戸口東入西神社
・所在地 埼玉県坂戸市戸口452 龍福寺境内
・御祭神 不明
・社 格 旧村社
・例祭等 夏祭り 7月10日を中心とした土曜日・日曜日
坂戸市戸口地域は東武東上線北坂戸駅の西側に位置し、東側には高麗川が、西側には高麗川支流である葛川に挟まれた南北1.4㎞程、東西750m程の縦長の地域で、両河川が形成する低地面が大部分を占める。
なお『新編武蔵風土記稿 戸口村』には「東西三町、南北四町許、水田少くして陸田多し、元より地形低くして川に添たれば水災ありと云、」と記されていて、川の氾濫によりしばしば水害を被る地域であったことも、この地形をみれば納得できよう。
東入西神社は、元々当地に鎮座していた天神社に、蛇口神社・塚崎六所神社・新ケ谷稲荷神社・新ケ谷三島神社・中里大宮神社などを明治41・42年に合祀して東入西神社と改称したという。
蛇口神社については、俊海が法力で解脱させた蛇を祀って創建、その末社だった八幡社も地頭嶋田庄五郎重利が寛永21年(1644)にした記載されていることから、龍福寺開山に際して祀られたと伝えられている。
戸口東入西神社正面
龍福寺境内の一角に鎮座。この社も神仏習合の名残りが色濃く残っている。
参道の様子 中武蔵七十二薬師初番、武州八十八所霊場30番
真言宗智山派寺院・龍福寺
戸口村 蛇口神社
相傳ふ昔龍福寺の前の深田に、年久しく蛇住しを、同寺の開山俊海法力を以解脱せしめ、神に祝ひて蛇口神と號すと云、神體は十二天の内の水天に似たる像なり、龍福寺の持、
天満宮
此社は昔小名平天神に有しを、寛永年中今の地へ移せりと云、村の鎮守なり、同寺持、
末社 八幡社
神體は上差の矢の根なり、長七寸許、寛永廿一年正月廿九日地頭嶋田庄五郎重利が建立せし所なり、
『新編武蔵風土記稿』より引用
拝殿手前で左側に祀られている境内合祀社。様式から三柱が祀られているようだ。
境内社である八坂神社において、毎年7月10日を中心とした土曜日・日曜日には夏祭りが行なわれ、坂戸市無形民俗文化財である「戸口ばやし」が披露される。この囃子の流派は江戸神田囃子大橋流旧囃子で、大正時代に始まったという。
因みに坂戸市無形民俗文化財指定年月日は平成9年5月27日である。
拝 殿
東入西神社 坂戸市戸口四五二(戸口字三谷)
当地は高麗川の左岸の低地にあることから、川の氾濫によりしばしば水害を被った。
『風土記稿』では、江戸期に当地に祀っていた神社は「蛇口神社 相伝ふ昔竜福寺の前の深田に、年久しく蛇住しを、同寺の開山俊海法力を以解脱せしめ、神に祝ひて蛇口神と号すと云、神体は十二天のうちの水天に似たる像なり、竜福寺の持」「天満宮 此社は昔小名平天神に有しを、寛永年中今の地へ移せりと云、村の鎮守なり、同寺持、末社八幡社、神体は上差の矢の根なり、長七寸許、寛永廿一年正月廿九日地頭嶋田庄五郎重利が建立せし所なり」と載せ、このうち天満宮が当社である。
明治四一年前記の蛇口社ほか七社を合祀し、次いで同四二年に大字中里字前の大宮神社を合祀しているが、これらのうち大字塚崎字根の六所神社・大字新ケ谷字上島の稲荷神社・同字新ケ谷の三島神社の三社は、氏子が合祀を認めず、社殿が現存し、祭りも続けられている。当社は、この合祀により東入西神社と改称して、現在に至っている。
「埼玉の神社」より引用
東入西神社 拝殿からの眺め
参考資料「新編武蔵風土記稿」「埼玉の神社」「坂戸市HP」等