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古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

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中蒔田椋神社

所在地    埼玉県秩父市蒔田2167  
主祭神    猿田彦命 大己貴命 天下春命
         (合祀)菅原道眞 大山津見命 素盞嗚命 大山津見命 武御名方命 大地主命
社   格    式内社 旧村社 
社   紋    抱き稲
例   祭    3月3日

 
                   
地図リンク
  中蒔田に鎮座する椋神社は、秩父鉄道大野原駅から、直線で北西2kmほどの場所にある。秩父橋を越えて、299号線を西へ道なりにまっすぐ進むと大きくカーブしている場所があり、蒔田交差点の手前のT字路を右折すると正面に蒔田椋神社のこんもりとした森の空間がそこにある。
  東南向きに小じんまりとした境内があり、中央に社殿がある。また社殿の左右に、二つずつの小祠の境内社がある。
  永禄年間に甲斐国領主武田信玄の進行に遭い兵火に罹り、社殿・古記録を焼失し、社領も没収されたという。その後宝暦十三年に社殿を再建し、明治六年に、熊谷県より、延喜式内と称することを許可された。
                      
                      
椋神社
 当神社は往古より延喜式内の社と古老の口碑あり。然るに永緑年間の兵火に依り旧殿旧記書類悉皆焼失し、社領没収せらる。社領旧社地は神畑田耕地の字名として現存す。石器時代の遺物石杵は當社の宝物にして今尚存し神宝石と称し來れり。里人愁ひて後年仮宮を造営し古例の如く執行。宝暦13年未本社再建。明治6年7月2日熊谷縣に於て延喜式内の社と可称旨達あり。同7年4月8日同縣に於て祠掌を置かる。明治9年6月10日熊谷縣に於て村社に列せらる。同年10月5日拝殿再建す。
                                                  昭和27年神社明細帳
            
                                本   殿
  
中蒔田椋神社は、秩父地方でも古風の形態の神楽である秩父神社系神楽を今日も百数十年間も継承し、秩父市指定無形文化財に認定されているそうだ
   

市指定無形文化財
中蒔田椋神社の神楽
 秩父地方に数多い神楽も、その由来や舞の型態等によって、いくつかの系統に分かれます。なかでも古風な舞をもち、盆地内に広く分布し、その主流をなしているものは秩父神社系神楽です。
 この秩父神社の神楽も幕末から明治の一時期にかけて、後継者不足から休止のやむなきに至ったといわれ、その断絶を憂えた秩父神社の神楽師佐野宗五郎は、蒔田椋神社祠掌設楽一貫と計り、椋神社氏子に伝授したと伝えられています。
 明治7年3月の「太々神楽装束勧進録」には、「天朝庚平区内安全五穀成就氏子一統開化進歩へ時勢二不渡戸々家々為繁栄祈念年々祭日永代太々神楽を奏する事」。とみえることから明治7年には既に伝授されていたものと考えられます。その後座や舞の変革はほとんど行われていないので、当時の秩父神社神楽の形態を伝えるものといえます。
 昭和47年4月6日 指定
 秩父市教育委員会
                                                                                                                 境内案内板より引用

 
     
社殿右側境内社八坂・産泰神社        社殿右側に鎮座する境内社稲荷・八幡神社

 


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