柴山枝郷神ノ木稲荷神社
野通川はかつて周辺に存在した小針沼を始めとした、沼地の干拓排水路として開発されてきた経緯があり、現在の流路は元荒川支派川改修事業が実施された大正末期から昭和初期にかけてのものである。 流域は主に農地として利用されているほか、川里工業団地といった工業団地やゴルフ場が存在する。
野通川は元荒川左岸に合流する手前の北岸に位置する柴山枝郷地域の中央を貫流していて、柴山枝郷神ノ木稲荷神社はその地域中央部に鎮座している社である。
・所在地 埼玉県久喜市菖蒲町柴山枝郷1465
・ご祭神 稲荷神(推定)
・社 格 旧柴山枝郷神ノ木鎮守・旧無格社
・例祭等 初午祭 2月初午 春祭礼 4月22日 秋祭礼 11月22日
柴山枝郷八雲社から北東方向に通る道路を道なりに直進する。途中「圏央道(首都圏中央連絡自動車道)」を潜るように進み、野通川に架かる神ノ木橋を越え、埼玉県道5号さいたま菖蒲線に交わる丁字路を右折する。そのまま200m程進むと、圏央道の高架橋が見えるのだが、その手前で、進行方向左側に柴山枝郷神ノ木稲荷神社の境内が見えてくる。
周辺には専用駐車場はないようなので、近くにあるコンビニエンスに駐車してから参拝を開始する。
柴山枝郷神ノ木稲荷神社正面
柴山枝郷地域は、北から丸山・神ノ木・小塚の三つの字があり、集落を形成している。各集落にはそれぞれ鎮守として祀る社があり、丸山と神ノ木では稲荷神社を、小塚では八坂神社を祀っている。
参道より境内を望む。
参道から見える両部鳥居とその奥にある社殿が目にも鮮やかな赤を基調としている。
何となく優美な印象さえ感じる社。
神ノ木の鎮守である当社は、氏子から「神ノ木の稲荷様は女性で、丸谷の稲荷様は男性である」「神ノ木の稲荷様は女なので、氏子も穏やかな気質である」等と言い伝えられているのも、不思議と頷けられる。
稲荷神社 菖蒲町柴山枝郷一四六五(柴山枝郷字神ノ木)
柴山枝郷には、丸山・神ノ木・小塚の三つの集落があり、丸山と神ノ木ではそれぞれ稲荷神社を、小塚では八坂神社を鎮守として祀っている。当社は、このうちの神ノ木で祀る稲荷神社であり、その創建について氏子は「神ノ木の稲荷様は上大崎から来た」と伝えている。
上大崎は神ノ木の東に位置する大字である。
神ノ木の辺りはかつて一帯の沼地であったが、七軒の人々が干拓を行い、「七軒新田」と称するようになったという。この七軒とは進藤・長沢・塚越・岩井・大野・長島・海老原の各家で、いずれも十六、七代を数えることから、江戸初期の開発をうかがわせ、当社の創建年代もそのころにまでさかのぼるものと考えられる。更に、天明元年(一七八一)に京都の伏見稲荷から受けた神璽と分霊証書が残る。
『風土記稿』柴山村の項に、「稲荷社二宇 一は正泉寺 一は竜蔵院の持」と載るうちの正泉寺の持の稲荷社が当社であり、竜蔵院の持の稲荷社は丸谷で祀るものである。
明治初年の社格制定に際して、当社は丸谷の稲荷社と共に無格社とされたが、幸いにも後の合祀政策の際にはその対象から外された。大正七年には、伊勢参りから帰って来た講員たちが社殿内で下山講と称して祝宴を催したところ、火鉢の残り火から社殿を消失してしまった。そこで昭和二年から四年にかけて社殿を造営し、再興を遂げた。
*平成の大合併の為、現在の住所は違うが、敢えて文面は変えずに記載している。
「埼玉の神社」より引用
また、当地には次のような伝説にかかわる禁忌がある。昔あやめ城(菖蒲城)の城主佐々木某が馬で白岡八幡神社に来て、そこで馬を乗り換えて芝山枝郷にやって来た時、鎧が門に引っ掛かってしまった。それ以後、芝山枝郷では門を構えないという。
社殿手前左側に祀られている末社・愛宕神社 社殿右側手前に祀られている末社群
愛宕神社の左側には力石がある。 左から雷電宮・富士浅間宮・右側2基は不明
社殿より参道側を撮影
近くにある圏央道の高架橋のような近代的な建築物と社が
不思議と融合しているところが、如何にも日本らしい。
参考資料「新編武蔵風土記稿」「日本歴史地名大系」「埼玉の神社」「Wikipedia」等