古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

秋山十二天社

 日本人の多くはその時々の行事を通じて多種類な信仰を持つ不思議な民族だ。例えば子供が生まれた時には「宮参り」と称して神社(神道)にお参りするのに、お葬式はお寺(仏教)で行うという人が多数派だ。クリスマス(キリスト教)を祝ったかと思うと年末はお寺に除夜の鐘をつきに行き、翌日の新年は神社に初詣でをする。そのくせ、何故か自分のことを無宗教と思っている人が多い。逆に無宗教だからこそ、複数の神や仏を拝むことに何の違和感を覚えないのかもしれなし、それを不思議なことと感じる事すらない。
 こうした日本人の信仰に対する特性を育んだ背景の一つには、日本固有の神の信仰と外来の仏教信仰とを融合・調和するために唱えられた「神仏習合」の歴史があったからではないかと考えられる。
 神社とお寺は、ご承知の通り神道と仏教という、それぞれ異なる宗教であるが、私たちは神と仏の区別をそれほど意識することなく信仰の対象として生活に取り入れ、見事に融和させながら過ごしてきた。これはいわゆる「神仏習合」、又は「神仏混沌」ともといわれる信仰だが、このように異なる二つの宗教文化を、1000年以上にわたり共存させている国は世界でも類をみない稀有の国柄といえる。
        
              
・所在地 埼玉県本庄市児玉町秋山3566
              ・ご祭神 天部十二柱
              ・社 格 関東10霊場 第7番霊場
              ・例 祭 不明

 秋山十二天社は本庄市児玉町秋山地区南部、上武山地の北東端に位置し、十二天山頂に鎮座する。十二天山の南西には陣見山(531m)があり、北東側には松久丘陵、児玉丘陵、本庄台地の稜線が広がる。途中までの経路は秋山河原神社秋山新蔵人神社を参照。丁度秋山河原神社から秋山新蔵人神社に通じる道路をそのまま南下するように直進。秋山新蔵人神社から秋山十二天社駐車場のある十二天池まで約1㎞強だが、道幅は狭くなるため、対向車線の車両には注意が必要だ。
 
 十二天池(写真左・右)は治水用の池であり、山懐に静かに佇む小さな池。秋の紅葉を感じつつ、暫し休憩する。
 
十二天池脇に車を止め、秋山十二天社に徒歩で参拝。山頂への石段の中段のところまで細い林道があり、狭い道に自信のあるドライバーなら車で行けるようだが、筆者にはそのような自信はなく、素直に徒歩で参拝する。
        
                 秋山十二天社 参道正面
 
 十二天池南側には社務所(写真左)ががあり、社務所の手前並びには石祠(同右)があるが、詳細は不明。道を隔てた反対側には鬱蒼とした草木に隠れてしまった鳥居もある。社務所入り口には「社務所掲示新聞記事」が張り付けてある。

 社務所掲示新聞記事
 秋山十二天は、JR八高線児玉駅の南方約5キロ、364メートルの十二天山頂にあります。文献には1204年前の平安時代始めの創立と記されています。現在の社殿は212年前の1799年に建てられました。本庄市の文化財に指定されています。
 ご神体は毘沙門天、帝釈天、閻魔天など古代インド 12の神々(十二天)で、仏教の護法神として八方・上下など12の方向を守っています。
 社殿は権現造りの神社様式ですが、鐘楼もあり、祭典にはお経を唱えるなど、神仏混合の形を残しています。 関東10霊場の第7番霊場で、戦後間もないころの春の祭典には、参詣する人 々で行列ができたほどです。
 いまでは社殿の近くまで道路ができ数台の駐車場もありますが、時間があれば十二天池の駐車場から30分ほど歩いてお参りするとよいでしょう。境内から本庄市街地が一望できます。空気が澄んでいる日には東京スカイツリーもかすかに見えます。
 来年の元旦察には、スカイツリーの左背後から昇る初日の出を拝み、家族の幸せなどを祈願してみてはいかがでしょうか。
                                   掲示新聞記事より引用

        
 参道を徒歩にて出発。参拝当日は天候も良く、正にウォーキング日和であったが、鬱蒼とした参道に入った瞬間からヒンヤリとした温度差、また適度な湿度も体感した。
        
 徒歩にて数分進むと見えてくる石製の鳥居。社務所前にある鳥居があるので、これは二の鳥居か。
この鳥居を越えてから第一の目標である「寺戸の樫(かし)」に向けて進む。
       
      歩く事数分後にたどり着いた「「寺戸の樫(かし)」。行政区域上では美里町となる。
            
                  左脇にある案内板
 寺戸の樫 町指定文化財昭和55725日  推定樹齢700年
□由来
この樫の木は、アカジタの
伝兵衛樫*とも呼ばれている。
地元の伝承によると、
昔、榛沢村(現深谷市榛沢)に住んでいた伝兵衛という若者が神様に力を授けてもらいたいと考え、秋山十二天社へ21日間の丑の刻詣りをした。お参りをする際、一反(約10mほど)のさらしの端を鉢巻にして、長い布を後になびかせ、その先が土につかぬように走り続けた。満願の日、神様のお告げがあり、伝兵衛は太刀を授けられた。彼は大悦びで下山したが、樫の木のところまで下りてきたとき、自分がまだ鉢巻をしたままでいるのに気づき、その鉢巻を解いて、大樫の幹に巻きつけて帰った。以来、この木を伝兵衛樫と呼んでいる。
*「アカジタ」とは、字寺戸の一部の地名で樫の木周辺のことをいう。樫の木の周辺で大蛇が出たことから「赤舌」と呼ぶようになったといわれている。(以下略)

                                      案内板より引用
 
 寺戸の樫の撮影等を終了し、水分補給後、改めて出発。正直言うとこの時点で足の疲労はかなり来ている。車を使用しなかったことへの後悔を押し殺して進む(写真左)。そしてやっと「十二天参道」の標識(同右)までたどり着くことができた。
        
                         秋山十二天社 木製の三の鳥居
 
鳥居を過ぎると参道の両脇に石碑等が立ち並ぶ。    社殿に通じる石段にたどり着く。
    左側には松尾芭蕉の句碑もある。     体力的にはかなり限界。残りは精神力のみ。

 参拝終了後、編集時に知ったことだが、この石段は163段高低差26mあるそうだ。中々の勾配でもある為、踊り場も数カ所利用し、何度も休憩を入れながら登る。
 
 よく見ると石段正面には鐘撞堂(写真左)が見え、登り切った場所から左側にまた道があり、そこからまた社殿に通じる石段(同右)がある。
        
                                       拝 殿
          参拝時は昼過ぎで逆光。また疲れもある為、やや傾いてしまった。

 標高364mの山頂にある秋山十二天社。秋山十二天社社殿は、神仏混淆の神社でもあることから、十二天堂とも呼ばれた。江戸時代に度重なる火災に見舞われたが、寛政11年(1799)になって杮葺き権現造りの社殿として再建されたという。現社殿の屋根は、1979年(昭和54年)に修築で銅板葺きに改修された。創建は平安時代初期ともいわれ、古い歴史をもつ。

 新編武蔵風土記稿 那賀郡秋山村
 十二天社 村ノ南ノ方ニアリ大同年中ノ勸請ト云那賀郡十四カ村惣鎭守ナリコノ社アルヲモテコヽヲ十二天山ト呼ヘリ今モ護摩所籠堂二天門□ノ宮等ソナハレリ 鐘樓 寬永四年造立ノ鐘ヲカケシカ寬政七年野火ノ爲損シテ未タ再興ニ及ハス
 
別當本覺院 新義眞言宗小平村成身院末聖德山光政寺ト號ス本尊不動ヲ安ス

 十二天とは東西南北、東北・東南・西北・西南、天地、月日の十二の天をお守りする神様だそうだ。言い伝えによると坂上田村麻呂がこの地で暴れていた大蛇を退治するために十二の天に祈ると十二人の神々が現れて大蛇を退治したという。
             
      
本庄市指定有形建造物 秋山十二天社社殿 昭和六十三年一月一日指定碑
 秋山十二天社は山頂に鎮座していて、同時にその山頂に至るまでに、かなりの体力を必要とするにも関わらず、このような荘厳で凝った建築、彫刻(写真左・右)が施されている。
        
                     神仏習合が色濃く残されている
鐘撞堂

 神道とは、山川草木など自然の生命にも霊的な存在が宿る、いわゆる自然神への信仰を起源とする日本独自の宗教だ。日本人はあらゆるものには生命が宿るという、八百万(やおよろず)の神という考え方を古くから持ち、自然の恵みに感謝する収穫祭や豊作祈願などの祭事を行ってきた。
 一方の仏教は、2500年ほど前に北インドで釈迦(ブッダ)が創始し、中国を経て6世紀ごろに日本に伝来。教祖である釈迦像などをご本尊として、聖典として大蔵経(お経)を唱え、厳しい修行を行うことで悟りを開き来世で救われるという思想を持つ宗教だ。教祖も経典も無く、拝むことで現世での救いを求める神道とは、その由来も思想も大きく異なる。
 仏教伝来当初は、古来より崇められてきた神道に対して、新たな仏教を受け入れるかで政治的な対立もあったが、もともと明確な戒律や教義を持たない柔軟性のある神道と、体形的な考え方を持つ仏教は、それぞれの特徴をいかしながら、一体のものとして考えられるようになり、仏が神という仮の姿で現れる=権現という考え方なども生まれ、「神仏習合」という、独自の宗教観に結びついていく。
        
                        
秋山十二天社 社殿からの見事な眺め

 現生人類が日本にたどり着いた約4万年前から縄文時代、そして現在に至るまで海に囲まれたこの日本は後に「日本国(大和国)」と形成するわけだが、どこの国からの侵略も受けずに今に至っていて、そのような国は世界どこを探してもない状態の中で、奇跡の国ともいえる。
 その淵源とした日本人の心の奥底に活き、受け継がれ、日本文化を形成する大きな要因となってきている「自然宗教」といえる神道。そこから6世紀以降から派生し市民生活に受容された、死後の世界の保証を求める「仏教」を日本人は神道に入れ込み、「神仏習合」として信じているのである。それらを「宗教」であると意識せずとも「習慣」として日常的に行っている日本人のことを「無宗教」であると言い張ることは出来ないのではないだろうか。

 一般的な日本人の捉える「宗教」はキリスト教やイスラム教等の所謂「創唱宗教」であり、「自然宗教」は「宗教」として捉えられていない傾向がある。しかし、現実には日本人は何万年という歳月で積み重ねられ、幾重にも醸造された「自然宗教」という「宗教」の信者なのであり、決して「無宗教」ではないのである。
 先祖代々受け継いできた「奥深い宗教心」を知らず、何の躊躇もなく「無宗教だ」と答えることは、自らの存在や日本という国について知らないということと同じではないだろうか。

 世界はグローバル化が進み、今後私たちはますます多くの外国人と接する機会があるだろう。外国文化に興味を持ち、留学を志す学生も多くいる。しかし、自らの国の文化を作り上げる上で非常に大きな要因になっている宗教について知らずして外国人と接すれば知識の欠如によって恥をかくことになりかねない。外国文化を学ぶ前にまずは自国の文化を形成する大きな要因となっている宗教について知るべきではないだろうか。自らの思想、文化、信条を作り上げている「宗教」という存在をもっと身近なものとし、その本質を捉えること。日本人を名乗って生きていくならば、知っておくべき教養なのではないだろうか。
 難しい話となってしまったが、今回秋山十二天社を参拝して、改めて「神仏習合」の成り立ち等を学び、その中でふと感じた日本という国形成の奥深さを改めて感じた次第だ。

参考資料 「新編武蔵風土記稿」「Wikipedia」「社務所掲示新聞」等

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