古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

上小見野氷川神社


        
             
・所在地 埼玉県比企郡川島町上小見野320
             ・ご祭神 素戔嗚尊
             
・社 格 旧小見野郷鎮守
             ・例祭等 

 一本木神明神社の北方400m程の場所で、上小見野地域の南方境に鎮座する上小見野氷川社。鳥居から100m程東側にある「虫塚集落センター」に車両を駐車させてから参拝を開始する。
        
              農道沿いに建つ上小見野氷川社一の鳥居
 
     一の鳥居から長い参道が続く。     参道の先に木製の朱色の鳥居が見えてくる。
 社の周辺は一面長閑な田畑風景が広がっている。当然だが参拝客は筆者のみ。但し日の光を燦々と浴びているので、社特有の寂しさ等は感じられない。
 一の鳥居から北に延びる舗装されていない参道は、不定期的な改修等は行っているであろうが、なぜか一時代前の懐かしさを感じさせてくれる、そんな不思議な社だ。
 
 二の鳥居前には用水路と表現するにはもったいない位の綺麗な小川が東西に流れていて(写真左・右)、参道から社までに神橋が架かっている。この神橋は「中瀬橋」という。
        
              朱色が映える上小見野氷川社二の鳥居
 かつての「小見野郷」は、市野川の下流右岸、現川島町上小見野・下小見野を遺称地とし、その一帯に比定される。小美濃・尾美野などとも記した。児玉党系図(諸家系図纂)によると浅羽小太夫行業(入西資行の子)の子四郎盛行が小見野氏を名乗っている。
*武蔵七党系図
「浅羽小大夫行業―小見野四郎盛行―三郎行景、弟四郎行員、其弟五郎実光―五郎四郎有行(兄五郎大夫教信)―四郎五郎広行(弟又四郎行盛)。五郎実光の弟六郎行則―中務丞行重―太郎経行(弟四郎員行)。六郎行則の弟七郎行泰―二郎行直(行則子トモ云)―弥二郎近行」
 その後建久元年(一一九〇)一一月、源頼朝が上洛した際の後陣随兵三一番に小見野四郎の名がみえる(「吾妻鏡」同月七日条)。
吾妻鑑卷十「建久元年十一月七日、頼朝上洛随兵に小見野四郎」
武蔵志「東鑑に三保谷四郎を小美濃四郎とも出る」
米良文書(室町時代)「越生一門名字書立、越生、小見野、留田」
 横山党大串氏族小見野氏とは姻戚関係となっているようだ。
*小野系図「大串次郎重保(東鑑文治五年)―広隆―広行―女子(小見野弥次郎妻)―大串孫次郎行忠」

 また享徳二年(一四五三)四月一〇日の十郎三郎目安案(鑁阿寺文書)によると、この頃当郷および八林郷と、近隣の戸守郷との間で用水争論が起こっている。この用水は都幾とき川の水を長楽ながらく付近で取入れるもので、上流にあたる戸守郷が用水を止めたために「尾美野・八林」両郷が武蔵国府中(守護所)に訴えたものである。
          
          二の鳥居の手前で左側に    鳥居を過ぎてすぐ左側に祭られている
            ひっそりと建つ社号標柱              境内社 厳島社
        
                境内左側には神楽殿あり。
         思っていた以上に立派な神楽殿。拝殿より目立つような貫禄。
        
                     拝 殿
 氷川神社 川島町上小見野三二〇(上小見野字家附二番町)
 当地「上小見野」は、下小見野と共に古くから「小小見野郷」の本村というべき地にある。また、この二村のほかに隣村の加胡・松永・谷中・梅ノ木・虫塚・一本木・鳥羽井・鳥羽井新田の八か村を併せて俗に「小見野十か村」と呼ぶ。これがかつての小見野郷の郷域である。
 当社は、武蔵国一の宮氷川神社から小見野郷の本村に勧請され、郷の総鎮守として崇敬を受けた。しかし『風土記稿』上小見野村の項に「氷川社 当村及び梅ノ木・虫塚三村の鎮守」と記されるように、江戸後期には既に三か村の鎮守となっていた。往時の神社運営には、名主を務めた上小見野の長谷部家、梅ノ木の堤家・岩淵家らが当たったものと思われる。
 享保元年(一七一六)九月、町田氏により当社に金幣が奉納されている。ただし、この町田氏の在所については明らかではない。
 別当は隣村の下小見野にある真言宗明光山法鈴寺で、同寺は入間郡越生郷松渓山法恩寺の末寺である。延享三年(一七四六)の本殿再建の際、これを喜んだ法恩寺二十四世貞範が、聖武天皇と光明皇后の御宸筆なる経文を当社に法鈴寺の教慧を通じて奉納したと伝えている。
 なお、嘉永二年(一八四九)
に「氷川大明神」の扁額が当社に奉納されているが、この揮毫は一の宮氷川神社神主「角井家」によるものである。
                                  「埼玉の神社」より引用
 
境内社厳島社と神楽殿の間に祀られている境内社    社殿の左奥に祭られている境内社
        詳細は不明。            左側より稲荷社、右側の石祠は不明。


参考資料「新編武蔵風土記考」
「埼玉の神社」「武蔵七党系図」「吾妻鑑」「武蔵志」「米良文書」
    「日本歴史地名大系」等
 

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