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古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

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釜山神社

 秩父地方には狛犬ではなく狼を神犬とする神社が10数社ある。いわゆる真神(まかみ)という古名は現在は絶滅してしまった日本狼が神格化したものといい、別名大口真神(おおぐちまかみ)とも呼ばれる。真神は古来より聖獣として崇拝され、大和国(現在の奈良県)にある飛鳥の真神原の老狼は、大勢の人間を食べてきたため、その獰猛さから神格化され、猪や鹿から作物を守護するものとされた。
 人語を理解し、人間の性質を見分ける力を有し、善人を守護し、悪人を罰するものと信仰された。また、厄除け、特に火難や盗難から守る力が強いとされ、絵馬などにも描かれてきた。しかし時代が流れ、人間が山地まで生活圏を広げると、狼は人と家畜を襲うものだという認識が広まった。そして狼の数が減っていくにしたがって、真神の神聖さは地に落ちていったという。
この大口真神を御祭神とする社が寄居町風布地区、釜伏峠に鎮座する釜山神社であり、この社は三峰神社に次ぎ狼像が多い社としても有名であるそうだ。

 ただこの真神が本当に狼の古名だったか、というと賛否が分かれていて、中には「記紀」に真神の記載がないことから否定する説もある。

 この釜山神社が鎮座する釜伏山は標高582mの低山で、外秩父山地の一端に位置し、男釜(おがま)・女釜(めがま)の2峰から成り、男釜は大里郡寄居町に、女釜は秩父郡皆野町にあり、その鞍部には秩父郡長瀞町から秩父郡東秩父村へ抜ける道路が通る。県立長瀞玉淀自然公園に属す。山名の由来は、日本武尊が東征の途次、神籬をたて粥を煮て、日の大神、神武天皇を遥拝し釜を伏せて戦勝を祈願したとか、大太坊という巨人が釜を伏せていったことからとの伝説があるが、ただ単純に、釜を伏せたような山の姿から名づけられたのが妥当と思われる。山は蛇紋岩より成り、頂は岩峰で、釜山神社奥宮の小祠がある。山頂からみて東側の釜伏峠に釜山神社がある。

所在地   埼玉県大里郡寄居町風布1969
御祭神   「木火土金水」の霊神 他
社  挌   不明
例  祭   例大祭 4月17日~19日
        児童福祉祈願祭 太々御神楽 5月5日
                                                                                          * 釜山神社の神楽は、大正11年に秩父市太田の神楽師を招いて習ったもので、
          秩父神社神楽の流れを汲むという。

                   
  埼玉県熊谷から秩父に至る古道、秩父(甲州)往還の釜伏峠に鎮座する古社で、現在、国道140号は荒川沿いに通っているが、昔は荒川の岩場やらが危険な場所であったために、人は皆この釜伏峠を越えていたらしい。

 伝説や古文書、案内板等によると、第9代開花天皇の皇子、日之雅皇子命が武蔵野国を巡幸した折り、釜伏山・奥の院において祠を建て旅の安全と国内の平定安康を祈ったのが始まりといわれている。その後、日本武尊が巡幸した折、この神社に立ち寄って山頂において神様に供える粥を釜でたかれ、この釜を神体岩上に伏せ願望成就の祈りをしたと伝えられ、このことから「釜伏山」「釜山神社」の名が付けられたといわれている。ちなみに風布の地を通りかかった日本武尊が喉の渇きを覚え、岩肌に剣を振るうと、この泉が湧き出したとの伝説が残っていて、この泉は日本水(やまとみず)と呼ばれ、いかなる日照りの時でも、絶えることはないといわれ、現在「日本名水百選」に選ばれている。またその他の伝承として、日本武尊が粥を煮たのが粥新田(かゆにた)峠であり、地面に突き刺した箸が木になったのが、二本木峠の名の由来であると言われている。

 この社は鎌倉期は住吉神社と称し、のちにこの神社を含みもつ山すなわち釜伏山に合わせて釜伏神社となり、さらにずっと後の昭和初期に釜伏山と山王様を合わせて釜山神社としたという。
 釜山神社には様々な神様が祀られてるが、本来の御祭神はこの世の五大要素といわれ、火防や盗難除け、養蚕倍盛などの御利益があるとして信仰されている「木火土金水」の霊神である。 そして崇敬者が5,000名にも及ぶ釜山神社御眷属講(釜伏講)が組織されているなど、釜山神社の信仰は広い。
          
          
 釜山神社の入り口にある立派な社号標(写真上)と社号標のすぐ先の両側にある狛犬(写真下)。ちなみにこの狛犬の下の台座の一方に「釜伏神社」、「征露記念」と刻まれていることから、日露戦争直後の建立と思われる。ここから拝殿までかなりの距離を歩く。それまでに狛犬が何種類も登場する。オオカミ信仰らしい狛犬の配置状況で初めての体験だ。それにしてもこの雄大な自然の中に囲まれてポツンとあるこの社の存在は何か違った意味で異様な雰囲気を漂わせてくる。まず空気が違うのだ。
  
 参道を歩くと明治40年に建立した2番目の狛犬が登場する(写真左)。そしてすぐ先の鳥居の前には3番目の狛犬(写真右)、昭和51年に建立したものらしい。一般的に狛犬は向かって右側の獅子像が「阿形(あぎょう)」で口を開いており、左側の狛犬像が「吽形(うんぎょう)」で口を閉じているが、この釜山神社の1番目と2番目は狛犬の阿吽の形状がなく、3番目にして初めてその形が登場する。とにかく共通点といえば全ての狛犬は痩せ型であること以外は独特で、ユーモラスな物まである。
 
一の鳥居(写真左)。そして参拝当日は1月7日のため正月用しめ縄があり、すぐ先に4番目の狛犬が見えてくる(写真右)。この狛犬は正面を向いているのが特徴だ。かなり古そうでやはり痩せ形。
 
 参道を進むと左右には石碑と共に横に向けた釜がある(写真左)。社の名称に関係したものか。またその先やはり左側には大国主神と刻まれた石碑もあった(写真右)。紙垂(しで)が2枚あるのでもう1柱神を祀っているのだろうが、残念ながら祭神は不明。
 

 広い空間にやっと到着し進行方向は三方向に分かれる。正面には社殿は見え、右側には社務所がある。左側には神楽殿(写真上部左)、そしてその先には日本名水百選、日本水の案内板等がある(写真上部右)。その先にも道が続き、日本水の源流に向かう道があり、釜山神社の奥宮へ行く道らしい(写真下)が今回はそこまで考えていなかったので断念。
 この道は釜山神社社殿のすぐ左側を通り、この道のあちこちに石祠が点在しているが祭神等、詳細は解らず。
           
           
 参道の正面には5番目の狛犬が見える(写真上)。多分これが日本一新しい狛犬ではないだろうか。とにかくこの狛犬は大変可愛く、オオカミには見えない。狛犬の台座には「敬宮愛子内親王殿下御誕生記念」と書かれていて、それを祝して奉納したということらしく、その関係で可愛くしたのか、と勘繰ってしまった。そして拝殿に向かう前の石段に大正12年建立の6番目の狛犬が登場(写真下)。拝殿までに6体×2=12体の狛犬があったことになる。三峯神社の10対以上には叶わないが、オオカミ信仰の社の面目躍如というところか。
           
    神威輝四海と大書された拝殿釜山神社 拝殿。しかし「神威輝四海」とはいかなる意味だろうか。
 
    拝殿上部に掲げてある扁額等の奉納額           拝殿内部 ここにも黄金の狛犬が
           
                   日本水源流に向かう道から釜神社本殿を撮影

 日本全国には狼(山犬)を祀った数多くの神社や寺等がある。狼は山の神のお使い「眷属(けんぞく)」として、田畑を荒らす害獣を駆逐する役回りがある。。また狼自身が大口真神として神格を持つ場合もあり、害獣を退けることから、悪しきものを噛み砕く神、魔伏せの神として崇められ、山の神が火伏せや多産、豊穣の神であることから狼もまた火防や安産、五穀の神として信仰をあつめることもある。秩父(甲州)往還沿いの山間部には、山犬、狼が持つ類いまれな能力に畏怖と畏敬の念を抱き、お犬様を神様として、また神様のお使いとして、その強いお力にすがり、ご神徳を求め、信心されているお社がたくさんある。

 秩父地方の多くの神社の山犬信仰は、神の眷属というよりも、神そのものとされ、そこで「大口真神」(おおくちのまかみ)と神号で呼ばれ、山犬=オオカミ、即ち大神として猪、鹿に代表される害獣除け、火防盗難除け、魔障盗賊避け、火防盗賊除け、憑物除けや憑物落しに霊験があるといわれている。そこで「お炊き上げ」神事が行なわれたり、信者はお犬様の神札やお姿を受け、神棚や専用の祠に祀っている。
 釜山神社では、毎月17日が奥宮「お炊き上げ」で「月々の御眷属様のエサ」といい、饌米を持って奥宮に登り、「お炊き上げ祭」をして饌米を供えている。 この「お炊き上げ」の神事は、300年来、ひと月も欠かすことなく続けられ、その秘密の谷間の場所は、宮司のみの知る他言無用の地とされている。

*お炊き上げ神事
  神の意を知らせる兆しとして現れたお犬様(狼)が、その霊力を遺憾なく発揮していただくために、毎月の又は特定期間の特定日に「お犬様の扶持」、「お犬様のエサ」、「お炊き上げ」と呼び習わして、赤飯、小豆飯或いは白米を生饌のままや熟饌に調理し供える神事のこと。

             

 また釜山神社を代々祀ってきたのは新田家氏族岩松家の家系だそうだ。

 ・ 『埼玉の神社 大里・北葛飾・比企』(埼玉県神社庁神社調査団 埼玉県神社庁 1992)に〈釜山神社〉の項があり。天文二年(1533)、山頂にあった新田義宗の墓所に社を建てて、新田家の再興を願ったことが始まりで、以後氏神として岩松家が代々祀ってきた、との記述あり。また、「当時、峠の頂上から少し寄居方面に下った所に関所があり、当社はその関守を務める岩松家によって代々祀られてきた。この岩松家は、新田義貞の血を引く旧家で、(略)」とあり、
 ・ 『埼玉県秩父郡誌』(秩父郡教育会編 名著出版 1972)には「釜伏神社は釜伏峠にあり。(中略)當社の神職岩松氏は新田義宗の子孫にして徳川家康關東入國の頃より當地に居住し、天正十八年家康領内巡視の際には假殿を設けて休憩を乞ひしことあり。新田家末流たるの縁故を以て八町四方の除税地を拝領し、爾後江戸時代を通じて苗字帯刀を許され、郷士の待遇を受けたり。」とあり。

 真偽の程は定かではないが、歴とした清和源氏新田流の出であるという。筆者の母方の三友氏も新田氏の家来の子孫であり、横瀬六騎と称していた。姥宮神社の項同様、殿様と家来の関係で恐縮であるが、どこか歴史的にも共通性があると人情的には親しみやすく感じるものだ。話の本筋はかなり脱線したが。

 ところで神社の左側の参道を進むと、丁度社殿の左方向で、斜面上にポツンと稲荷神社が1社鎮座している。
 
 お犬様とお稲荷様は、一緒に祀ってはいけないと聞いたことがあるので、オオカミ信仰の社の真っただ中に狛犬ならぬ狛キツネが2対4体あることに正直驚きと、日本独特の包容力の深さを感じた。

 そのことに関して秩父三峯神社に残る江戸時代の文書に「御眷属拝借指南」という文書があり、御眷属拝借の際に代参講の者に渡されたそうだ。御眷属拝借というのは、各地域の講の代表者が三峯神社に参拝に行って、お犬様の御札を借りてくることをいうようだ。講で代表者を決めて、参拝に行くことを代参講という。講の代表は毎年交代し、集落内での順番、持ち回りであることが多いようで、こうした信仰形態が三峯講の特徴だ。
 この借りてきた御札を、集落に祠(「おかりや」などと呼ぶ)を作り、そこに祀っていた。このとき、
お犬様の御札は、稲荷社の近くには祀ってはいけないとされていたようだ。「御眷属拝借指南」に「御眷属を稲荷社の近くに勧請しないこと」という注意書きがあるそうだ。以上のような禁忌も伝わるというのに、釜山神社の場合、オオカミ神社の境内にキツネ神社が神社の端とはいえ共に祀られている点に興味を引かれた。



 オオカミ信仰とはどういうことだろうか。1905年を最後に公式には「絶滅」したとされ、過去50年以上生存が公認されていないが、それでも「ニホンオオカミは山中に生き続けている」。そう信じる人々は数多い。なぜなら、日本人の心の中には「オオカミ信仰」というものが根強く残り、現在においても、その信仰は脈々と受け継がれているからだ。
 オオカミを漢字で書くと、「獣編に良い」で「狼」。つまり、「良い獣」を意味する。かつては「大神(おおかみ)」と書いた。これは文字通り「大いなる神」という意味であり、オオカミは神様のお使い(御眷属)と見なされていたのである。オオカミは「温和」な動物であり、むしろ田畑を荒らし回るシカやイノシシを取り締まってくれる頼もしい警察組織のような存在だというのである。その反面、子どもや女性が食べられてしまうなど、恐ろしさも抱きながら、当時の人々は共存していたようだ。だからこそたとえオオカミが人を襲うことがあっても、古来の日本人は一貫して、オオカミを邪視したことはなかったのだともいう。

 「関東の秘境」とも呼ばれる奥多摩地方には、そうしたオオカミ信仰が広く庶民の心に根付いている。その中心となるのは秩父の三峰神社であり、その周辺21社が何らかの形でオオカミ信仰との関わり合いをもっている(日本全国では250社を超えるとも)。勿論この釜山神社もそのオオカミ信仰の社の一社である。

 上記で紹介した釜山神社の「お炊き上げ神事」は毎月1回欠かさず行われているという。こうしたオオカミ様への「お炊き上げ」は、日本各所で行われている。というのも、オオカミ信仰は山々を渡り歩く「修験者たち」によって日本全土へ広まったと考えられているからである。この「修験者」は別名「山伏(やまぶし)」とも書く。山伏は、山の武士なのか、それとも犬(狼)を連れた杣人なのか。伏の字は、人に犬と書く。オオカミと関係はあるのだろうか。


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