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古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

箕田2号墳(三士塚)、宮前宮登古墳

 箕田古墳群は鴻巣市にある古墳群で、大宮台地の北端部に位置し、東西800m、南北800mの広大な地域に渡って分布している。古墳は荒川・元荒川の沖積地に囲まれた標高16~18mの台地上に立地し、九基の古墳が確認されているが、現在は7基が残っているそうだ。その中でも箕田2号墳、宮登古墳が特に有名だ。
       
1 箕田2号墳(三士塚)
 所在地   埼玉県鴻巣市箕田(字九右衛門)1260
 区  分   鴻巣市指定史跡 1970年(昭和45年)3月10日
 埋葬者   不明
 築造年代 6世紀後半(推定)
 箕田古墳群の代表格のような古墳で別名「三士塚」。5号墳に次ぐ箕田古墳群第2位の規模をもつ古墳である。現状は直径23m、高さ3mを測る円墳で、墳丘の形状を良く残しているといわれている。周辺が宅地化されているにも関わらずこの古墳の辺りだけは緑に囲まれひっそりと佇んでいる。
           
箕田古墳群
本古墳群は大宮台地の北端部に位置し、東西800m、南北800mの広い地域に渡って分布している。古墳は荒川・元荒川の沖積地に囲まれた標高16-18mの台地上に立地し、龍泉寺・富士山・宮前・稲荷町の四つの支群を形成している。
今までに九基の古墳の所在が知られているものの、現在は1・3号墳が消滅しているため、わずかに七基の古墳が残っているのみである。しかし、付近一帯に埴輪片が採集される事実からすると往時は相当数の古墳が存在していたものと思われ、鴻巣市では生出塚古墳群と並んで最も多くの古墳が密集していた地域である。
発掘調査は昭和3年に柴田常恵氏によって7号墳が行われたのをはじめとして2・3・9号墳(宮登古墳、宮登神社内)で実施されており、須恵器有蓋高坏・はそう・埴輪・金環・切子玉・丸玉・鉄鏃等が発見されている。
箕田古墳群の築造年代は、出土遺物や最近の発掘調査より六世紀初頭から七世紀中葉の約150年間に及ぶことが判明している。

箕田2号墳
本墳は別名「三士塚」と呼ばれ、5号墳に次ぐ箕田古墳群第二位の規模をもつ古墳である。現状は直径23m、高さ3mと測る円墳で、墳丘の形状を良く残している。
昭和58年に隣接地で発掘調査が行われ、墳丘を巡る周溝が確認されている。それによると築造当時は、直径32mを有する大型古墳であったことが明らかになっている。また周溝より須恵器有蓋高坏・甕の破片及び埴輪片が検出されており、本墳は六世紀後葉に築造されたものであることが判明している。
なお、本跡の南側一帯は箕田館の推定地となっており、それに関連して本墳は武蔵守源任及び妻子の墓とする古記述がある。しかし、築造年代からするとこの記述を信用することはできず、おそらく後世に両者が結びついて伝承されたものであろう。
                                                           案内板より引用
 昭和58年の調査では、周溝(しゅうこう)が確認され、築造当時は32mの大型古墳であったことや、出土品から、築造年が6世紀末であることが判明している。またこの古墳に接して氷川神社の故地があり、「新編武蔵風土記」には「社(氷川神社のこと)の後に小塚あり、高さ六、七尺幅十二、三間、往年土人此塚を穿ちしに、古鏡太刀などの朽腐せしものを得たり、これ古へ貴人を葬埋せし古墳なるべしといへり」と紹介している。


2 宮前宮登古墳
 
 所在地   埼玉県鴻巣市宮前88
 区  分   鴻巣市指定史跡 1970年(昭和45年)3月10日
 埋葬者   不明
 築造年代 7世紀前半から中頃(推定)
                  
 宮前宮登古墳は宮登神社の奥に小じんまりと佇んでいる。通称箕田9号墳。よく見ると社の後方に箱式石棺の一部が露出していて、案内板には石室について記述されている部分もあり、それが石室の一部ではないかと思われる。
  発掘調査が1959年に行われ、埋葬施設は横穴式石室となっている。出土したものとして須恵器、土師器、切子玉、管玉、丸玉、鉄鏃などが知られている。
           
                 宮前宮登神社の鳥居周辺にあった宮登古墳の案内板
 宮登古墳
 箕田古墳群中の一基で、荒川に面する大宮台地の西側縁辺部に位置している。
墳丘の保存状態は比較的良好で、直径20m、高さ2m程を有する円墳である。昭和34年に埋葬部の発掘調査が行われており、それによると主体部は、角閃石安山岩を使用した胴張り型横穴式石室で、玄室長2.9m奥壁幅1.3m、高さ1.65mを有する。
 玄室内からは、須恵器はそう・鉄鏃・切子玉(水晶製)・管玉・丸玉他が出土しており、これらの遺物から七世紀の前半から中頃かけて築かれた古墳と考えられている。また、埴輪類は認められていないので、埴輪樹立の風習が行われなくなった以後のものであろう。
なお、石室に使われた角閃石安山岩は、群馬県榛名山二ツ岳の爆発によりできた岩石で、利根川流域に分布する。本墳を作った人々は利根川からわざわざこの岩石を運んだものであろう。
                                                           案内板より引用

 この案内版によると、この石棺使用された角閃石安山岩は群馬県榛名山の火山噴火でできた火山岩である。この角閃石安山岩とは、火山岩の1種類で、角閃石を含んだ安山岩をいう。 特に、古墳時代の群馬県においては、Hr-FP(榛名山の噴火)の噴火による軽石を指す。古墳時代に大量に石を必要とする古墳の石室や羨道造りに多数使われており、綿貫観音山古墳、総社二子山古墳を始めとした横穴式石室を持つ古墳によく用いられ、群馬県、埼玉県では120基以上の古墳で使用された。

 宮前宮登古墳は箕田古墳群の他の古墳と異なる系統の石材が使用され、周辺の支配者の系譜に何らかの変化があったのではないかと言われているが詳細は現在不明だ。

               

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