古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

三田ヶ谷八幡神社

 さいたま水族館は、埼玉県羽生市にある淡水魚の水族館である。この水族館は、三田ヶ谷・与兵衛新田地域に位置する埼玉県営の都市公園(広域公園)である羽生水郷公園内にあり、園内には菖蒲田、修景池など水を取り入れた施設を中心に整備されている。また、国内でも数少ないムジナモ自生地の宝蔵寺沼がある。1983年(昭和58年)10月に開館。埼玉県内に生息する87種類の魚のうち約70種類を、また両生爬虫類、甲殻類など合計約1301200点を展示している。館内は、県内及び東京都内を流れている荒川の約200kmを、上流から河口部まで下るようなスタイルで展示している。
 また、天然記念物に指定されているミヤコタナゴや、地球上で唯一埼玉県熊谷市にある元荒川の源流、上流のみ生息し埼玉県の「県の魚」や熊谷市の「市の魚」に指定されているムサシトミヨのほか、世界の代表的な熱帯魚や、オオクチバスや、コクチバス、ブルーギルなどの外来種も展示されている。
 この公園では、「世界キャラクターさみっとin羽生」というゆるキャラに関するイベントが2011年から2013年まで盛大に開催されていた場所でもある。ふとその当時、深谷市のマスコットキャラクターである「ふっかちゃん」を応援していた事や、仕事の関係ではあるが、実際にイベント当日当地に参加していた過去の思い出が蘇ってきて、編集をするその手を停め、忙しい日々の中、共に過ごした家族の事等をしばし追想する自分がそこにいた
        
              
・所在地 埼玉県羽生市三田ヶ谷271
              
・ご祭神 誉田別命 気長足姫命
              
・社 格 旧上・下三田ヶ谷村鎮守・旧村社
              
・例祭等 名越祭(輪くぐり) 731日 秋祭り 1014日
                   冬至祭 1222
 羽生市・三田ヶ谷地域は同市の市街地より東北部に位置し、北に利根川、西には南北に東北自動車道が走っていて、周辺一帯は田畑に囲まれており自然環境に恵まれた地域である。
 冒頭に紹介した羽生水郷公園(さいたま水族館)と、その駐車場の道をはさんで向かいにある「キヤッセ羽生 羽生市三田ケ谷農林公園」の間に南北に走る埼玉県道366号三田ヶ谷礼羽線を1㎞程北上すると、蓮台寺という寺院の赤い正面入り口の門のある丁字路に達する。この丁字路を左折し、200m程進むと、進行方向右手に三田ヶ谷八幡神社の鳥居及び境内が見えてくる。
        
        埼玉県道60号羽生外野栗橋線沿いに鎮座する三田ヶ谷八幡神社
『日本歴史地名大系』 「上三田ヶ谷村」の解説
 古くは下三田ヶ谷村と一村で三田ヶ谷村と称した。両村の境は入組んでおり、西は与兵衛(よへえ)新田村、上弥勒(かみみろく)村・下弥勒村など。元文三年(一七三八)の支配替えの際分村したともいうが(風土記稿)、田園簿・元禄郷帳・天保郷帳ともに三田ヶ谷村一村で高付される。田園簿によると幕府領、田高八八五石余・畑高三三三石余、ほかに野銭として鐚三五貫文があった。
        
             入口正面の赤を基調とした一の鳥居
 綺麗に整備されている境内及び社殿。「八幡神社改築記念之碑」によると、平成8年に改築され、社殿のみならず境内の整備が完工したとの事だ。
 
 短いながら綺麗に整備されている参道の中、二の鳥居(写真左)、三の鳥居(同右)が続く。

 三の鳥居の先には石段があり、その石段を上った先に社殿が鎮座している。社殿は参道面より1.5m程高い。この地域は、水郷公園や宝蔵寺沼等が存在することから想像するに、地質学的には「加須低地」に属し、特に南部は湿地帯(低地)が多かったという。すぐ北側は利根川が流れており、嘗てこの地域は河川等の乱流地域でもあったのであろう。またこの社を中心に東西に広がって民家も集中していることから、洪水等により形成された自然堤防上に社や民家は建てられていると推測される。
 
 三の鳥居の左側にある「八幡神社改築記念之碑」  参道を挟んで右側には手水舎がある。
八幡神社改築記念之碑」
 当八幡神社は誉田別命を祭神とする騎乗八幡神像を祀ってあります。その創建についての記録はないが、百九十余年の歳月を経たものと推定されます。爾来氏子一同は崇敬の念を込め、守護神として護持継承して参りました。その間風雪に耐えること幾星霜、最近は社殿の老朽化が極に達し、その惨状は見るに忍びない状態になりました。この度、三田ヶ谷地区一区、二区、三区二百七十戸全員の一糸乱れぬ協調の精神により荘厳華麗な社殿並びに境内整備が完工いたしました。
 茲に落度を記念して神前に御報告し、永く後世に残すと共に、神の御加護により子孫の繁栄と国家地域の安泰を記念するものであります。(以下略)
                                       碑文より引用

       
                    拝 殿
 三田ヶ谷八幡神社(字本村)
 当社は大字三田ヶ谷の鎮守として祀られていて、「八幡様」の名で親しまれている。三田ヶ谷の地名は、豊かなる地を称える「御田」からこの名を付けたとする説に対して、当村蓮台寺の鐘銘の写しに「正保二年弥陀開郷」とあることから、この地を開墾し、阿弥陀如来像を祀り、「弥陀=三田」という地名としたという説がある。
 当地は、寛保二年に秋元、小尾、小笠原、土岐、目賀田、能勢の六給とされた。地内に領主の仁政を称えて祀る土岐氏の生祀である「土岐社」がある。
 当社の祭神は、武門の守護神である誉田別命やその母である気長足姫命であることから、近在の武士からは厚く崇敬されていた。
 別当は、真言宗光永山蓮華院蓮台寺で、明治の神仏分離まで当社を管理していた。
 社殿の構造は、本殿・幣殿・本殿からなり、拝殿には多数の伊勢講の奉納額がみられる。
 末社は鷲神社・天神社・八坂社があり、このうち天神社には天神座像が祭られている。この台座には「奉寶納 天満大自在天神 三田ヶ谷村 江森源八 享保元年(丙申)九月廿五日」とある。
大正三年八月十四日無格社厳島神社を境内に合祀している。
                                  「埼玉の神社」より引用

 
       拝殿に掲げてある扁額          拝殿手前左側に祀られている境内社
                          左から八坂社・熊野社・青麻社
        
       社の奥行きはかなり広く、広場のような奥に境内社は祀られている。
 
       境内社 厳島社弁財天・秋葉社         境内社 鷲大明神・天神社
   その左側の庚申塔には青面金剛明王か
        
                            境内社から見た社殿の一風景
       
                      社殿のすぐ脇に聳え立つ巨木(写真左・右)
         ご神木かどうかは不明だが、境内で唯一ある巨木でもある。
        
               境内西側隅にある青面金剛明王


参考資料「新編武蔵風土記稿」「日本歴史地名大系」「埼玉の神社」「Wikipedia」
    「境内記念碑文」等

拍手[0回]