古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

広田鷺栖神社

 広田鷺栖神社は鴻巣市川里地区にあり、旧名広田村と称し、古くから田地として開発されている肥沃な土地であり、現在も白鷺の姿を多く見るところである。埼玉県神社庁発行の「埼玉の神社」によれば白鷺が田に下り稲を荒らしても、農民は決して追い払うことをせず「お鷺様お立ちください」といって去ってもらうという。また、過っても鷺を殺すと口のきけない子供が出来るといわれている。
 コウノトリ伝説で有名な鴻巣市らしい説話だが、このような鷺の伝承、伝説がこの広田鷺栖神社周辺に少なからず存在している。

         
            ・所在地 埼玉県鴻巣市広田3814
            ・ご祭神 日本武尊
            ・社 挌 旧広田村鎮守・旧村社
            ・例祭等 筒粥神事 215日 春日待 415日 秋季例祭 1015日
 広田鷺栖神社は埼玉古墳群の南東方向にあり、県道313号北根菖蒲線に面して鎮座している。地図を見ると良く解るが、不思議とこの鷺栖神社から埼玉古墳群の丁度中間地点には小崎沼があり、何かしらの関連性を伺わせる位置関係にあると思われる。
                
                           広田鷺栖神社正面
 広田鷺栖神社が鎮座する旧川里町周辺は、一昔まではサギ山と言われる集団繁殖地(コロニー)を形成していたらしい。このサギ山は現在でも日本各地にあるが、全国各地に「鷺山」という地名がたくさん残っていることから、かつては現在よりもさらに多くのサギ山があったと考えられている。
 埼玉県内でもこのサギ山は20年前までは14か所あったらしいが、水田転作で田んぼが減ってしまったり、田んぼが近代化することで、サギのエサとなる魚やカエルにとって住みにくい場所に変わってしまったため、サギ類の数は以前よりは少なくなってしまいサギ類の集団繁殖地サギ山も減少傾向にあり、現在では5か所と約3分の1になってしまったという。残念な現実だ。
 
            入口近くに設置されている「広田のささら」の掲示板(写真左・右)
 鴻巣市指定無形民俗文化財
 広田のささら   昭和50年12月15日指定

 広田のささらは、別名「龍頭舞」といい、頭に龍頭をかぶって舞う獅子舞である。
 この獅子舞は、寛永十六年(一六三九)七月二十七日より地区内の諏訪神社で始められたと伝えられている。その後、明治四十二年に諏訪神社が鷺栖神社に合祀されてからは、獅子舞は鷺栖神社の神事として毎年十月  十五日の大祭に、五穀豊穣と悪魔除けを祈願して奉納されている。(中略)               境内案内板より引用
 広田鷺栖神社の氏子区域は旧広田村で300戸程あり、現鴻巣市旧川里村全域の鎮守様である。当所は旧村名の広田が示すように水稲・陸稲の田地が広がる肥沃な地であり、このため、鴻巣市の指定無形民俗文化財である「広田のささら」を始め、多くの農耕関係の行事をよく伝えている所である。 
           
                      境内に建つ朱が鮮やかな二の鳥居                                                       

           
                               拝  殿        
『新編武蔵風土記稿 広田村』
 鷺宮 村の鎭守とす、祭神詳ならず、
 別當金剛院 本山修驗、屈巢村櫻本坊の配下なり、本尊不動を置、

 鷺栖神社  川里村広田三八一四(広田字東)
 当社の創建については、社伝に「昔伊勢の国・能保野(のぼの)を発ちし日本武尊の神霊白鷺の姿となり当地に飛来し翼を休める、当社是により祀る。社殿の造営は明応七年、鷺の宮と号す」とある。
 当地区は旧名広田村と称し、古くから田地として開発されていつ肥沃な土地であり、現在も白鷺の姿を多く見る所である。白鷺が田に下り稲を荒らしても、農民は決して追い払うことはせず、「お鷺様お立ちくだせい」といって去ってもらうという。また、誤っても鷺を殺すと口のきけない子供が出来るといわれている。
 祭神は日本武尊であり、古くは修験金剛院が当社の別当を務めた。明治二年神仏分離により、鷺栖神社と改称する。明治以降、当地の倉川家が神職となり、のちに松岡家がこれに代わって祀職を務めている。
 元禄一四年銘の棟札及び文政三年の修理棟札を有した旧本殿は、昭和四一年の台風により倒壊し、現在の社殿はその後の再建である。
 明治四二年一一月に字本村の榛名神社・諏訪神社、東の久伊豆神社、原の子宮神社、谷畑の天神社、三ヶ谷戸の八幡神社、堤の秋葉神社、六軒の日吉神社の八社を本殿に合祀している。
なお、合祀跡及び旧別当金剛院跡地は小作地としていたが、農地解放により失った。
                                                        「埼玉の神社」より引用

 拝殿上部には「筒粥神事」の進行を記した目録が張られている。
 215日の筒粥は、合祀前東の久伊豆社組の行事であったが、合祀後当社の行事となる。筒粥には、白米一升二合(閏年一升三合)小豆一合二勺(閏年一合三勺)竹又は篠(節なし)長さ一寸二分(閏年一寸三分)二九本が用いられ、神前(拝殿前庭)に竈作りと称し太い生木を三本左義長(サギッチョ)に立て、これを釡にかける。竹筒に粥が入った状態により二九種の作物の出来を占うという。
 
        拝殿上部に掲げてある扁額                       拝殿内部
 
    社殿の左側にある境内社 榛名神社       社殿の奥には弁天・塞神等の石祠が祀られている。
           
                           境内西側にある神楽殿 
              神楽殿の右側並びには幾多の伊勢講記念碑が並んでいる。
            
                                             埼玉県道の南側にある一の鳥居と社号標 
          
 広田鷺栖神社の一の鳥居から西側道路隅に「鴻巣市指定文化財 天然記念物」の指定を受けている『新井家の大榎』の大木・老木ある(写真左)。高さはそれ程ではないが、幹回り等、なかなかの貫禄があり、案内板(同右)によると天正19年に新井家のご先祖がこの地に定住した時点で、既に大木であったというのだから、推定樹齢は430年以上となろう。

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