古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

阿佐間八幡神社


        
              
・所在地 埼玉県加須市阿佐間991
              
・ご祭神 誉田別命
              
・社 格 旧阿佐間村鎮守・旧村社
              
・例祭等 祈年祭 325日 春季例祭 415日 夏越大祓 715
                   宵宮祭(灯籠祭)914日 例大祭 915日 他
 間口八幡浅間神社から埼玉県道316号阿佐間幸手線を1㎞程西行し、同県道346号砂原北大桑線と合流する「阿佐間」交差点を南東方向に進むと、阿佐間八幡神社の正面鳥居に到着する。
        
                 阿佐間八幡神社正面
 鳥居を過ぎた社の参道西側には加須市公共施設『旧南保育所』があるのだが、この保育所は建物の老朽化を踏まえ、現在「民族資料保管庫」として使用しているという。今後は耐用年数等を考慮し、資料については移転させると共に、建物を解体し、売却を含めた利活用を検討する等の適切な処分を図るとの事だ。
 因みにこの建物の先には社の専用駐車スペースがあり、その一角に車を停めてから参拝を開始する。
 
      開放感ある参道の様子              神社の掲示板 
                      当月の行事等の連絡あり、参拝側には便利だ。
『日本歴史地名大系』 「阿佐間村」の解説
 [現在地名]大利根町阿佐間・豊野台
 間口村の西に位置し、北を古利根川、南を島川が流れ、古利根川沿いに堤防がある。松永新田に飛地がある(郡村誌)。田園簿には阿左間村とみえ、田高一〇七石余・畑高五一一石余、ほかに野金七両二分、幕府領。寛文四年(一六六四)の羽生中高辻之覚(松村家文書)によると承応年間(一六五二―五五)の検地高四七八石余。
        
                手入れの行き届いた境内
「埼玉の神社」によると、阿佐間の地名の由来は、「マ」には沼地の意があり、「アサ」は浅い意があるところから、古利根川に沿う沼地、あるいは湿地にちなんで付けられたといわれる。また、村の開発にかかわった人々にちなみ、古くは「七軒百姓」とも称されたという。
 大利根町は、豊野・東・元和・原道の四地区からなり、阿佐間のある豊野地区のみ羽生領であり、他の三地区は向川辺領であった。豊野地区は、阿佐間・杓子木・生出・間口・北大桑・新井新田などからなり、他の地区で鷲神社を多く祀るのに比べ、当地区では八幡神社が多く目につく。このことは歴史的に川辺領と異なり羽生領の影響をうけていたことを思わせ、当地の八幡神社も七軒百姓と称された当時の帰農武士たちにより祀られたものと考えられるという。

 旧阿佐間村鎮守社で明治6年村社となった社。当地の信仰は篤く、日清・日露戦争時には、当地出身の出兵兵士は全員無事に帰還することができた為、その後の太平洋戦争(大東亜戦争)には武運長久の神として厚い信仰を受けたという。
        
                               境内に設置されている案内板
        
                              拝 殿
『新編武蔵風土記稿 阿佐間村』
 八幡社 村の鎭守にて、金乘院のあづかる所なり、
 金乘院 新義眞言宗、南篠崎村普門寺の末、星子阿彌陀寺と稱す、本尊不動、開山榮賢と云、貞享四年十二月二十七日示寂す、金毘羅社
 南藏院 当山派修驗にて、江戸青山鳳閣寺の配下、正当山と號す、本尊不動、

 阿佐間八幡神社 御由緒
 ○御縁起(歴史)
 創建年月日は定かでないが、承応二年(一六五四)には、村の鎮守とあり人々は八幡大神を阿佐間の守護神として崇め、八幡様に神恩感謝の誠を捧げ、折々のお祭りを厳粛に斎行してきた。尚江戸期には旗本松平家の知行地となっている
 その間、元禄五年三月十五日(一六九二)社殿老朽化により改築を代官松平主計頭に願い出ている。元禄十五年三月十五日(一七〇二)台風により社殿破損のため、松平主計頭金四両を寄進し修営。さらには、元禄九年九月十六日に新畑二反一畝三分を主計頭源昭利が寄進している
 人々の信仰厚く、享保三年十二月八日には、神祇神道管領卜部朝臣兼敬の名において「正一位八幡宮」の宗源宣旨がなされている
 氏子此を大いに慶び灯籠祭りをおこなった。
 それ以来九月十四日の「宵宮祭」には今日まで灯籠祭が続いている。
 更に文政三年(一八二〇)社殿改築。明治三年(一八七〇)社殿改築。その後一三○年を経て老朽化甚だしく、氏子全員の総意により、平成十五年十一月(二〇〇三)銅板葺の社殿に改築(日本建築工芸設計事務所監督)
 ○御祭神と御神徳
 八幡大神(誉田別尊)
 殖産興業の神。邪を祓い悪を正す神。母子神の大愛を垂れたもう神、武家の信仰厚く武神として崇められる。大東亜戦争中は武運長久を祈る人々が社頭に額ずいた。(以下略)
                                      案内板より引用

 
  社殿左側に祀られている境内社・金毘羅宮  社殿右側には左から(〇)、三笠山社・八海山社
                        ・御嶽山社、秋葉神社の三基の石祠あり
             
                  境内にあるご神木
        
             境内奥に祀られている境内社、合祀社
 左側の境内社は残念ながら読めない。合祀社は湯殿山神社・熊野山神社・白山神社の三社。
        
                社殿からの境内の一風景



参考資料「新編武蔵風土記稿」「日本歴史地名大系」「埼玉の神社」「境内案内板」等
 

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