古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

高尾厳島在弁天神社

 弁才天は、仏教の守護神である天部の一つ。ヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティーを漢訳し,女神の姿に造形化したもので、元はインドのサラスバティー川の河神であり,のちに梵天の妃となったが広く信仰され,これが仏教に取入れられて音楽,弁舌,財富,知恵,延寿を司る女神となった。
 日本の弁才天は、神仏習合によって神道にも取り込まれ、様々な日本的変容を遂げた。吉祥天その他の様々な神の一面を吸収し、インドや中国で伝えられるそれらとは微妙に異なる特質をもち、本地垂迹では日本神話に登場する宗像三女神の一柱である市杵嶋姫命(いちきしまひめ)と同一視されることが多い。また、農業の神、宇賀神(うがじん)とも同一視されることがある。「七福神」の一員としても知られており、七福神唯一の女神であり、琵琶を演奏する様子も印象的だ。
 北本七福神の一社にも数えられているこの社は、古くより養蚕の信仰があったが、養蚕家が少なくなった現在、安産・女性の守護神として崇敬されているという。それ故に、本来高尾氷川神社の境外社と位置付けられている社であるが、一稿として紹介した次第である。 

        
             
・所在地 埼玉県北本市高尾8119
             
・ご祭神 市杵嶋姫命
             
・社 格 高尾氷川神社 境外社 北本七福神 弁財天
             
・例祭等 春祭 418
  地図 https://www.google.co.jp/maps/@36.0226964,139.5083715,17z?hl=ja&entry=ttu

 高尾氷川神社の正面鳥居を中心にして扇型に道路が分かれるが、その左斜め方向に向かうとすぐ左手に高尾厳島在弁天神社の鳥居が見えてくる。高尾氷川神社から西側裏手にあり、石段を下った先の池の中央に鎮座する一風変わった配置の社である。
        
         高尾氷川神社からは垣根を挟んで道路で分けられて鎮座する。
 高尾厳島在弁天神社の鳥居は道路の左側に見えるが、一段低い場所にあるのがこの写真からでも分かる。
       
                          高尾厳島在弁天神社正面
 龍が杉の大木から昇天したという「龍燈杉伝説」があり、この杉が倒れた跡地にできた池に祀られた社という。
 
 宮岡の谷津の湧水点に鎮座し、社殿が低地にあるため、階段を下りて参拝するという珍しい様式の神社(写真左・右)。規模は全く違うが、群馬県富岡市一ノ宮に鎮座する一之宮貫前神社を彷彿とさせる社である。

高尾氷川神社境内案内板」には以下の記載がある。
 昔、御手洗川のほとりに御神木といわれた幹周り二丈五尺余(約八メートル)もある杉の大木があり、この杉より龍が昇天したと伝えられる。元禄十四年(一七〇一)十月二日の大風でこの御神木は根元より吹き倒されたため、これを惜しんだ氏子たちが、その跡を掘り上げて島を造り、社を建てたのが厳島神社の起こりと言われている。
 厳島神社の御神体の尊像は、宝暦六年(一七五六)江戸神田新銀町中島屋久四郎という者が弁財天のおつげにより、この地を訪れ奉安したものといい、現在の石橋、石段もその時奉納したものといわれている。
 明治以降は養蚕の守護神として参拝されるようになった。

        
                                高尾厳島在弁天神社拝殿

 日本神話において「水の神」の祖は、罔象女神(みずはめのかみ)であったといわれるが、渡来の祇園の牛頭天王(ごずてんのう)須佐之男命(すさのおのみこと)が習合して(神と仏と折衷して一体となること。)祇園様と呼ばれ、水神となったように、時代によって信仰は多くの神々をつくりだしていった。
 そして水神も世の中が複雑化していくにつれて、他の神へと転化されていくことも多くなってきた。弁財天もその一人である。弁財天は一般に『弁天様』といって、七福神の紅一点で美女の代名詞になってよく知られている。インドの古代神話で河川を司る水神であったが、仏教とともに日本に伝わった。
 日本は、多神教の国であり、神にしろ仏にしろ、そしてその他の神もその数は無数である。そしてある一体が時によっては神になったり、仏になったりする。また神か、仏か、いずれに属するのか不明のものもなかにはある。『七福神』など元来は仏教関係で仏様を守護する神がわが国に渡来して以来、中国の道教思想が取り入れられ、さらにわが神道思想と相まって七福神という神様ができあがった。呼び名として『大弁才功徳天』『妙音天』『美声天』などがあるが、土地を沃し、五穀豊穣をもたらす『水神』として農民に尊敬されて、よく水辺とか、川辺に祀られ、水を司る神とされていた。このほか水の流れる音に因んで、音楽の神、弁舌(知恵)の神などの『技芸神』として花街の女性や多くの人々の信仰をあつめた。また、財福の神、名利を望む人に功徳があるとされ、『弁才天』が『弁財天』に改められ、現在では『水神』『農神』より、ついに『財福の神』『福神』へとその性格が変わっていった。

 高尾厳島在弁天神社の南西部には『さいたま緑のトラスト協会』が認定している「高尾宮岡の景観地」が存在している。この地は大宮台地の浸食により形成された谷津(やつ)と、それを取り囲む斜面林からなる里山景観が残されていて、湧水が2か所から流れ、入り口付近には湿地帯も見られている。この地域は嘗てこのような豊かな湧き水が流れる自然豊かな場所であったのであろう。この社の池も宮岡の谷津の湧水点に鎮座しているという。更に農業用水の供給源としての水神信仰が、これらの地域には古くからあって、この水神信仰が水神としての弁財天と結びついていったと思われる。
 


参考資料「新編武蔵風土記稿」「Wikipedia」「北本市産業観光課HP」「高尾氷川神社境内案内板」等
       

拍手[1回]