古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

下崎八幡神社


        
              
・所在地 埼玉県加須市下崎1251
              
・ご祭神 誉田別命
              
・社 格 旧下崎村下分鎮守
              
・例祭等 例大祭914
    地図 https://www.google.co.jp/maps/@36.1050109,139.5588474,17z?entry=ttu

 下崎氷川神社の正面入り口から南側に伸びる道路を進む。当初の目的は、この下崎氷川神社の社号標がない事、参道に真っ直ぐ伸びる道路の先に何かあるのではないかと思い、その道を南下したわけだが、結局のところ何もなく、丁字路に当たってしまった。あまり期待していたわけではなく、単にモヤモヤしていた事項が解決できたという事で、次の参拝場所へと気持ちの切り替えはできた。
 その丁字路を左折し、600m程進んだ場所に下崎八幡神社の鳥居が見えてくる。
 同じ「下崎」地域に鎮座している社故に、意外と近距離(上崎雷電神社と下崎氷川神社との距離程ではないが)で、道順も分かりやすい。
        
       加須市下崎地域のほぼ中央部で、田園地帯の中に鎮座する下崎八幡神社
『日本歴史地名大系』には「下崎村下分」の解説が載っている。
 [現在地名]騎西町下崎
 騎西町場(きさいまちば)の南に位置し、西は下崎村上分。もとは上分と一村で、正保四年(一六四七)の検地の際分村したという(風土記稿)。
 
現栃木県日光市輪王寺蔵の大般若経巻第一四九の応永三年(一三九六)付奥書に「武州崎西郡葛浜下崎郷光明寺」とみえる。田園簿では下崎村一村で高付され、田高六四七石余・畑高三八六石余、川越藩領。領主の変遷は騎西町場に同じ。寛文四年(一六六四)の河越領郷村高帳では下崎下分の高五一一石余、反別は田方三三町三反余・畑方二〇町六反余。
 
        鳥居の社号額                   境内に通じる南北に長い参道
『新編武蔵風土記稿 
下崎村上文条』
下崎村を上分・下分と分ちしこと、正保の圖(図)には見えず、元禄の圖に始て二村とす、正保四年檢(検)地のとき分村せしことと知らる」
*旧字体の変更は( )にて筆者対応。
        
 参道から境内に入るその入り口付近に祀られている「辨財天」の石碑、その左側には「安永五年銘(一七七六)」の力石が置かれている。
 下崎地域は北側に「備前用水」、南側には「騎西領中用水」がそれぞれ南東方向に流れ、地域の境となっている。いわば生を営むために必要な農業用用水が身近にある地域であり、水の神様である辨財天が祀られていることにも納得ができよう。
        
                     拝 殿 
 
      拝殿に掲げてある扁額。              本 殿
 扁額には三宝荒神、八幡社と記載されている。
 三宝荒神(さんぼうこうじん、さんぽうこうじん)は、日本特有の仏教における信仰対象の1つ。仏法僧の三宝を守護し、不浄を厭離(おんり)する佛神である。
 不浄や災難を除去する神とされることから、火と竈の神として信仰され、「かまど神」として祭られることが多く、これは日本では台所やかまどが最も清浄なる場所であることから俗間で信仰されるようになったものであるという。
        
                境内に設置されている案内板
 八幡神社 例大祭九月十四日
 当社は誉田別命(応神天皇)を主祭神とし、武の神・生活上の守護神として崇敬される
 伝えによると、騎西城廃城の時、当地に土着した者が城内に祀る八幡宮と三宝荒神を移したことによるという。また一説には、正保四年(一六四七)に石清水八幡宮(現京都八幡市)の分霊を祀ったともいう。
 本殿には内陣に向かって右に三宝荒神、左に八幡神を奉安する。三宝荒神は三面六臂(三つの顔と六本の腕)の立像で、全身が赤く塗られている。一般的に荒神は台所に祀られ、火防の神として信仰される。また、八幡神は馬に跨がり、弓矢を持った姿となっている。
 なお、下崎には氷川神社も村鎮守として祀られているが、これは江戸時代、当村が上分・下分の二村に分かれていた名残りによるものである。(以下略)
                                      案内板より引用

 案内版では「
正保四年(一六四七)に石清水八幡宮(現京都八幡市)の分霊を祀った」と記載されているが、この年は『新編武蔵風土記稿』によると、「正保四年檢(検)地のとき分村」と書かれており、分村した際に岩清水八幡宮の分霊を祀った可能性もあろう。
  
   社殿手前で、左手に鎮座する境内社。       社殿奥には稲荷社が祀られている。
        
                 社の正面入り口付近には趣のある「庚申塔」が祀られている。
    年始のしめ飾りも飾っていて、地域の方々の信仰の深さを物語っているようだ。
            筆者も社の参拝前には、手を合わせて頂いた。


参考資料「新編武蔵風土記稿」「日本歴史地名大系」「Wikipedia」「境内案内板」等
    

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