古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

万光寺氷川神社


                       
             
・所在地 埼玉県比企郡吉見町万光寺82
             
・ご祭神 素戔嗚尊
             
・社 格 旧村社
             
・例 祭 不明

 吉見町万光寺地域は下銀谷地域の北東に位置し、且つ隣接している地域である。また下銀谷稲荷神社に接している道路を南下し、すぐ先のT字路を左折すると、左側に万光寺氷川神社の鳥居が見える。距離にして100m程しか離れていない。
               
                             南向きに鎮座する
万光寺氷川神社

 荒川と市野川の間の低地帯に位置する場所にひっそりと鎮座している。標高図を確認すると、万光寺地域の平均標高は12m13m程だが、社は16m程。社殿は1m程の高台か古墳の上に建てられているが、社殿の裏はさらに石垣が基礎となっていて、また一段高くなっている。恐らく自然堤防の縁にあるのであろうと推測される。
               
                     規模は小さいながら、何とも趣のある社の一の鳥居
 
 一の鳥居のすぐ先には石製の二の鳥居がある。       二の鳥居の上部にある社号額
               
                  鬱蒼とした林の中、参道の先に拝殿が高台上に鎮座する。

『新編武蔵風土記稿 萬光寺村条』において、「往昔當村に萬光寺と云寺ありし故に村名起れりと云、されど村名正保の改には見へず、元禄の改に始て裁す(中略)吉見用水を引て耕植し、また天水をて助水とす、」と記載がある。
 荒川と市野川の間の低地帯に位置し、河川の氾濫地帯であるにも関わらず、一度飢饉等の干ばつ用に天水を溜める対策も講じなければならない当時の方々の苦労を感じてしまう記述である。

 また小字に「墓ノ前」とあり、これも「萬光寺跡なり、たまゝ墓碑など掘出せしことありと云」と書かれていて、嘗て萬光寺というお寺があったが、今は既に廃寺となっていて、その面影すら残ってなく、ただ「墓碑」が偶然掘り起こされて、元禄年間に村の名前となったという事となったという。
               
                                      拝 殿

○氷川社
 村の鎮守なり、神體は丸き青石にて圓經一尺許、面に永和六年二月廿八日凌佛建立の数字を彫れり、古き勸請なること知べし、
 土人の語に今田中村の高負比古神社、御所村の横見神社と當社とを合せて、横見郡三社と唱ふと、されど彼二社はともに式内の神社にして、當社は永仁六年勸請といふ、其の年代遙に下りたれば、並べ稱すべき社にはあらざるべし、
                          『新編武蔵風土記稿 萬光寺村条』より引用

 万光寺氷川神社の創建は、日本の南北朝時代の元号の一つである永和6年(1380)とも、鎌倉時代後期の永仁6年(1298)ともいう。確かに歴史ある古社であろう。当地の人々は、この社を田中村の高負比古神社、御所村の横見神社と合わせて「横見郡三社」と唱えていたという。
 
          万光寺氷川神社の東側に隣接してある地蔵像と、板碑群(写真左、右)。


参考資料「新編武蔵風土記稿」等

拍手[1回]