古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

小泉八合神社

 上尾市・小泉地域は、市西部の主に大宮台地上に位置する。東側を泉台や浅間台と隣接し、南側を弁財や今泉、西側から北側にかけて小敷谷や中分と隣接する。大字小泉は町丁である小泉一丁目〜九丁目を挟み南北に分かれている。町域の東部の低地を鴨川が流れ、親橋や子橋や新弁財橋が架かる。鴨川にはカワセミやカルガモなどの鳥類や鯉やマルタウグイなどが棲みついている地区は上尾環状線(通称BS通り)以南は市街化区域で主に第一種低層住居専用地域に指定され、地区南部の古くから開発された大字小泉とその周辺を中心に三井住宅などの住宅が建ち並ぶが、北部を中心に畑地もまだ多く残っている。
 もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡石戸領に属する小泉村、古くは南北朝期より見出せる「こいつみの郷」であった。小泉は古泉とも記された。かつての藤波村の枝郷で下藤波と称された場所に当たり、現在の藤波は上藤波、中分は中藤波と称されていた。その後正保〜元禄年間(1644年〜1704年)小泉村が藤波村より分村したという。
        
              
・所在地 埼玉県上尾市小泉443
              
・ご祭神 素戔嗚尊 大雷命 菅原道真朝臣
              
・社 格 旧藤浪村枝郷古泉村鎮守・旧村社
              
・例祭等 祈年祭 226日 夏祭り 714日 例祭 1015 
                                      秋祭り 1014日  新嘗祭 1122 
 藤波天神氷川八幡合社から南東方向に走る道を1.7㎞程進行すると、「小泉」交差点に達し、そこを左折、埼玉県道323号上尾環状線を東行し、北上尾駅方向に進む。その後「泉台一丁目」交差点を右折し、通称「泉が丘通り」を500m程南下すると、進行方向右手に小泉氷川公園があり、その西側隣に小泉八合神社のこんもりとした社叢林が見えてくる。
 道路を挟んで東側にある小泉氷川山公園の駐車スペースをお借りしてから参拝を開始した。
        
                                   小泉八合神社正面
  地域名「小泉」の地名は「湧水」に基づくものといわれている。『風土記稿』小泉村の項には「御嶽社 社辺に広さ二坪許の池あり、いかなる久旱にも水涸ることなし、旱魃のとき天を祈れば必験ありと云」とあるが、この御嶽社は既になく、跡地は地内の南方に当たり、かつてここから湧き出していた水は地内の田んぼを潤していた。また、『郡村誌』小泉村の項には「水神社(中略)城内に直径三間なる円形の池あり、大旱にも涸るる事なし」とあり、この水神社も合祀により既になく、跡地は地内の東方にあり、かつてここから湧き出していた水も田んぼを潤していた。
 また、この池は藤波天神氷川八幡神社の池とつながっていて、あちらが干上がると、こちらも干上がると言い伝えがある。
        
              入り口付近に設置されている案内板
 小泉八合神社の創建年代等は不詳ながら、寛文年間(一六六一-七三)に藤波村から分村した際に藤浪天神氷川八幡合社の氷川社を分祀したのではないかという。明治40年に大石村の内の小泉・中分・井戸木・中妻・沖之上・弁財・小敷谷・領家の八大字に点在していた三九社(境内社を入れると六四社)を小泉の村社氷川社に合祀し、八合神社と号したという。
        
 社の正面の写真だけでは分かりづらいが、この社の正面鳥居の西側付近は住宅が密集している。しかし、境内に入ると至って静寂な世界が広がる。また参拝中も多くの方々が手を合わせに来ていて、地域の方々の崇敬が篤い社であるのだろう。
 嘗てはその広大な社叢は上尾市指定保存樹林に指定されていた時期があったが、土地区画整理事業により社叢林の多くの樹木は伐採され、道路を挟んで東側にある小泉氷川山公園の緑地がその名残をとどめているとの事だ。
 
 参道左側に並んで祀られている石祠・石碑等   参道右側には「社務所改築記念碑」等あり
        
                    拝 殿
 八合神社  上尾市小泉四四三
 祭神…素戔嗚尊、大雷命、菅原道真朝臣
 当社は、古来「氷川社」と称し、『明細帳』には「往古ハ字宮山ニ鎮座アリシカ慶応三丁卯(一八六七)十一月移転ス、其際当国一ノ宮氷川社ヲ分祭勧請ス」とある。これに見える旧地の字宮山は、現在地の南西五〇〇メートルほどの「宮山」あるいは「元氷川」と呼ばれた所で、三井団地の敷地内に当たり、元は一帯が山林であった
 慶応三年(一八六七)十一月に現在地に遷座移転し、明治六年(一八七三)に村社に列せられた。
 その後、明治四十年に大石村の小泉(こいずみ)・中分(なかぶん)・井戸木(いどぎ)・中妻(なかづま)・沖之上(おきのかみ)・浅間台(あさまだい)・弁財(べんざい)・小敷谷(こしきや)・領家(りょうけ)の八大字に点在していた三九社(境内社を入れると六四社)を小泉の村社氷川社に合祀し、社名を「八合神社」と号して成立した。合祀の中心に小泉の氷川社が選ばれた理由としては、小泉が八大字の中央に位置していたことや、小泉に大石村の役場が置かれていたことが挙げられる。また、社名については、八大字の各社の総代が協議して決したとの話が伝えられている。現在、境内にある幟立ては、合祀の際に小敷谷から移されたものである
 小泉の地は寛文年間(一六六一~七三)に藤波村から分村したといわれ、藤波村の鎮守が天神氷川八幡合社であることから、このうちの「氷川社」を分村の前後に勧請したものと考えられる。 その後現在地に遷座するにあたり、正式に武蔵一宮の大宮氷川神社から分霊を請うたのである。
 鎮座地は「氷川山」と呼ばれ、氏子区内でも一番の高台にある。その社叢(しゃそう)は“鎮守(ちんじゅ)の杜(もり)”と呼ぶにふさわしい景観をなし、社地を含む一体は上尾市指定保存樹林として保護されている。 また、昭和六十一年には「八合神社と周辺林」が『二十一世紀に残したい埼玉の自然一00選』の一つに選定された。
                                      案内板より引用

        
                    本 殿
             朱赤を基調とした玉垣が色鮮やかである。
 小泉地域には、「小泉の祭りばやし」と呼ばれる祭り囃子が、市指定民俗文化財・無形民俗文化財として平成20115日に登録されている。
 小泉の祭りばやしは、神田ばやし系統の1つである小村井流の祭りぱやしで、明治5年ごろ、さいたま市大宮区大成に踊りとはやしを習ったといわれている。
 祭りばやしの編成は、笛1人・小太鼓2人・大太鼓1人・鉦1人の51組で、曲目には、「屋台」「昇殿」「鎌倉」「四丁目」「神田丸」「岡崎」がある。
 上演の機会としては、714日頃の八合神社祇園祭り、816日の観音堂縁日、912日の薬師堂縁日、1014日の八合神社秋祭りがある。
 因みに付属芸能として、おかめ・ひょっとこ踊りもあるようだ。
        
                  社殿からの眺め



参考資料「新編武蔵風土記稿」「上尾市教育委員会HP」「Wikipedia」「境内案内板」等

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