奥澤神社
・所在地 埼玉県秩父郡東秩父村奥沢568
・ご祭神 伊弉冉尊 速玉之男神 事解之男神 素戔嗚尊(合祀神)
・社 格 旧村社
・例 祭 元旦祭 1月3日 祈年祭 2月11日 春祭 4月第2日曜日
夏祭 7月下旬の日曜日 例大祭 10月17日
地図 https://www.google.co.jp/maps/@36.0612515,139.1925263,16z?hl=ja&entry=ttu
御堂八幡山神社から埼玉県道11号熊谷小川秩父線を西方向に1.8㎞程西方向に進む。その後東秩父村役場入口手前のY字路を右手前方向に進み、最初のT字路を左折すると、奥澤神社の鳥居が正面に見えてくる。T字路の左側には社号標柱があるので、分かりやすい場所だ。
但し、周辺には駐車スペースはないようなので、一旦東秩父村役場に戻ってそこの駐車場をお借りしてから参拝を開始する。
T字路の正面に設置されている社号標柱
周辺には民家が並び、時に農作業の為であろうか、現地の方々とすれ違う程度で、社に参拝する方には全く出会わなかった。
槻川流域に民家が集中し、大部分は山林が占める東秩父村の地形。この社も近隣の御堂八幡山神社・安戸天神社・安戸能気神社等同じく、山の中腹に鎮座している(写真左・右)。
奥澤神社 正面鳥居
東秩父村の奥沢地域は村北東部に位置し、北で大里郡寄居町西ノ入、比企郡小川町木呂子・勝呂と、東で安戸と、南で御堂と、西で坂本と接する。この地域の大部分は山林が占め、南端を東流する槻川北岸に僅かな水田がみられる山村であり、集落は槻川と並行して走る県道11号線沿いの低位段丘に散在する。
『新編武蔵風土記稿』には「地名の起こり山沢多きが中にも、沢の奧と云義なるべし」と紹介されている。また同風土記稿には当地の神社を挙げて「熊野社除地一段一畝、村中の鎮守、例祭九月十九日、社は巽向、神体は白幣、別当大行院東林山と号す、本山修験(中略)妙見社 村持、椎の大木あり、囲一丈八尺許、天王社 村持」と載せていて、嘗ては熊野神社と称していた。
鳥居の右側に設置されている案内板
奥沢神社 御由緒 東秩父村奥沢五六八
◇獅子舞を回した天王祭り
鎮座地奧沢は大部分を山林が占め、村の中央を通る熊谷から小川を経て秩父を結ぶ道路に沿って集落が散在する山村地域であり『新編武蔵風土記稿』に「地名の起こり山沢多きが中にも、沢の奧と云義なるべし」と紹介されている。同じく『新編武蔵風土記稿』は当地の神社を挙げて「熊野社除地一段一畝、村中の鎮守、例祭九月十九日、社は巽向、神体は白幣、別当大行院東林山と号す、本山修験(中略)妙見社 村持、椎の大木あり、囲一丈八尺許、天王社 村持」と載せている。
社記に当社は「天正六年(一五七八)九月紀伊国熊野三社権現を勧請して字腰村中山に奉祀し熊野社とよび鎮守とする。明治七年(一八七四)村社となり社号を熊野神社と改める。同四十二年(一九〇九)二月に現在地に移転して、字半場東山の八坂神社を合祀、大字名を冠し奥沢神社と改称」とあり、社記を裏付ける「奉修熊野三社大権現天正六年(一五七八)九月十九日別当東林山大行院」銘の棟札(五十二cm)が內陣に納められている。
現社地は、『新編武蔵風土記稿』にある「妙見社」の社地で、現在境內東に隣接する妙見神社は天之御中主神を祀っている。
尚、合祀した八坂神社には「奉造立牛頭天王御氏子繁昌息災祈 所・妙栄山浄蓮寺」と記す元禄十年(一六九七)の棟札(七十四cm)が現存する。(以下略)
案内板より引用
比較的勾配のある石段を登ると境内に到着する。
拝 殿
山の中腹に鎮座する社には、やはり独特の空気感が存在する。社叢林の囲まれているため、心寂しくなる時もある。また一歩〃石段を登りながらも、当初は見えてこない境内・社殿に焦りや疲れ等の心身的な疲労も溜まることも度々ある。但し一度境内に到着するとその達成感からか、それまでの疲労等が吹き飛んでしまうから不思議だ。
同時に境内の静寂な空間が辺りを包みこみ、ひっそりと佇みながらも、どことなく歴史の重みを感じさせてくれる。これは平野部に鎮座する社にうける印象とはまた別の感覚であろう。
拝殿に掲げてある扁額 社殿の奥にひっそりの鎮座する石祠。詳細不明
奥澤神社の境内から少し外れで少し下った場所に「妙見社」が鎮座する。
案内板に記されているが、『新編武蔵風土記稿』にある「妙見社」の社地で、現在境內東に隣接する妙見神社は天之御中主神を祀っているとの事だ。
妙見社の傍に聳え立つ巨木(写真左・右)
石段での一風景
参考資料「新編武蔵風土記稿」「埼玉の神社」「Wikipedia」「南内板」等