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古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

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八幡・若宮八幡神社

所在地  埼玉県熊谷市押切1056
主祭神  八幡神社 誉田別命。 若宮八幡神社 仁徳天皇
社  挌  旧村社
例  祭  新年祭 2月19日、大祭 10月15日、感謝祭 12月1日



 八幡・若宮八幡神社は飯玉神社から埼玉県道47号深谷・東松山線を北上し、荒川に架かる押切橋南詰め下に鎮座している。但し押切橋から直接社に通じる道はなく、手前にある押切橋交差点を右折し遠回りに荒川沿いに回り込むとこの社に到着する。県道からの道は比較的民家が密集し、また道幅が狭いので運転には注意が必要だ。
 駐車場は神社手前に駐車スペースがあり、そこに駐車し参拝を行った。


八幡・若宮八幡神社
 所在地 熊谷市押切
 村社八幡・若宮八幡神社は明治初年まで八幡宮と称していたが、明治5年上押切御正山若宮坊東陽寺の氏神若宮八幡社の御祭神仁徳天皇を移転合祀し、同時に現社名にされた。
 祭神は誉田別命。御神体は明治初年まで誉田別命の乗馬の像だったが、合祀の際これを徹し御幣とした。なお、大正4年、大嘗祭記念として鏡を御神体として奉斎した。末社には主神の神明宮のほか一社ある。
 本社の創建年代は不詳である。当社は文化6年(1809)、同7年(1810)、文政10年(1827)と度々の大洪水で流失したため、用水堀のほとり(元八幡)に仮本殿をつくり、文政12年(1829)現在地に遷座した。
 新年祭は2月19日、感謝祭は12月1日、大祭は10月15日で、大祭当日は「ささら獅子舞」が奉納される。

                   拝   殿

                   本   殿
本殿は凝った彫刻の施され、大変綺麗なものだったが玉垣の外側からの撮影は今回断念した。
 
            境内社 神明宮                                         神明宮の右隣にある末社

 八幡・若宮八幡神社は決して規模的には大きな神社ではないが、整備や清掃が行き届いた綺麗な神社だ。短い参拝時間であったが神社散策を楽しむことができた。ただ神社の西側には県道47号押切橋の高架橋がすぐ目の前にあり、車の騒音もよく響いた。社自体の風情は良かっただけに、少々残念な気分になってしまった。

 この「若宮」という名称だが、興味深い見解がある。民俗学の研究によると「若宮」とは非業の死をとげた霊をまつったもので、平安後期以後の御霊信仰とともに広まったと、柳田国男以来いはれているそうだ。
 深谷市上手計の二柱神社の近くと思われる若宮社について「大里郡神社誌」ではこのような記述がありそれを紹介したい。

 「別当大沼院」は、深谷城主上杉公の家臣 大沼弾正忠繁の祈願所にて、恒例に依り同城へ年賀登城の際、酒宴の席上 礼を失し、弾正の怒に触れ、恐れて城内を逃出したるも、大雪の為め歩行 意の如くならずして因り居たるに、殿は乗馬にて追跡し、遂に上手計村 栗田家の門松の蔭にて手打になりて斃れければ、遺骸を同地先へ埋葬せるに、院の妻また自害して失せけり。里人これを憐みて、両人をその地に若宮社として奉斎せりといふ。今に至るも、栗田家一族の年中行事の一として、重く祭事を執行せり。
                                                  (大里郡神社誌より引用)

 全国に3万社あると言われる八幡神社が御霊信仰の流れを汲むものであるという説もあり、歴史の裏を垣間見た思いがした。

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