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古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

埼玉古墳群 (8)

      
 さきたま古墳群から東へ2.5Km、川里町との境界付近に小埼沼は位置している。小埼沼の北500mには旧忍川が流れ、現在あたり一面には水田が広がりのどかな田園風景が続くが、かつてこの周辺は沼の多い湿地で、旧忍川の対岸には昭和50年代まで、小針沼(別名:埼玉沼)と呼ばれる広大な沼が存在していたらしい。

 約6000年前の縄文時代この辺りは縄文海進の関係でこの地方まで東京湾が入り込んでいたといわれる。その後の関東造盆地運動により陸地が上がり、海域が後進して現在の関東平野ができたらしい。が元々荒川、利根川、多摩川、入間川などの河川が狭い東京湾に集中して排出されたため、陸地も湿地帯が広域に広がっていたと思われ、また弥生、古墳時代の3~7世紀頃までは十分に陸地化されず、現在の東京都心部は武蔵野台地付近以外は内海の一部ではなかったかと考えられる。
  現在の河川の流路は江戸時代、徳川家康の江戸転封により、人工的に流路を変えたもので、これを瀬替えという。利根川は元々東京湾に流れていたものを、鬼怒川の流路を利用し合流させ太平洋に瀬替えした。また利根川と同じく大宮台地の右側を流れていた荒川を、埼玉県の熊谷でせき止め、比企丘陵から流れてくる和田吉野川や市野川の河道に移したことにより、入間川と合流させることによって、台風で大水が発生した場合、荒川中流域である吉見地方でわざと氾濫させ、下流域の江戸の町を水害から守ったと言われその結果、江戸時代の江戸の町は大きな台風がきても意外と安全な場所となったといわれている。

 それ故に、瀬替えする前の古墳時代の河川の流路がどのような経路だったか断片的でほとんど解っていないのが実情である。そのな中小埼沼は、上代の東京湾の入江の名残りともいわれ、「埼玉の津」万葉集の遺跡とされている。

       
             小埼沼の標石。上代の東京湾の入江の名残りともいわれている。

 埼玉古墳群周辺地域は万葉集に登場する「埼玉の津」の存在からも解る通り、いわば水上交通の要衝で、古墳に使われた石をはじめ多くの物資や文化が行き交いしていたと考える。例えば埼玉古墳群には多くの埴輪が出土している。
  鴻巣市市役所近くにある生出塚埴輪窯跡は5世紀末~6世紀末、東国最大級の埴輪製作跡とされているが、この二子山古墳の周濠より出土した円筒埴輪の多くは、生出塚埴輪窯跡および東松山市の桜山埴輪窯跡で生産されたものと考えられている。また、全長53メートルの前方後円墳で6世紀前半の愛宕山古墳出土の蓋形埴輪の形状から生出塚窯跡で生産された可能性が高いとされる。またこの生出塚埴輪窯で生産した埴輪等は、千葉県(市原市 山倉古墳1号墳)、東京都(大田区田園調布 多摩川台古墳群)、神奈川県(横浜市緑区 北門古墳群1号墳)や埼玉県の諸古墳、南関東各地の古墳より生出塚埴輪窯跡で生産されたとみられる埴輪が出土している。

 また東国の人物埴輪残欠のなかには、腕が折れて断面に穴が確認される事例がみられる。これは、製作時に棒状の木を粘土でくるんで成整形したのち木を抜いて胴部に貼り付けたために生じた穴だと考えられる。このような製作技法は、埼玉県東部と茨城県北部で顕著にみられ、東国に特有の技法と考えられる。考案したのは、埼玉古墳群築造にかかわって埴輪を供給した生出塚埴輪窯の工人たちと思われ、それが常陸北部にまで伝播したことは、工人相互の人的・技術的交流が広域にわたっていたことを物語る。


 生出塚埴輪窯ではまた、上述したように直線距離にして54キロメートル離れた大田区多摩川台第1+第2号墳(西岡第45号墳)、さらには95キロメートル離れた市原市の山倉1号墳の埴輪を製作していたことが判明している。このように埴輪を遠隔地の古墳へ長距離運搬するに際しては、河川や海などの水上交通が重要な役割を担っていたものと考えられる。また、千葉県の事例では、山倉1号墳で見つかった埴輪全部が生出塚産であるのに対して、法皇塚古墳の場合は生出塚産と「下総型」との共存関係があったことは注目に値する。 


 更に古墳に使用された石材産地からも埼玉古墳群の豪族が政治的・経済的に掌握していた地域、又は友好的な地域と思われる。

・ 凝灰岩・・・周辺では、
大里・比企地方
で産出する軟らかい白色の石。
         旧江南町から嵐山町にかけての丘陵に分布。

・ 房州石・・・将軍山古墳に使用された、「房州石」は
千葉県の富津海岸周辺
より運ばれた。
         鋸山系のこの石は、穿孔貝の巣穴の付いた凝灰岩

 このように埼玉古墳群築造当時、「埼玉の津」を中継地点として関東地方各地と交易していた事が遺跡の発掘等で解り、この地が非常に栄えていたことが窺える。


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