古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

皆谷朝日根八幡神社


        
             
・所在地 埼玉県秩父郡東秩父村皆谷1311
             
・ご祭神 品陀和気命(応神天皇)
             
・社 格 旧村社
             
・例 祭 元旦祭 元旦 祈年祭3月中旬の日曜日 例大祭 113
                  
新嘗祭 11月下旬の日曜日
   地図 https://www.google.co.jp/maps/@36.0369711,139.1618011,15z?hl=ja&entry=ttu
 東秩父村の埼玉県道11号熊谷小川秩父線沿いに鎮座する皆谷天児安神社を更に450m程南下し、「朝日根方面」「ヤマメの里公園駐車場」の看板が見えるT字路を右折する。くねくねと曲がった山道が暫く続き、途中何本も脇道もあるが、我慢して山道を3㎞程進む。車を走らせながら森林に囲まれた薄暗い山道を進んだかと思うと、急に辺りは明るくなり、民家というか集落も所々に点在していて、陽光が燦々と降り注ぐ山の斜面には広々とした段々畑もあり、晴天という天候も相まって、そこには綺麗な山なみの景観を楽しむことができる。
「斜面集落」は、空が大きく開けていて天気が良い日であれば青い空を充分満喫できる。遠くの山もすぐ近くに感じられ、畑と家々が造る里山の風景はまた格別である。

 一方このような奥深い外秩父の冬、何の遮蔽物もない場所で風の強い日はどの位つらいだろうか、雪はどの位積もるのだろうか、と当地に生活する方々の日々の生活に思いを馳せてしまったことも事実である。

 そのような事を考えつつ、森林に囲まれた薄暗い山道が急に開け、集落地の里風景が広がった右カーブにかかる手前正面方向に、周囲の山なみに茂る木々とは明らかに違う皆谷朝日根八幡神社の社叢林が見えてくる。
        
                             皆谷朝日根八幡神社の社叢林
     日影となっているが社叢林中央下部の間からは木製の鳥居や社号標柱が見える。
        
                              皆谷朝日根八幡神社 一の鳥居
『新編武蔵風土記稿 皆谷村条
 八幡社
 小名牧野にあり、本山修驗、明王院配下、金龍房持除地七畝、社頭老杉茂生す、神體白幣、本地彌陀木の立像、文和二年の勸請にて、村の總鎭守とす、例祭八月十五日又は九月十五日、當村明王院當時支配せり
 雷電社 稻荷社 天王神 天神社 以上の小社みな本社の左右にあり
 精進屋 村民等潔齋の時こヽに炊食す
 古碑四基 一は文和四年正月、一は同年七月、一は延文六年八月、一は明應のもの年月不明なり
 
 一の鳥居からは参道が伸びている(写真左)が、鳥居の先にある杉の巨木が両脇に聳え立ち、参道にまで根を張っている状態で、所々幅が短くなっている(同右)。樹勢も良いようで、幹から伸びる枝や葉も勢いよいようだ。
 実は県道から山道に入る手前にある商店に立ち寄り、ジュース等商品を購入した際に、そこの商店のお婆さんからこの社に関して色々と有益な話を聞いたのだが、お婆さんから最初に聞いた話はこの大杉であった。やはり地域に住む方の生きた情報はありがたいものだ、と改めて感じた。
       
            鳥居に対して右側に聳え立つ大杉(写真左・右)
       
    右側の大杉は参道内部から撮影することができず、一旦外に回って撮影(写真左・右)
        
 大杉等多くの巨木に囲まれた参道を通ると石段が見え、その石段が終了するその先には石製の二の鳥居が現れる。石段から鳥居方向を撮影する際に、その先に見える拝殿の様子もアングルとして納められ、その遠近感の妙と、樹木の囲まれた参道から、陽光を浴びた拝殿との光のコントラストが素晴らしく美しく、思わずシャッターを切ってしまった。
        
                                  境内の様子
 皆谷(かいや)地域は東秩父村西部に位置する。北で坂本、東で御堂、南で白石、西で皆野町三沢と隣接する。槻川上流域の山間部にあたる。小字として皆谷・新田・山口・森ノ脇・大切・朝日根・小安戸・八重蔵・湯ノ木が挙げられる。大霧山東側の緩傾斜面に沿って民家が散在する山村。東部を北流する槻川に沿って県道11号線が南北に縦貫する。大霧山を中心として南北に縦走する尾根は村界であると同時にハイキングコースとしても整備されている。皆谷の榊は高さ約10 m、幹回り2 m弱の巨木であり、県天然記念物に指定されている。
 地名の由来として、「南方に聳える笠山
(837m)をはじめとする高い山々に四方を囲まれているため、日の短い冬などは太陽が高くならないと中々村に光が差し込まない谷間の地形の意」に由来するという。

『新編武蔵風土記稿』においてもこの地域名に関して、以下の記載がある。
「中にも笠山と云るは南に聳(そびえる)て最も高く、北陰の地形なれば、冬日の短きに至りては、曜靈の照らす所も午天にあらざれば遍からず、かゝる山谷の村居なれば、村名の起り推てしるべし」
        
                                   拝 殿
        
                           拝殿の手前で右側にある案内板
 八幡神社  御由緒 東秩父村皆谷一三一一
 ◇例大祭には「朝日根の獅子舞」が奉納される
 当社の鎮座する皆谷は、南方に聳える笠山(八三七㍍)をはじめとする高い山々に四方を囲まれているため、日の短い冬などは太陽が高くならないと中々村に光が差し込まない。皆谷と云う村名は、このような地形から名付けられたものであろう。 口碑によると、当社は初め、「マキノウチ」と呼ばれる家の氏神であったが、後に村の鎮守になったと伝えられる。マキノウチとは「巻の家」の意味で、ほかの土地から巻物と八幡様の神像を携えて当地に移住したとの伝えから、このような屋号で呼ばれるようになったと云う。 『新編武蔵風土記稿』には、「小名牧野内にあり、本山修験、明王院配下、金竜房持、除地七畝、社頭老杉茂生す、神体白幣、本地弥陀木の立像、文和二年(一三五三)の勧請にて、村の総鎮守とす、例祭八月十五日又は九月十五日、当村明王院当時支配せり」と載せる。 明治三年(一八七〇)に村社となり、現在も本殿(平成十三年村指定有形文化財彫刻)には白幣を祀り、十一面観音像を安置している。 例大祭当日には、十二庭からなる「朝日根の獅子舞」(昭和五十六年村指定無形民俗文化財) が奉納される。
                                      案内板より引用
 
     拝殿に施された数々の彫刻               本 殿
                                                失礼ながら本殿内部を撮影
 この社の本殿には、海老紅梁や彫刻等見事に施されている。一間流社造で、正面には屋根が張り出した向拝を設けている。彩色されていたかは判別できないが、各所に施された装飾彫刻から放たれる雰囲気が際立ち、実際の規模以上の風格をも感じた。
 それ以上に本殿の基礎に石を幾重にも積み上げたている点も注目される。目視のみなので何とも言えないが、写真を見た限り、傍に流れている川の石や近隣の山で採取され、更に加工を施した岩石も使用されたのではなかろうか
 案内板には本殿は平成十三年村指定有形文化財彫刻として登録されているらしい。
             
     拝殿の手前左側で、案内板と対に設置されている「朝日根の獅子舞」の標柱

 朝日根の獅子舞
 村指定無形民俗文化財 無形民俗文化財 昭和561220日指定
 文政3年(1820)頃、当地区に悪病が流行して多数の人々が困窮した時、藤造という人が、地区の氏神八幡神社に病気平癒を祈願し、獅子舞を奉納することを約したことに始まると伝えられています。
 獅子舞の流儀は「鎌形流ささら」といわれ、「朝日根のあばれ獅子」と称される荒い舞い方をします。
 獅子は大頭・中獅子・雌獅子3頭で、ささら2名、笛型を加えて構成され、舞は12底です。毎年11月上旬の日曜日に奉納されます。
                                    東秩父村HP
より引用
  
   社殿の左手に鎮座する境内社・合祀社      境内の奥手には今の季節水量は多くないが、
         詳細不明          砂防工事も施され、その一角には石祠もある。
        
 境内から隣接している社務所に向かう道の途中には、小川からくみ上げられたような綺麗な水が流れている。水質の関係から飲むことはしなかったが、見た目でも飲んでも安全と分かるようだった。透き通ったきれいな水に少なからず感動し、思わず両手でくみ上げる。不思議なもので、自身の五感でその水の綺麗さを感じることができ、冷たさを感じ、参拝の疲れを一時癒すことができた。


参考資料「新編武蔵風土記稿」「埼玉の神社」「東秩父村HP」「Wikipedia」「当地案内板」等

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