古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

地頭方氷川神社

 上尾市・地頭方(じとうかた)地域は、上尾市南部の大宮台地指扇(さしおうぎ)支台上にあり、『日本歴史地名大系』での 「地頭方村」の解説によると、南側を堤崎村、西は南北に流れる堀を隔てて平方領の領家村に隣接し、嘗ては足立郡平方領に属していた。村名の由来は、建武元年(1334410日の足利直義下知状(宇都宮文書)にみえる大谷郷地頭職にかかわると考えられる。鎌倉時代に荘園領主と地頭が土地の所有権を争い、地頭方と領家方に分けた名残の地名といわれていて、北側に隣接する壱丁目地域は、嘗て地頭に与えられた土地を意味する「壱町免」が変化した地域名と言われているそうだ。
 上尾市内の地名には、中世以降の古文書にその名が残っているものが幾つかあり、「地頭方」もそのうちの一つであろう。
 因みに「地頭方」という地域名は吉見町にもあるが、そちらの名称は「じとうほう」と読み、若干の読み方の違いはある。
 当時の村高は正保年間の『武蔵田園簿』では173石(田45石余、畑127石余)、『元禄郷帳』によると145石余、『天保郷帳』によると149石余であった。検地は寛永7年(1630)・元禄7年(1694)、新田検地は延享元年(1744)に実施されている。
        
              
・所在地 埼玉県上尾市地頭方113
              
・ご祭神 素戔嗚尊 天照大御神 大雷命
              
・社 格 旧地頭方村鎮守・旧村社
              
・例祭等 お神楽 722日 お日待 1014
 平方八枝神社正面鳥居に沿って東西方向に走る道路を東行すること500m程、途中平方橘神社を左手に見ながら道なりに進むと、埼玉県道51号川越上尾線のY字路に達するので、そこを左折する。同県道を1.5㎞程進行し「地頭方」交差点を右折、その後800m程進んだ丁字路を右折すると、すぐ左手に「地頭方公民館」が見え、その建物奥に地頭方氷川神社が背を向けたように鎮座している。
        
                
地頭方氷川神社参道正面
  この社にはお決まりの鳥居が設置されていないため、正面を目視する目印的な物がない。
        また正面周辺には
適当な駐車スペースがないため、100m程歩いた
                「
地頭方公民館」の駐車場に車を停めてから、参拝に臨む。
 
 正面には鳥居はないものの、参道は比較的長い(写真左)。社殿に至る長い参道は、1950年(昭和25年)に時の総代島田道教から寄付された土地を氏子総出で整備したものであるという。
 また、社には大きな狛犬が鎮座している(写真左・右)が、これは前出の島田家が運送業で財を成したことに対する神恩に感謝して、1895年(明治28年)に奉納されたものである。
        
                                       拝 殿
         道路から離れている場所にひっそりと佇んでいるような印象
       
                           境内に設置されている案内板 
 氷川神社  上尾市地頭方一一三
 祭神…素戔嗚尊、天照大御神、大雷命
 南北朝-室町期ごろ市域には大谷郷が成立していた。地頭方の地名は、建武元年(一三三四)四月十日の足利直義下知状(宇都宮文書)に見える大谷郷地頭職にかかわると考えられ、中世村落の系譜を引く村であることが推測される。
 当社の創建の年代は明らかではないが『風土記稿』地頭方村の項に「氷川社 村の鎮守なり 正円寺持」とあり、当村の鎮守として祀られてきた社であることがわかる。ここに見える別当の正円寺は、当社の西方一〇〇メートルほどの所にあった蓮華山と号する真言宗寺院で、開山秀賢は、寛正三年(一四六二)に没したという。
 神仏分離後、正円寺は廃寺となり、当社は明治六年四月に村社に列した。また、年代は不詳であるが、地内にあった神明社・雷電社を合祀したと伝える。なお、現在正円寺の跡地には地頭方公民館がある。
 当社の参道を進んで社前に至ると、まず目につくのが、見上げるばかりに堂々とした体格を誇る狛犬である。これは、江戸末期から明治期にかけて氏子の島田鶴吉が運送業で財を成したことから、神恩に感謝して同氏により明治二十八年に奉納されたものである。また、一〇〇メートルほどの参道は、昭和二十五年に時の総代島田道教から寄付された土地を氏子総出で整備したものである。島田道教は、先の島田鶴吉の子に当たり、島田家の当社に寄せる崇敬の厚さをうかがわせる。
 祭礼は正月の歳旦祭、三月のふせぎ(春祈祷)、七月の祇園祭、例祭、十月のお日待ちの年五回である。七月の例祭には「雨降り神楽」と呼ばれたお神楽が作物の無事生育を願って奉納されていた。
 境内社に「稲荷社」「疱瘡社」、境外社に「天神社」「八雲社」を祀る。
                                      案内板より引用 

 
 「伊勢参宮記念碑」の並びで、拝殿左側手前に    参道を挟んで疱瘡社の向かい側に
    祀られている境内社・疱瘡社         祀られている境内社・稲荷社
        
                   境内社・疱瘡社の手前には「力石」も奉納されている。

 ところで、この地域には「地頭方の祭りばやし」が上尾市に民俗文化財・無形民俗文化財として指定を受けている。
民俗文化財・無形民俗文化財 地頭方の祭りばやし
【登録年月日】 平成20115
【保持団体】  地頭方囃子連
 地頭方の祭りばやしは、神田ばやし系統の一つである桑屋流の祭りばやしです。始まりは不詳で加茂宮(さいたま市北区宮原)の囃子連が師匠で、加茂神社の祭りのときには応援に駆けつけたといいます。
 祭りばやしの編成は、笛1人・小太鼓2人・大太鼓1人・鉦1人の51組です。
 曲目には、「屋台」「昇殿」「鎌倉」「四丁目」「神田丸」「ひょっとこ囃子」「ねんねん子守」「ヒトツトヤ」がある。「屋台」は、「ブッツケ」「切り」「地」「新切り」「乱拍子」で構成しています。
 上演の機会としては、722日の氷川神社例祭があります。かつては1014日のお日待ちの夜にも上演していました。
 付属芸能として、以前はひょっとこ踊りなどがありましたが、今日では踊る人がいません。
                              「上尾市教育委員会HP
」より引用
        
                                 静かな境内の一風景


参考資料「新編武蔵風土記稿」「日本歴史地名大系」「埼玉の神社」「
上尾市教育委員会HP」
    「Wikipedia」「境内案内板」等

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