古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

長留松井田琴平神社

 大物主神は、記紀の神話にみえる神で、「国津神」の代表的存在で国譲り後たくさんの国津神を率いて皇孫を守った等、多くの説話をもつ。大物主神の神名の「大」は「偉大な」、「物」は「鬼、魔物、精霊」と解し、名義は「偉大な、精霊の主」と考えられている。
「古事記」神武段では美和の大物主神と記され、大神(おおみわ)神社の祭神とする。御諸(みもろ)山(三輪山)の神として海上から来臨し、大国主神の国造りに協力した。「日本書紀」一書では大国主神の別名とし、「出雲国造神賀詞(かんよごと)」では大己貴神の幸魂・奇魂とされる。崇神(すじん)天皇のとき祟り神として現れ、また丹塗矢・蛇・雷などとして顕現してもいる。
 後代において、明治初年の廃仏毀釈の際、旧来の本尊に替わって大物主を祭神とした例が多い。一例として、香川県仲多度郡琴平町の「金刀比羅宮(琴平宮)」は、近世まで神仏習合の寺社であり祭神について大物主、素戔嗚、金山彦と諸説あったが、明治の神仏分離に際して「金毘羅三輪一体」との言葉が残る大物主を正式な祭神とされたという。
 長留地域の鎮座する松井田琴平神社のご祭神も、勿論「大物主神」である。
        
            
・所在地 埼玉県秩父郡小鹿野町長留3211
            ・ご祭神 大物主命
            
・社 格 旧村社
            ・例祭等 例大祭(松井田神楽) 44
  地図 https://www.google.com/maps/@36.010904,139.0422431,17.08z?hl=ja&entry=ttu
 下小鹿野八劒神社から国道299号線を東行する。1.4㎞程先で、南北に流れる赤平川を渡り、そのまま道沿いに右カーブして、東方向から南方向に向きが変わった地点左側のなだらかな斜面上に長留松井田琴平神社は鎮座している。
 社の南川には「長若一区集会所」があり、そこの駐車スペースをお借りしてから参拝を開始する。
            
             国道沿いに鎮座する長留松井田琴平神社
『日本歴史地名大系』 「長留村」の解説
 [現在地名]小鹿野町長留
 赤平川支流長留川流域の山間地に位置し、西は般若村、東は別所村・田村郷(現秩父市)、南は久那村(現秩父市・荒川村)など、北は下小鹿野村など。三峰に向かう道が長留川に沿い南北に通り、下小鹿野村と秩父大宮(現秩父市)を結ぶ道が村の北部を横切る。
 慶長三年(一五九八)の地詰帳(坂本家文書)では「秩父郡長留之郷」とみえる。また慶安五年(一六五二)の検地帳(同文書)では「長留上郷」「長留下郷」とあるが、「風土記稿」などによると村内は長留川の上流から上・中・下の三郷に分れていた。
 因みに、地域名「長留」は「ながる」と読む。この地名の由来は『新編武蔵風土記稿』においても「村名の起こりを詳にせず」と記載されていて、筆者も出来得る限り調べてみたが、結局は分からなかった。不思議な地域名だ。
 1889年(明治22年)41日、町村制施行により、長留村・般若村が合併して秩父郡長若(ながわか)村が成立、その後、1955年(昭和30年)41日に小鹿野町と合併し小鹿野町を新設したという。
            
           石段を登って行く目線の延長線上に社殿が見える。
        社殿までにもう一段高い場所に鎮座していることを直感で感じた。
            
                石段上に鎮座している社殿
          境内は夏時期にも関わらず、綺麗に手入れされている。
          陽光もたっぷりと差し込み、参拝も気持ちよく望めた。
        
                                       拝 殿
       
          拝殿上に掲げてある扁額     境内に設置されている案内板
 琴平神社の由諸
 御祭神 大物主命 何事も願えば叶えてくれる神
 御創立 天保十年十月十日
 沿革
 松井田耕地が 上下に分かれ対立していることを憂えた有志が計って 天保十年十月十日 琴平山の山頂に社殿を造営し(何事も願えば叶う)といわれる琴平の神を勧請し上松井田下松井田の総鎮守としたのが始まりという 口碑によると 琴平山は古くは(山の神山)と呼ばれ その昔大きな山津波があり 山頂に大きな瘤が生じた 村人はこれを山の神の仕業だとして小祠に祀ったという これは当社の勧請後 攝社となっている山野神社である 山頂では不便であるとの理由から 拝殿の造営を企画し 山野神社々地(現在地)に昭和十一年三月新築工事完成する
 上松井田の守護神 聖天様が明治二年の神佛分離により琴平山頂に遷座されていたが その後新社殿が造営され 元の地に遷座されたので 山頂の旧聖天宮を本殿として移築し 御祭神 大物主命が遷座し給う その後昭和四十五年 麦藁葺きの拝殿 神楽殿の屋根を亜鉛鍍金鉄板(トタン)屋根に改修する
 境内神社  御祭神
 山野神社  大山祇命 山の御神霊 無限の山の幸を恵み給う
 秩父大神社 八意思兼命 政治 学問 工業 開運の神
       
知知夫彦命 地方 郷土 開拓の神
 八坂神社  素盞鳴命 勇猛で情が厚く悪疫除けの神
 棚機姫神社 棚機姫命 織婦の神
 神日本磐余彦神社 神武天皇 我が國肇國の神
 大雷神社  大雷命 かみなり除けの神
       高龗命 雨乞いの神
       大山祇命
       八雷神
 明治十一年夏から毎年の旱魃で田畑は乾き果てた これを憂えた農民達は雨乞い祈願を思いたち 当時有名な群馬県佐波郡赤堀村(現在の赤堀町)西久保八五十九番地 大雷神社の御分霊を 明治十四年六月二日 琴平山の山頂に社殿を造営して勧請した それから夏の日照りには農民は山頂に登り雨乞い祈願を行なったところ その度ごとに雨が降ったので 松井田の雷電様と稱し農民の作神様として有名である(以下略)
                                       案内板より引用
『新編武蔵風土記稿 長留村』には、「山神社 村民持」しか記されていない。このようなしっかりとした由緒書きがされている案内板があると、大変ありがたい。
            
            拝殿の左側に祀られている境内社・合祀社
 案内板に記されている「山野神社・秩父大神社・八坂神社・棚機姫神社・神日本磐余彦神社・大雷神社」等であろうか。
        
                 境内にある神楽殿
 長留松井田琴平神社では毎年4月4日の祭りに、「松井田の神楽」が奉納される。松井田太々神楽とよばれる。明治23年頃から、吉田町井上の貴布弥神社神楽から教えを受け、現在まで伝えられている。神楽の構成は18座あり、楽は大太鼓、小太鼓、鼓、笛からなる。神楽面や衣装は、平成11年に新調されたという。
        
           境内に設置されている「松井田神楽」の案内板
 小鹿野町指定無形民俗文化財  
 松井田神楽
 昭和五十五年四月十八日指定
 天保十年(一八三九年)の創立という琴平神社の祭礼は毎年四月四日で、神楽殿では神楽が奉納される。
 明治十四年(一八八一年)雨乞いの神社として知られる群馬県赤堀村の大雷神社を勧請した後、雨乞い祈願を行うことが多かった。以来、松井田の雷電様として親しまれ、祭礼が盛んになっていったという。
 明治二十一年頃は、秩父市大田の熊野神社神楽を頼んでいたが、明治二十三年頃から吉田町井上の貴布祢神社神楽師から神楽を習ったと伝えられ、現在、十八の座が伝承されている。神楽を舞う人々の熱意は高く、後継者への受け継ぎも盛んである。
 地元の小中学生は小さいうちから練習にとり組み、祭礼には熱心に神楽を舞っている。
 平成二十八年四月吉日(以下略)
                                      案内板より引用

       
              境内に聳え立つ巨木(写真左・右)

 話は変わるが、長留地域の北端、赤平川右岸には、「ようばけ」と呼ばれる白い岩肌を見せる大きな崖がある。この崖は、「古秩父湾堆積層及び海棲哺乳類化石群」(国指定天然記念物・平成283月指定)の6つの露頭のうちの1つであり、「よう」は 巌(岩)(いわお→よう)、「はけ」は崖のことで、岩の崖という意味で、また「よう」は夕陽のあたる様子だという説もある。
 この崖は,奈倉地区をとり囲むように曲流する赤平川の浸食を受けてできた、高さ約100m・幅約400mの大露頭で、秩父盆地の基盤をなす海成層(古秩父湾堆積層)を広く観察でき、カニ化石の産地として知られている。
 ようばけの地層は今から約15001600万年前(新生代新第三紀中新世)の海底につもったもので、当時は日本海が誕生し、日本列島の大部分は海となり、暖流に洗われていた。その後、現在の地形が形づくられてくる過程で陸地となり、地層は傾き、川に侵食されて、地層が現れたという。


参考資料 「新編武蔵風土記稿」「日本歴史地名大系」「小鹿野町HP」「山川 日本史小辞典 改訂新版」
     「Wikipedia」「境内案内板」等

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