという。
          
                    熊野大神社 本殿 深谷市指定文化財

由 緒
 古くより小さな社があり、東方という地名もこの社から生まれました。天文(1532~55)の頃、深谷上杉三宿老、皿沼城主岡谷加賀守清英がこの地方を領し、熊野大神社を深く崇拝し、社領を寄進し、今でも熊野免という年貢を免除した土地があります。同じく三宿老の一人、上野台領主秋元但馬守景朝、その子越中守長朝は、当社が上野台の館の東北にあたっているので、城の守りとして崇敬し、天正年間(1573~92)に当社の社殿を造り、現在本殿正面の桁に家紋が彫刻されてあります。天正18年(1590)徳川家康、江戸入城後、松平丹波守康長が東方城主となりましたが、当社を信仰、社領を免除しています。
                                                                                                                                                     全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年

 この社は平野部の街中にある神社としては比較的境内は広く、ゆっくりと散策できる。また、多くの境内社もあり見所も多い。
                 

             
                          熊野大神社の静かな佇まい
  由緒書きには、「延長五年に(中略)上野國碓氷郡の熊野本宮より奉遷し(後略)」とある。つまり現在の群馬県と長野県の境にある「熊野神社」からの勧請と考えるのが妥当な話だ。すると不思議な疑問が出てくる。この社は「武蔵國 幡羅郡 延喜式内社 白髭神社」の比定社らしいが、この白髭神社との繋がりはどう考えればいいのだろうか。本当に白髭神社と比定されるのだろうか?
                       
熊野大神社
 深谷市東方1708-1
 当地は古くから開かれた土地であり、地内は家型埴輪が出土した古墳期の森末古墳、奈良期から平安期にかけての堂明様遺跡などが知られています。当社の創建について、社記に-延長5年(西暦927年)この地に枇杷の木を棟木にして小祠を建て上野国碓氷郡熊野本宮より奉遷し東方村と号す-とあります。
 御祭神は伊邪那美命・速玉男命・事解男命の三柱です。
 現在の本殿は上野台の領主萩元但馬守景朝、その子秋元越中守長朝が、当社が館の東北にあたっている事から城の守り神として崇敬し、天正年間(西暦1573年から92年)に当社に社殿を寄進したものであり、本殿正面の桁に秋元家の家紋の彫刻が施されております。
 文政2年と平成11年の大修理を経て今日にいたっております。本殿は昭和34年11月3日に深谷市の指定文化財に指定されました。
 中仙道から一の鳥居をくぐって約300mの参道に入ると両側に奉納された三十九基の石灯籠が続き二の鳥居を過ぎ四百五十二本の玉垣に囲まれた境内地に進むと右側に樹齢350年のご神木の大欅がそびえています。
 三の鳥居をくぐり本殿西側を進むと、氏子の皆様に献木していただいた450本のヅツジ林があります、更に歩くと北に上毛三山を一望出来る大パノラマが開けます。
 主な祭事は春の大祭(4月15日)・秋の例大祭(10月15日)です。
 幡羅小学校児童による浦安の舞いの奉納・入木節の奉納など次代を担う人々の参加は心強いものがあります。又、初詣は年ごとに参拝者が増えており大変な賑わいです、大晦日に「おたきあげ」の火を囲んで甘酒を戴きながら新年を祝う人々の輪は、平和のありがたさを実感させる美しい光景です。元旦は社務所で初釜を催しております、気取らない茶席です新年はぜひおいで下さい。
 当社の氏子数は850戸、また崇敬者は2000人位です。
                                                                                                                                                   平成15年 9月 宮司 栗原時雄社頭掲示板より

                           
 境内には、樹齢350年のご神木の大欅がこの社を守るかのようにそびえている。神木とは、古神道における神籬(ひもろぎ)としての木や森をさし、神体のこと。また依り代・神域・結界の意味も同時に内包する木々であり、日本人は四季折々の自然に対して畏敬の念を抱き、そこに神様を信仰するようになった。今なお暮らしの中にあるご神木が「日本人の心」によって守られている。どんなに文化、文明が進もうとも、日本人としての先史時代から頑なに続く遺伝子は絶えることはない。大切にしたいものだ。

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