古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

稲荷町末広稲荷神社

 日本全国に多い神社は応神天皇をまつる八幡信仰の社である「八幡神社」である。全国にある神社の数は、およそ86千社と言われており、そのうち約1割にもなる8千社が八幡神社である。それに対して「稲荷神」は主祭神として祀られている社数は2970社であり、神社数は八幡神社に及ばないものの、境内社・合祀など全ての分祀社を合わせると総数32千社であり、屋敷神として個人や企業などに祀られているものや、山野や路地の小祠まで入れると稲荷神を祀る社はさらに膨大な数にのぼる。
「稲荷神」は本来「稲」を象徴する穀霊神・農耕神だが、現在は商工業を含め産業全体の神とされ、日本で最も広範に信仰されている神の一つである。別説として渡来人であった秦氏の氏神的稲荷信仰を基に、秦氏の勢力拡大に伴って伏見稲荷の信仰圏も拡大されていったと『日本民俗大辞典』は述べている。
「豊葦原中つ国瑞穂国」とも美称され、「神意によって稲が豊かに実り、栄える国」の意味において「稲」を共通する「稲荷神」が日本国中に多いのも当然ともいえる。 
        
              ・所在地 埼玉県深谷市稲荷町222
              ・ご祭神 倉稲魂命
              ・社 格 旧村社
              ・例祭等 例祭 4月16日 1016日 夏祭(八坂祭)7月下旬
                   大祓 1225
  地図 https://www.google.co.jp/maps/@36.1975272,139.2881982,19z?hl=ja&entry=ttu

 稲荷町末広稲荷神社は国道17号線を深谷市役所方向に進み、深谷商業高校を過ぎて唐澤川に達する手前で、右側に曲がる道路があり、その先に社は鎮座する。右に曲がる道路の先には社号標柱が小さいながらも見えるので、それが目印となる。社に隣接して古く大きな社務所があり、そこには適度な空間があり、そこに車を停めて参拝を行った。
        
       国道から僅かに離れた場所に社が鎮座している。社号標柱が目印となる。
 後で知ったことだが、この右に曲がる道自体、嘗て稲荷神社の参道であった、ということだ。
        
                             稲荷町末広稲荷神社正面
 境内は広く、日々の手入れも行き届いているようで、地元の人たちに親しまれている社という印象を受けた。国道17号は日々車両の行き来が多い道路だが、やや離れていることが幸いし、境内は静かで、市街地の喧騒を一時忘れてしまうほどである。
 また境内は老木が多いにも関わらず、参道等の空間は広く確保され、社独特のしっとりとした雰囲気がある場所と、風通しも良く開放的な空間もあり、うまく調和されているという印象。
        
                 入り口付近にある案内板
○稲荷神社(稲荷町)
 康正年間(一四五五~五六)深谷に城を構えた上杉房憲は、城を鎮護するために一仏三社を勧請したと伝えられる。この話に出てくる「一仏」とは瑠璃光寺の寅薬師のこと、「三社」とは末広稲荷・永明稲荷・智形明神の諸社のことである。寅薬師と末広稲荷は城の鬼門守護、永明稲荷は同じく戌亥守護、智形明神は城内守護の社として祀られたものであった。
当社はこの三社の一つ、末広稲荷のことであり、城下の発展に伴い稲荷町の鎮守として、その住民から厚く信仰され今に至っている。
 なお、別当は、当初地内の東源寺であったが、文政年間以降は修験の宝珠院が奉仕し、明治元年(一八六八)の、神仏分離令まで務めた。
 
平成十四年二月 深谷上杉顕彰会
                                      案内板より引用
 
          石製の一の鳥居(写真左)及び二の鳥居(写真右)。
 本来稲荷神社は特有の「赤(朱色)の鳥居」と「千本鳥居」といわれているトンネルのような鳥居が並ぶ風景で有名だ。
 まず鳥居の色が赤い理由として、「赤」は太陽や火の色であり、血の色であり、豊饒(ほうじよう)の色ともされている。同時に悪霊の侵入を防ぐ呪力ある神聖な色であり、美と権威の表現でもある。そのため、稲荷神社以外でも赤い鳥居を持つ神社はたくさん見られる。さらに、赤色の原料となる丹(水銀)は、木材の防腐剤としての役割も担っている。
「千本鳥居」は願い事が「通る」或いは「通った」御礼の意味から、鳥居を奉納する習慣が江戸時代末期の文化・文政年間【1804年~1830年】に広がったと言われている。但し東松山市の鎮座している箭弓稲荷神社のように通常の鳥居形式の社もあるので、全ての稲荷神社が「千本鳥居」のような形式をとっているわけではない。
        
               社殿手前、左側に屹立するご神木
   指定番号21号。深谷市保存樹木。樹種ケヤキ(ニレ科)指定 平成2年10月20日 深谷市
        
                                        拝 殿
        拝殿と本殿は文政年間(181830)に再建されたものであるという。
 
  拝殿に掲げている木製の「稲荷神社」社額  向拝虹梁には鮮やかな龍の彫刻が施されている
  
 
  木鼻(写真上、左・右)・海老虹梁(写真下、左・右)にも見事な彫刻が施されている。
「埼玉の神社」によれば、本・拝殿共に向拝には竜の彫刻が施されており、その優美さは深谷随一といわれているとのことだ。
        
                                         本 殿
 
 社殿左側には富士塚。手前に古峯神社等の石碑あり、紙垂がかかっている(写真左)、その富士塚の先には天神社が鎮座している(写真右)田谷にあった天神社を明治45年にこちらに移転し、大正7年には西島にあった天神社が合祀された。
        
                 歴史を感じさせてくれる稲荷町末広稲荷神社 社務所
 社務所は昭和7年に造られている、当時埼玉県の神社の中でも有数の規模だった、障子を開けると100畳の部屋になる。
    
       

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