古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

石塚稲荷神社


        
              ・
所在地 埼玉県深谷市石塚658
              ・ご祭神 《主》倉稲魂命
                   《合》大己貴命 豊城入彦命 天照大神 菅原道真
              
・社 格 不明
              ・例祭等 不明
  地図 https://www.google.co.jp/maps/@36.2289284,139.3091945,17z?hl=ja&entry=ttu
 高島生品神社から埼玉県道45号本庄妻沼線を東行し、小山川に架かる「新明橋」を越えると、進行方向右側にこんもりとした石塚稲荷神社の社叢林が見えてくる。周囲は見渡す限りの田畑風景が広がる中、国道17号上武バイパスの高架橋が目の前に見えるその下にこの社は静かに佇んでいる。
 実は前に紹介した沼尻熊野神社からも近く、北東方向で、直線距離でも400m程しか離れていない。
 地形上、沼尻熊野神社や石塚稲荷神社は小山川右岸土手周辺に鎮座していて、これらの社が、河川に関係した社であることは一目瞭然だ。
*参拝日 2023年5月9日
        
                  石塚稲荷神社正面
 [現在地名]深谷市石塚
 利根川右岸の自然堤防上にあり、北を小山川、南を備前渠用水が東流する。西は榛沢郡高島村、北は小山川を境に上野国新田郡前小屋村(現群馬県尾島町)。深谷領に所属(風土記稿)。中世には上野国新田庄に含まれており、年未詳の新田庄内岩松方庶子方寺領等注文(正木文書)に「石塚村」とみえ、新田岩松氏の支配が及んでいた。永禄三年(一五六〇)四月、深谷上杉憲賢と上野金山城(現群馬県太田市)城主横瀬成繁は所領争いから幡羅郡石塚郷で激戦を交えている(「新田家御軍記写」石塚稲荷神社文書)
『日本歴史地名大系』
「石塚村」の解説
        
                綺麗に整備されている境内
 社の東側には国道17号上武道路が走っている。筆者は数年前からこの道路を利用して、群馬県のお社に散策することが多いのだが、この地域はすぐ北側が利根川が流れていて、「新上武大橋」という高架橋を上っていくと左側下部にこの社が見えていて、ここ最近に改築され、境内も綺麗になっていた。

 深谷といえば「ねぎ」というのが一般的に知られているところだが、実はレンガに深いゆかりがある町でもある。深谷市・上敷免地域にはかつて、明治20年(1887年)に設立された日本煉瓦製造株式会社のレンガ工場があった。ここは日本で最初の機械式レンガ工場で、郷土の偉人渋沢栄一翁らにより設立され、明治から大正にかけて、東京駅をはじめとする多くの近代建築物がここで生産されたレンガを使って造られた。 現在は、日本の近代化に大きく貢献したレンガ工場の一部が国指定重要文化財として保存され、今後一般公開して「レンガのまち深谷」をアピールできるよう、保存修理工事を行っているところである。 このように深谷とレンガは歴史的に深い関係を持つことから、「渋沢栄一翁の顕彰とレンガを活かしたまちづくり」を推進し、深谷駅など市の代表的な施設は必ずレンガ調にすることで、新しい施設づくりを通じ、レンガの色彩、温もり、美しさが訪れている人や住んでいる人に感動を与えるようなまちづくりを進めるとともに、JR深谷駅北側の一部エリアにおいては、市民が建築物や外構工事にレンガやレンガ調タイルを使用した場合、その規模に応じて補助金を交付する制度を設けているようだ。

 この社の境内全体には、「レンガチップ」の思われるチップが全体に敷き詰められていて、周囲の田畑風景からも一線を画し、遠目から見ても不思議な世界が広がっている。
        
                     拝 殿
           創建・由来等不明。建武元年(1334)以前ともいう。
 石塚稲荷神社付近の小字は「住殿(じゅうどの)」という。この地域は、丁度南西方向から北東方向に小山川が利根川に合流しようとする地点であるが。昭和初期の河川改修によって、旧妻沼町まで利根川に並うように流れを変えてしまった場所である。嘗て小山川はこの付近で利根川へ合流していて、この付近の利根川は扇状地河川の特徴が顕著であり、河床には島状の中洲が数多く形成されていたようだ。
 嘗ての利根川の流路形態は今よりも網状流であり、乱流して流路変動が激しかったので、古来から上野国(群馬県)との間で国境争いが頻発した地であったようで、この昭和初期の河川改修には、流路を安定させ、周辺住民の方々の生活を安心させる意味合いが大きかったのではなかろうか。(きまぐれ旅写真館HPを参考とさせていただいた
「〇殿」との名称は、埼玉県内に特に多く、概ね埼玉県の全域に分布している。特に荒川水系に所在する市町村、熊谷・坂戸市周辺が多い。
熊谷デジタルミュージアム」にもこの地名に関する記述がされていて、それらの解説を総合して解釈すると、水に関係した地名として説明されているようだ。また河川に近い場所に鎮座する社は、生産神として水を司ったり、川の氾濫を鎮める神(女神)、あるいは舟運の安全祈願として祀られているのだろう。
       
                           拝殿左側にある「社殿改築之碑」
            その手前に祀られている石祠二基の詳細は不明。
 社殿改築之碑
 住殿の社に神鎮まります稲荷神社は石塚郷人の鎮守神として世情如何に変われども我民族の道統たる敬神崇祖・神人和合の祭事は綿々と受け継がれて来た。明治の年に郷内の社を此の地に合祀して以来百余年の星霜を経過した本殿覆殿拝殿など積年の風雨により損傷甚だしく之が修理について憂慮するところであった。平成十一年四月二十五日に稲荷神社々殿改築整備奉賛会を発起し浄財の勧募を開始することとなり氏子崇敬者より多大な奉賛を拝受し平成十七年八月九日起工・平成十八年二月竣工することが出来た。茲に長期にわたる奉賛会役員の努力と関係各位の赤誠の結晶に深く敬意を表し又地区の弥栄を祈念するとともに荘厳秀麗な社殿の完成を祝し改築の記念とする
 平成十八年二月吉日  稲荷神社宮司江守義好撰並書
        
                      社殿改築之碑の左手前にある「天神宮」の石碑
        
                               社殿からの風景
            参道の先には国道17号上部バイパスが見える。



参考資料「新編武蔵風土記稿」「日本歴史地名大系」「熊谷デジタルミュージアム」
    「きまぐれ旅写真館HP」「境内碑」等
 

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