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古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

長浜久保皇大神社及び長浜丹生神社

 武蔵国賀美郡は式内社が4座あったというが、その中の長浜地区の小さなエリアには式内社と比定されている論社が2社存在している。長幡部神社と皇大神社である。この2社は神流川に沿って南北に鎮座していて、元々は神流川を神として祀っていた社なのではないかと考えられられる。というのも皇大神社が鎮座する長浜字久保の「久保」は「窪」が原語であると考えられ、蛇行していた神流川の曲がりくねった跡が窪地となり、後代その地に人々が暮らしていく過程でその地域の特徴である「窪」が「久保」と改名されたと現時点では筆者は推測する。
所在地   埼玉県児玉郡上里町長浜494
御祭神   大日女貴命(天照皇大御神)
社  挌   旧村社
例  祭   10月19日 秋祭り  3月19日 例大祭

        
 長浜久保皇大神社は、埼玉県児玉郡上里町と神川町との境である長浜地区久保に鎮座している。非常に狭くコンパクトに纏まった社という印象。駐車スペースはあるにはあるが、神社の境内にある集会所の手前にあり、そこに停めると後々写真撮影時に困ったことになるので、社殿とそこに沿ってある道路の間に多少のスペースがあるのでそこに駐車して参拝を行った。
  
  元々は神明社と呼称していた。かつては当地に稲荷社(一説にはこの稲荷社こそ式内社とも言う)が祀られていたというが、いつのころか長幡部神社(式内社)に合祀され、その後に神明社が祀られ、明治期に皇大神社となったという。
 当社も明治41年に長幡部神社(式内社)に合祀されたが、社殿等はそのまま残され、大東亜戦争後に当地に遷座され皇大神社として復したという。

                     
                            長浜久保皇大神社社殿
            
                              社殿内部
 上里町長浜にはこの皇大神社と同名の社が近隣に鎮座しているが、久保の皇大神社が街道沿いにある関係から式内社の論社と思われるが確信はない。武蔵国にあって北部賀美郡の式内社の比定が非常に難しいのは、過去度々発生した自然災害による社の消滅や古文書の紛失、または社自体の移動、それに後世の執拗に合祀を繰り返した結果ではないかと考えられる。
           
                            境内にある境内社



丹生神社
所在地    埼玉県児玉郡上里町長浜1294
御祭神    埴山比売神 少名彦命 菅原道真
社  挌    無各社
例  祭    3月19日(近くの日曜日) 春祭り
                
 丹生神社は長幡部神社の西側約500mの場所に鎮座していて、目の前には神流川の土手が見える。案内板から明治41年長幡部神社の境内社に移転したが、昭和22年近隣の氏子の希望により旧地のこの場所に遷されたという。
 
      社殿の手前右側にある案内板                     社    殿
           
                         社殿の右側にある境内社
境内社というよりもその手前にある石段に注目した。どう見ても古墳の石棺にしか見えない。上里町では、古墳時代の人が住んだ住居跡や村が発見されている。特に古墳時代後半の6世紀の村の跡(集落跡)が見つかっていて、このほかにも、帯刀や神保原・長浜・七本木・大御堂には、豪族の墓である古墳が数多く造られている。この石段も嘗てあった古墳の名残りだったのだろうか。


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