忍者ブログ

古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

新堀新田八幡神社

 JR籠原駅南口から駅前通りを南方向に進み、最初の交差点を左折し、奈良用水がある十字路を右折しすぐ左側方向に新堀新田八幡神社がある。
 新堀新田集落センターの隣、また埼玉県立熊谷西高校の近隣で、北側に鎮座している。集落センターの前には駐車禁止の看板が立てられていたが、神社の南側に駐車スペースがあったのでそこに停め参拝を行った。
所在地    埼玉県熊谷市新堀新田236
御祭神    品陀和氣命(推定)
社  挌    旧村社
例  祭    不明

        
社殿再建記念碑
  當八幡神社は昭和三十四年九月二十六日の伊勢湾颱風の余波を蒙り本殿外宇及び拝殿に大災害を受け氏子一同驚愕と悲嘆の極に達した。このままに放置することは一刻と雖も忍びざるところ即日對策を協議した結果満場一致社殿の再建をなすこととし直ちに建築委員会を組織した。
 抑々當社は明治三十三年五月當時の氏子三十一戸総代根岸悌三郎根岸傳次郎柿沼久作建築委員代表石丸茂十郎棟梁柿沼百太郎各氏の努力と氏子の協力に依り本殿外宇は間口二間奥行二間半木造茅葺又拝殿は間口八尺奥行六尺木造瓦葺にて造営され氏子の尊崇の中心として今日に及んだ。
 たまたま昭和二十九年旧三尻村が熊谷市合併に際し字所有の新堀新田字赤土二二ノ一外二筆山林一反九畝十一歩は市の財産となったのを地元市議会議員浅見一郎湯本春吉両氏の盡力により上記の土地無償拂下げを熊谷市長に嘆願し一方市議会にも折衝した結果格別の温情を以て金壹封を當字に交付された。この意義ある金圓の處分に付き区長は区民に諮ったところ満場一致これが社殿の建築資金に充てることにした。
 更に昭和三十五年二月宮司及び主任総代神社本廰に封し社殿建築資材として立木伐採許可申請をなしたるところ許可を得直ちに起工又工事に要する人夫は総て氏子総意の勤労奉仕に依り茲に芽出たく竣工を見るに至った次第である。
 昭和三十五年十一月十五日
                                 社殿再建記念碑より引用
           
              新堀新田八幡神社は東西に通じる道路沿いに鎮座している。
           
                  古さを感じさせてくれる両部鳥居である一の鳥居

 社殿の北側には多くの境内社があるが、その多くは由緒が解らない。
 

  
             唯一解った稲荷神社の鳥居(写真左)と奥にある稲荷神社(同右)
         宝暦(1751~1764)建立のレリーフ状のお狐様の石祠がユニークで何か可愛らしい。

                          
                     拝     殿
                            
                              本殿覆屋

 新堀新田八幡神社の鎮座するこの地域は明治時代初期に政府が各府県に作成させた、江戸時代における日本全国の村落の実情を把握するための台帳で旧高旧領取調帳と言われるが、旗本領37村の中に「新堀村」と「新堀新田村」が分かれて明記されている。しかしこの二つの地区は南北に隣接している位置関係であることや、類似した名称から元々は一つであった可能性が高く、本来の地名は「新堀」であったと推測する。
 
 この「新堀(にいぼり)」の名前の由来は、「新しい堀」から出ているという。「堀」は用水のことで、昔は「堀村」といわれていた。今から約400年前慶長時代に「奈良堰用水」が新しく作られ、「新堀村」と改められた。
 明治22年、久保島、高柳、玉井、新堀の4か村が合併して玉井村となり、昭和16年4月10日、玉井村は熊谷市に合併し、新堀は大字名となったという。

 話は少しずれるが、東京都荒川区に日暮里という地名がある。元々この地域は、「新堀(村)」と呼ばれていたらしい。但し、いつからかは不明で、室町時代にはそう呼ばれていたらしく、太田道灌の家臣の新堀玄蕃がこの地に住んでいたことに由来する説もある。当時は盗賊などの外敵や獣の襲来に備え、堀(溝)を掘って集落を作ったことはたやすく想像される。ただし、史料上では既に1448年(文安5年)の熊野神領豊嶋年貢目録に「につぽり妙円」との記載がある。「日暮里」になったのは江戸時代からで、桜やツツジが美しく「一日中過ごしても飽きない里」という意味で「日暮らしの里」と呼ばれたことに由来する。

 新堀地区内にはJR籠原駅があるが、籠原という地名は「カゴは険しいという意で、アップダウンの激しい原野という意でつけられた地名」であるという。
 この駅名の由来も新堀と関連しているふしがある。以下の記述がそれを物語っている。

 当時の地名を玉井村新堀と称していたため『新堀』(にいぼり)としたかったが、すでに東北本線に日暮里駅があり、文字はともかく、耳で聞く場合、間違う恐れが多分にあるということで決定できなかった。種々、検討した結果、駅の北東部、旧中山道沿いの『信楽』という茶店のあたりに新堀小字籠原という地名があり、これを駅名にしてはどうかということで、ようやく『籠原』に決定したという。
                      (日本国有鉄道高崎鉄道管理局運転史編纂委員会 1987より引用)

 一地方の片田舎の歴史とはいえ、筆者にとってはかけがえのない故郷である。昨今の平成の大合併によって古くからの由緒ある地名が失われてしまい、古くからの由来をしのぶ事が出来ない理解不能な地名に変わる事が現実に起こっている。自分達の住む地区がその昔どのような地名で呼ばれていたか、何故そのような地名になったかを記録に残すことは後世に残す遺産として非常に重要ではないだろうか。 最近の神社散策の中でふとそのようなことを思った次第である。

拍手[0回]

PR