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古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

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関兒玉神社

 関の兒玉神社の秋季大祭に、社前に奉納される獅子舞(ささら)は、江戸時代中期の享保年間、今からおよそ270年前に相模の国の人がこの地へきて、獅子舞の舞い方、笛、太鼓、謡曲の一切を教えたのが始まりと伝えられています。
 
現在は、地元・関の中学生が伝統を継承し、毎夜練習に励んだ成果を10月の大祭本番に披露しています。
                                                    美里町の文化財から引用
所在地   埼玉県児玉郡見美里町関374
御祭神   仁徳天皇ほか13柱の神
社  挌   旧指定村社  関村鎮守社
例  祭   関兵霊神社祭2月13日、八坂神社祭7月25日、例祭10月15日

       
地図リンク
 関兒玉神社は埼玉県道75号熊谷児玉線で児玉方向に進み、関交差点の約1㎞手前右側に静かに鎮座してる。村の鎮守様という言葉がピッタリくるような地元の人たちに親しまれている社という第一印象だった。ちなみに神社の鳥居の前には車を止める駐車スペースが広く確保されており、そこに停めて参拝を行った。
       
       
                    神社遠景 小ざっぱりした開放的な空間

 一の鳥居に掲げてある額には「児玉」ではなく「兒玉」と書かれている。旧漢字か(写真左)。また参道を進みすぐ右側に神楽殿がある。柱の間に斜めに伸びている筋交(建築物や足場の構造を補強する部材 )が正面、両脇に見える。構造上下部が安易な構造で上部の瓦の重みを支えきれないためだろう。
 
           
                              拝    殿
 兒玉神社の創建年代は不詳だが、言い伝えによると鎌倉時代に当所の修験者である関城院という人が修業のために大和国大峯山に籠り、満願しての帰途、鎌倉鶴岡八幡宮に通夜した時霊夢を感じて当所に帰村の後一社を創立して若宮八幡宮と称したという。明治40年(1907)に字田中菅原神社、字芝原八坂神社・雷電神社・稲荷神社、字八幡関八坂神社、字庚申塚石神社、字大関稲荷神社、字倉柱愛宕神社・神明神社、字石神石神社、字柳町石神社、字六道山神社、字三本松二柱神社の一三社を合祀し、児玉神社と改称したという。

兒玉神社
 
大字関にあり、仁徳天皇ほか13柱の神を祭る。鎌倉時代に当所の修験者である関城院という人が修業のために大和国の大峯山に籠り、満願しての帰途、鎌倉鶴岡八幡宮に通夜した時霊夢を感じて当所に帰村の後一社を創立して若宮八幡宮と称したといわれる。後世になって寛文年間(1661-1673)および明治元年(1868)の二度にわたって火災にあい、宝物・古文書等すべて失い由来を明らかにすることはできない。明治40年(1907)に合社により児玉神社と改称された。
                                                         美里町史より引用                                                    
            
                          社殿の奥にある合祀社
 明治40年(1907)に字田中菅原神社、字芝原八坂神社・雷電神社・稲荷神社、字八幡関八坂神社、字庚申塚石神社、字大関稲荷神社、字倉柱愛宕神社・神明神社、字石神石神社、字柳町石神社、字六道山神社、字三本松二柱神社の一三社を合祀したという。
           
 合祀社の並び、本殿の後ろ側には、義民遠藤兵内お宮(関兵霊神社)があり、祠の隣には説明板の碑もある。
義民遠藤兵内お宮改築記念碑
 義民遠藤兵内は、今からおよそ二百二十有余年前の明和元年に起きた明和の大一揆の首謀者として、明和3年45才の若さで獄門の刑に処せられ、刑場の露と消えました。文久3年、この地に神として祀られ、以来命日の2月13日には神霊祭が盛大に行われます。平成2年、兵内くどき保存会が県の文化ともしび賞を受け、ここに受賞記念事業としてお宮の改築をし、義民兵内の功績を長く後世に伝えるものです。 
                                                         美里町史より引用
                 
                         鳥居の左側にある御神木

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