田中神社
この田中神社の境内には要石と言われる磐倉(ご神体)、境界石が存在し、幡羅郡、大里郡、榛沢郡の境界に建っているそうだ。関東で要石があるのは、鹿嶋神宮、香取神宮が有名で他8例のみ。埼玉では初の発見と言うことらしい。
また、古来より田中天神と云われて、産土神・ 水神様を信仰していた。天神とよばれるが菅原道真の天神ではなく、古代以来の天津神天神信仰であり、小さい社とはいえ歴史の淵源は深い。明治末年、三尻字新堀新田の八幡神社に一時合祀されたが、その後まもなく、氏子の申立によつて現地に復帰再興した。
神体として瓢箪形の石三個と金幣三本を本殿に祀る。
所在地 埼玉県熊谷市三ヶ尻671
主祭神 武甕槌命 (配祀)少彦名命 天穗日命
『神名帳考証』(延経)天津彦根命
『式社考』『神社要録』『大日本史』武甕尻命
『神社命附』『風土記稿』『武乾記』少彦名命・天穂日命
社 格 旧村社 延喜式神名帳 田中神社 武蔵国幡羅郡鎮座
由 緒 由緒不明
江戸時代は「天神社・天神宮・田中天神社」と称していたが、明治末年三尻字新
堀新田の八幡神社に一時合祀、その後まもなく、現地に復帰再興したという。
例 祭 1月25日 例祭
国道140号彩甲斐街道と埼玉県道47号深谷東松山線の交差する、武体西交差点の南西側すぐそばに田中神社は鎮座する。荒川の扇状地内。四方を水田に囲まれている。もとは天神社。また水田の中にあるので田中天神といわれるようになったという。
駐車できるスペースはなく、路上駐車しようにも日頃より交通量の多い県道のため、武体西交差点脇にあるコンビニエンスの駐車スペースを利用し、そちらに駐車して参拝する。
県道の歩道から一の鳥居を撮影
社は規模は小さいながら式内社論社としての風格がある。また参道も以前に比べて綺麗に整備されているようだ。
境内には要石があり磐倉(ご神体)、境界石であり、幡羅郡、大里郡、榛沢郡の境界に建っているそうだ。また、古来より田中天神と云われて、産土神・ 水神様を信仰していた。天神とよばれるが菅原道真の天神ではなく、古代以来の天津神天神信仰であり、小さい社とはいえ歴史の淵源は深い。
二の鳥居の手前左側にある地震封じの要石 鳥居奉献記念の石碑にも要石の由来等紹介
している
関東で要石があるのは、鹿嶋神宮、香取神宮が有名で他8例のみ。埼玉では初の発見と言うことらしいが、詳しいところはわからない。
田中神社
抑抑(そもそも)武蔵国44座の1社とたたえ奉る延喜式内田中神社の御祭神は武槌命少名彦名命天穂日命を奉祭し土人の古き伝説には田中天神と呼び菅原道真公併祀の鎮守にて家内安全交通安全学問高揚の神として氏子の崇敬今に壮んなり。
ここに御影石の大鳥居を御奉献そ大神の御安泰と氏子の守護と繁栄を御祈念申し奉る。
右側に埋存せる天然石は常陸国鹿島の要石と同様の伝説を存す、又武蔵国幡羅大里榛名の三郡の彊域を示す境界石として永遠に伝えん。
社頭掲示板より引用
『式社考』『神社要録』『大日本史』では田中神社の祭神が武甕尻命と記述されている。この武甕尻命は武甕槌命と同人物というらしいが、本当はどうであろうか。旧事本記には大貴己命と系譜として、五代孫に武甕尻命の名前が出てくる。
旧事本記
・ 大己貴(おおむなち)命が胸形の奥津宮の多紀理毘売命を娶して生める子、阿遅?
高日子根神(迦毛大御神)と妹高比賣命(下光比賣命)
・ 大己貴(おおむなち)命が胸形の辺津宮の高(津)降姫神を娶して生める子、都味歯八重事代主神と妹高照光姫大神命。
・ 孫都味歯八重事代主神、八尋熊鰐になりて、三島溝杭女活玉依姫のもとに通って・・云々。
・ 三世孫天日方奇日方命、四世孫健飯勝命、五代孫健甕尻命、六世孫豊御毛主命、七世孫大御気主命、八世孫阿田賀田須命 和邇君等祖 云々。十一世孫大鴨積命、磯城瑞籬宮(祟神朝)御世賜加茂君姓。次、大友主命同朝御世賜大神姓。
ここでは武甕尻命は決して武甕槌命と同人物ではない。謎はますます深まる。