古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

関口今城青坂稲実池上神社

  神川町関口地区に鎮座する今城青坂稲実池上神社は江戸時代には丹生明神社と呼称し、阿保神社の裏に鎮座していたが天正5年(1577)に元阿保村と関口村とに分立した際に、関口村の鎮守として現在の地に移されたという。
  創立は不明(一説に神亀元年・724)、延喜式内社と伝えられている。当社の社号は元の領主であった安保氏の祖先が大和国丹生川神社を勧進したことに由来するという。

所在地  埼玉県児玉町神川町関口38
御祭神  淤迦美神 、豊受毘売命 、罔象女神 、埴安姫命
社  挌  式内社論社、旧村社
由  緒  神亀元年(724)2月創立、天正五年(1577)3月現地に遷つる。
例  祭  10月19日 例大祭

                              

 関口今城青坂稲実池上神社は丹荘駅から北西方向で約500m位の関口地区に鎮座している。正面の鳥居からすすんで右手に直角に折れたところに社殿があり、社全体がコンパクトに収まっているという印象。この今城青坂稲実池上神社は上里郡忍保にも同名の神社(旧県社)があり、共に式内社論社とされている。                                               
                        関口今城青坂稲実池上神社社殿
            
                          社殿の左側にある案内板

この今城青坂稲実池上神社は祭神が4柱で、淤迦美神 、豊受毘売命 、罔象女神 、埴安姫命という。
淤迦美神
 罔象女神(みつはのめのかみ)とともに、日本における代表的な水の神で、 『古事記』では淤加美神、『日本書紀』では龗神と表記する。 『古事記』及び『日本書紀』の一書では、剣の柄に溜つた血から闇御津羽神(くらみつはのかみ)とともに闇龗神(くらおかみのかみ)が生まれ、『日本書紀』の一書では迦具土神を斬って生じた三柱の神のうちの一柱が高龗神(たかおかみのかみ)であるとしている。
 龗(おかみ)は龍の古語であり、龍は水や雨を司る神として信仰されて、 「闇」は谷間を、「高」は山の上を指す言葉である。
豊受毘売命
 言わずと知れた伊勢神宮外宮の祭神。『古事記』では豊宇気毘売神と表記されるが、『日本書紀』には何故か登場しない。別称、豊受気媛神、登由宇気神、大物忌神、豊岡姫、等由気太神、止与宇可乃売神、とよひるめ、等々。『古事記』では伊弉冉尊(いざなみ)の尿から生まれた稚産霊(わくむすび)の子とし、天孫降臨の後、外宮の度相(わたらい)に鎮座したと記されている。
 神名の「ウケ」は食物のことで、食物・穀物を司る女神である。
罔象女神
 『古事記』では弥都波能売神(みづはのめのかみ)、『日本書紀』では罔象女神(みつはのめのかみ)と表記する。神社の祭神としては水波能売命などとも表記される。淤加美神とともに、日本における代表的な水の神(水神)である。
 罔象は『准南子』などの中国の文献で、龍や小児などの姿をした水の精であると説明されている。灌漑用水の神、井戸の神として信仰され、祈雨、止雨の神得があるとされる。大滝神社(福井県越前市)摂社・岡田神社では、ミヅハノメが村人に紙漉を教えたという伝説が伝わっている。
埴安姫命
 土の神であり、「ハニ」(埴)とは粘土のことであり、「ハニヤス」は土をねって柔かくすることの意とされ、神産みにおいてイザナギとイザナミの間に産れた諸神の一柱である。
 『日本書紀』では埴安神と表記される。『古事記』では、火神を産んで死ぬ間際のイザナミの大便から波邇夜須毘古神波邇夜須毘売神の二神が化生したとする。
 
 
            
            
               今城青坂稲実池上神社の社殿の両サイドには境内社がある。
                 菅原神社・八坂神社・稲荷神社・八幡神社・愛宕神社等。

今城青坂稲実池上神社

 當社は延喜式内當國四十四座の一にして今城青坂稲實池上神社なりと云ひ傳ふ。往古元阿保村と一村たりし時、六所社丹生社同村にありしを、天正5年丁丑(1577)3月分村の際、丹生社を本村の鎭守と定め、今の地に遷し祀るといふ。當社の社號は素領主阿保氏の祖先大和國丹生川上神社を此地に遷し祀れるを以て丹生社と称すと云ふ。本社は旧阿保領十三ケ村の関口なるにより、関口村と称す。又當社の古き(年月不詳)額面に今城青坂稲實池上神社横山某書とあり。又古き手洗石に今城神社と彫刻ありて、北武藏名跡誌に當社を延喜式内のよし云傳へたりと記載せり。又社地接続の地に、當社旧別當幸春院に、文亀3年(1503)建之と記載ある石の六地藏あり。是も名跡誌に記載あり。又此の邊の小名を往古より池上と称し來れり。
                                                   昭和27年神社明細帳

            
                          神社の路地に並ぶ石仏等。
              現代では村の鎮守様といった感じで静かに時間が経過している。

 


 


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