古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

小堤白山神社


        
             
・所在地 埼玉県川越市小堤785
             
・ご祭神 伊弉諾命・伊弉冉命・菊理姫命
             
・社 格 不明
             
・例祭等 元日祭 神楽奉納 44日 御日待 1014
 小堤八幡神社から埼玉県道39号川越坂戸毛呂山線を西行し、「小堤北」交差点を北上する。セブンイレブン川越小堤北店を過ぎて250m程先の丁字路を右折すると、進行方向左手に小堤白山神社が見えてくる。小堤地域の最北部に位置し、鶴ヶ島市との境に近い。
「川越市役所 小堤集会所」が道路の向かい側にあり、そこの狭い駐車スペースをお借りして、急ぎ参拝を行う。
        
                  小堤白山神社正面
              住宅が立ち並ぶ中の一角に鎮座する社。
     規模は決して大きくはないが、社殿は立派で境内も綺麗で手入れが行き届いている。
              
                小堤白山神社 社号標柱
   小堤白山神社は、慶長2年に越前加賀一の宮白山比咩神社を勧請して創建したという。
        
              入り口付近に設置されている案内板
 白山神社由来
 白き山の白き神々の座、霊峰白山は、富士山・立山と共に古来日本の三名山の一つとうたわれている。
 最高峰、御前ヶ峯(標高二七〇二米)の頂上に奥宮があり、白山比咩大神(菊理媛尊)を祀る。
崇神天皇七年山岳信仰として、全国の崇敬を受け、養老年間(一二六〇年前)奉證大師の登嶺によって開かれ、それまでの山岳信仰から、神佛習合の信仰にかわっていった。
 平安時代(天長九年一一五〇年前)加賀一の宮に、奥の宮遙拝所として白山比咩神社が創建され御祭神は天照大神の玉母菊理媛尊(白山比咩大神)、伊弉諾尊、伊弉冉尊の三柱である。
 小堤白山神社は、慶長二年(三八四年前)九月加賀一の宮から白山比咩神社の神霊を勧請して奉祀し郷土の信仰を得たという。

 江戸時代には産土神として、多くの人々ら崇敬される。
 安政四年(一二〇年前)には、社殿が再建され、明治・昭和と再度にわたり、修理を施しておりましたが、近年社殿の老巧化が進み、昭和五十五年六月再建の話が出るや、氏子中にて六阡参百萬円の多額の寄附申し込みがあり、社殿四阡五百萬円境内整備壱阡萬円その他にて建設されたのである。
 白山神社の祭日
 一月の元日祭 四月四日神楽奉納 十月十四日御日待
 八坂神社の祭日
 四月十五日春祈祷 七月十五日夏祭(御輿渡御)
 昭和五十七年四月四日  氏子中
                                      案内板より引用
        
                    拝 殿
 白山神社  川越市小堤七八五(小堤村字白山西原)
 当地は『風土記稿』によると古くは上小坂村と呼ばれていたが、寛永のころ南側にある鯨井村の境を流れる小畦川の縁に堤を築いたことから、小堤村と改めた。
 当社は小堤の北に位置し、慶長二年、越前加賀一の宮白山比咩神社よりの分霊と伝える。
 村の草分けは、口碑によると宮本・三吉・大久保の三家で、中でも宮本家は代々名主を務めた家柄である。当社はもと宮本家の屋敷鎮守で、これが後世村鎮守となったものである。
 現在、宮本家は姓を宮根としているが、これは川越城に宮本という家老がいたので同姓では無礼だということから改めたという。宮本の名は、社のそばであったことに由来する。
 祭神は、伊弉諾命・伊弉冉命・菊理姫命である。本地は、十一面観音で、厨子の墨書には「慶長二丁酉年九月吉日建立 宮本長右衛門惣村中 安政六未年六月再色願主傳七」とある。本殿は棟札によると、安政四年の再営とある。また、その後、社殿は明治、昭和と再度にわたり修理を施したが、近年老朽化が進み、昭和五五年に再建を決議し、氏子一同より浄財を集め造営を行う。現在の社殿は、本殿・幣殿・拝殿からなり檜材を多く使用した立派なものである。
                                  「
埼玉の神社」より引用
 
          本 殿                境内社・八坂神社



参考資料「新編武蔵風土記稿」「埼玉の神社」「境内案内板」等
 

拍手[0回]